挑戦者
数百年の眠りから目覚めた私、アリア=アリネージュは、この世界に新しく来た天人である二人の内の一人、ミルちゃんことミルノワール=ロアと朝から模擬戦を行っていた。
ミルちゃんに対するは私、アルト、フラン。三対一という数的には絶対的に有利なはずの状況で、歴戦の英雄たる初代聖王であり、元人類最強を自負していた私は絶望的な力の差を痛感していた。
両手で支えた凧型盾に凄まじい衝撃を受け、私の足は地面を削りながら数メートル下がった。
聖騎士の防御スキル【聖壁】とダメージ軽減スキル【鎮守の盾】、神官の防御魔法【二重防御壁】を軽々ぶち抜き、重戦士の【不動】をしても下がらざるを得ない威力。
盾を支えていた手が痺れる。受けた盾が歪む。いや、剣の腹で殴られたから歪む程度で済んでいるが、刃で切られれば盾ごと両断されるのではないかとすら思える力と速さ。勿論、剣の腹でも直撃すれば大ダメージを受けるだろう。
全く、これが通常攻撃だというのだから信じられない。
一応これでも、魔王の渾身の一撃すら防ぎきって見せたのだけどね。
「アルト!」
「はい、アリア様!」
私が今日何度目か分からない強制後退をさせられた分、アルトが前に出る。私が声を掛ける前にすでに動き出していたのだからいい判断力だ。
実際にこの目で見て、一緒に模擬戦して感じたけれど、この子とんでもないね。
クリスから聞いた【勇者】とかいう謎職業によるステータスの大アップと、獣王ターニャ戦で見せた基本に忠実で綺麗な動き。基本に忠実ってことは意外性は無いけれど、隙も無いってことだから、それが勇者の基本性能爆上げと相まってえらい事になってる。
プラス切り札で防御スキルと魔法を無効にする攻撃だって。
装備の防御力や本人の頑丈さには影響を受けるみたいだけど、例えば私の【聖壁】や【鎮守の盾】や【二重防御壁】は意味を成さないって事だ。
盾役絶対殺すマンなんですけど。私この子の相手絶対したくない。
黄金のオーラを纏ったアルトがミルちゃんに肉薄した。
ミルちゃんは私を吹き飛ばした位置に佇んだまま、悠然とアルトの接近を許す。
その手に武器は無い。この模擬戦が始まってから、私は彼女が武器を出したところを見ていない。いや、見る事すら叶わないといった方が正しいか。
武器を出すこともなく、素手のまま立ち尽くすミルちゃんに、アルトの黄金の剣が振り下ろされる。
ミルちゃんは動かない。
しかしアルトの剣がミルちゃんの間合い1,5メートルに到達した瞬間、パァンという破裂音と共に弾かれ、アルトの体が泳いだ。
ミルちゃんは何もせず佇んでいるだけ……に見える。
そこにフランちゃんの魔法が放たれ、タマモを首に巻いたフランちゃん自身も槍を両手に突っ込んだ。
魔法の弾数は十四発。火水風土光闇無それぞれの属性を持つ魔弾系魔法がミルちゃんを囲む。
今日のフランちゃんは、獣王ターニャにトラウマを植え付けた元凶の【姦しの魔杖】を装備していない。
今訓練しているこの場所は、王宮の敷地内にある広い庭の端である。近衛用の訓練場もあるのだが、この面子で模擬戦をすれば、修理にどれだけ費用と時間がかかるか分からないという理由で現聖王アルバートにこの場所を指定された。出来るだけ荒らしてくれるな、と言われてたけど……ごめんよアルバート、すでに周りはクレーターだらけだ。
まぁそれは後でアルバートが苦労すればいいとして、一応王宮の端っこで距離はあるものの王城から見える位置、空を魔弾が覆いつくすあの非常識な魔法を使わせると混乱が起きかねないので禁止したら、この戦闘スタイルを披露された。
てっきりフランちゃんは純後衛とばかり思っていた私の驚きは、ターニャ戦で金ピカに輝きだしたアルトを見たときに匹敵した。しかもあの槍、短剣サイズから10メートル超まで伸縮自在なんだって、意味わかんない。
一人で近・中・遠距離と魔法火力までこなすとかどんだけ多彩なの。しかも槍の動きは俊敏にして鋭利、ついこないだまでただの村娘だったとか、フランちゃんの成長を間近で見ていたアリストとグレアの証言が無ければ信じなかっただろう。
確かにまだ甘いところはある。攻撃にしても体捌きにしても直線的で、フェイントや動きの緩急、周囲の環境を使った搦め手―――砂で目つぶしとか、太陽を背にしたりとか、地面の段差を利用して躓かせるとか―――を考えていない。だが、それを差し引いても目を見張る攻撃速度と正確性だ。槍を物心付いたころからふるい続けても、ここに至れるのは一握りであると思われる。
これで回復魔法も使えたら、それもう一人パーティだよね。
……って思ってたら、ミルちゃんに弾かれてすっ飛び転んだ擦り傷に【下級治癒】してた。あ、はい一人パーティでした。君、仲間なんていらなくない?
傷を治したフランちゃんが再びミルちゃんに挑む、アルトも負けずと肉薄した。
それに合わせて、私も足に力を入れる。若い二人が頑張っているのに、お姉さんが頑張らないわけにはいかないでしょう!
ミルちゃんの真上を座標指定し魔法を発動。【遅延魔法】で発動時間を調整。魔法は光属性魔法の【光の矢】を5発。
私自身は盾を体の前に構え、全力で前に出る。
だいぶこの模擬戦の最大の敵にも慣れてきた。自分の感覚より加速が早い、踏み込みが強い。その違和感を前提に、私は細かな調整を考えずにすむ突進系スキルを使う。
「【シールドチャージ】!」
そう、この感覚のずれが厄介。私の記憶する私の動きと微妙に異なる体感覚。
数瞬早く動く体、ほんの少し強く踏み込む足、それらがコンマ数秒、数センチの差となって動きを阻害する。踏み込み距離、斬撃の重心、体重移動その全てが狂い、結果動きがチグハグになってしまう。
私も歴戦と言っていい程の戦闘経験を持つ。勿論その違和感はミルちゃんと数合打ち合うたびに修正するが、それと並行するように感覚もズレてしまう。
最初は戦いの勘が鈍っているのかと思ったが、違う。
次に何かミルちゃんがやっているのかと思ったが、それも違う。
これは、私がレベルアップすることでステータスが上がっているのだ。
打ち合うたびにレベルが上がり、体感覚が微妙にズレる。修正するが次の打ち合いでまたレベルが上がる。
上がったレベル分伸びるステータスに、感覚が追いついていなかった。
だから今度は、レベルが上がっている前提で、踏み込む。
ドンピシャだ。アルトとフランちゃんの連携に、私のスキルが間に合った。
ミルちゃんから見て前方から私、右斜め後ろからアルト、左斜め後ろからフランちゃん、そしてそそれぞれの間をフランちゃんの【極光の嵐】が埋め、頭上からは私の【光の矢】。
ここ数回の模擬戦を経て二人の連携の癖を掴み、私を加えた即席3人パーティの全方位同時攻撃。
原因が分かれば合わせられるさ。私だって伊達に英雄してないんだよ!
私たち三人+魔弾14発+光の矢5発の計24個の攻撃がミルちゃんを襲う。
全ての攻撃が全力。最初こそしていた様子見の手加減もすでにない。そんな物は最初の数合の打ち合いで消し飛ばされた。
目の前にいるのは遥か格上、この世界の住人にとって神のごとき存在だ。
極度の集中に時間が引き延ばされる。
迫る剣、槍、魔法。
ミルちゃんは動かない。
残り5メートル、攻撃の到達まであと0.2秒。
ミルちゃんは動かない。
残り3メートル、攻撃の到達まであと0.1秒。
ミルちゃんはまだ動かない。
残り2メートル、攻撃の到達まであと0.05秒。
ミルちゃんはまだ動かない。
残り1,5メートル、攻撃の到達まであと―――
コンマ以下の時間軸、瞬き以下の刹那、ミルちゃんの間合い1,5メートルに入った瞬間―――ミルちゃんの両手が消失した。
それと同時に、パァンという破裂音と共に弾かれる私たち三人。白銀の閃きが二回、赤黒の瞬きが一回、微かに見えた。
その十数ミリ秒の誤差で魔弾と光の矢が到達したときには既に、ミルちゃんは最初の体勢に戻っている。そして再び消える両手。
次の瞬間には、白銀と赤黒が混ざり灰赤色となった閃撃の嵐が、全ての魔法を切り裂いていた。
これだけして触れる事すらできないのかっ!
自爆覚悟の全方位同時攻撃でもこの有様。
千分の一秒単位で襲い来る剣技。そう、剣技、剣技なのだ。
何十回と見てようやく理解したミルちゃんの動き。
何度見ても、私はそれに戦慄を隠し切れない。
模擬戦前、彼女はアルトとフランちゃんに言った。
「今日は私本来の戦闘スタイルで戦います」、と。
二人の訓練時にミルちゃんは模擬戦中前半は木の枝で、ある程度全員のレベルが上がった最終日は大剣の二刀流で相手をしてくれたそうだ。
しかし、今回は模擬戦が始まっても武器を出さずに佇むだけの彼女に、最初二人は戸惑っていた。それでも手加減無しで全力全開に突っ込む二人に私がドン引きしたのだが……数秒で考えを改めることになる。
まだ本人にちゃんと聞いていないから私の予想でしかないが、もしこれが真実ならば彼女は正真正銘のバケモノだ。
レベルが高いとかステータスが高いとかそんな単純な話ではない。
彼女の本来の戦闘スタイル、それはおそらく、こうだ。
無装備状態で動き出し、剣が対象に当たる瞬間にクイックアクションで武器を装備、インパクトが終わった瞬間にまたクイックアクションで元の無装備状態に戻す。
やっていることは単純明快、これだけ。
まず第一の仕様として、AAOは物理演算が変態的にしっかりと設定されている為、武器を振るという動作にはその武器毎に設定された【重さ】とプレイヤーの力強さで速度が変わる。慣性力の計算が行われるのだ。
加速するための運動エネルギーがプレイヤーから伝わらなければ武器が動くことは無く、その運動エネルギーは重さによりその場に留まろうとする慣性力の抵抗を受けるため、短剣や拳甲などの軽い武器ほど攻撃速度が早く、大剣や大槌のような重量武器ほど攻撃速度が遅くなる。
そして勿論最速は素手である。
そして第二の仕様で、腕を振るっている最中に装備した武器は、腕の速度に比例した運動エネルギーを付加された状態で出現する。分かりやすくいうと、振るった腕と等速で出現するのだ。
さらに第三の仕様で、本来振るった武器を止めるのにも慣性力と同じく、その武器毎の慣性(その速度を保とうとする力)が働くので重量武器ほど止めるまで時間がかかるのだが、途中でクイックアクションにより武器を仕舞うと、これも素手分の慣性しか持たなくなる。
つまり、うまくやれば素手で腕を振るうのと同じ速度で武器有りの攻撃ができるということだ。
この技術自体は、QACと呼ばれ、重量武器を持つ火力前衛のプレイヤースキルの一つとして広く認識されている。
しかし、この技術は高火力のスキルが登場するレベル300以上だと極端に出番が減る。
というのも、QACは通常攻撃にしか使えないのだ。
そもそも武器を持っていない状態では武器スキルを使用できない。そしてそのくらいのレベル帯になると使用できるスキルが充実するため、だいたい武器スキルを廻していけば最初に使用したスキルの冷却時間が終了し、スキルだけでの攻撃が成立するため通常攻撃の出番など極端に少なくなる。
通常攻撃を2,3回行う間に、攻撃力倍率5倍や10倍のスキルが打てるのだ。それはMPに余裕ががあれば皆スキルを打つだろう。その方が時間火力が高いのだから。
さらに、武器スキルは一連のモーションが決まっており、初動から終了までシステムアシストで一定の速度が保証される。その分始動してしまうとキャンセル出来ないものがあったり、冷却時間や硬直時間があったりするのだが、通常攻撃するよりも余程お手軽で強い。
ではなぜ私が、そんな地味系プレイヤースキルに戦慄を禁じ得ないかと言えば―――単純にその手の速さと精度である。
このQAC、クイックアクションをした時に武器が出現するスペースが無いとクイックアクション自体が失敗し成立しないので、武器を出すタイミングを取るのが意外と難しい。
クイックアクションが早すぎると速度が出ず、遅すぎると相手の剣や体などに武器が出る空間が重なってしまいクイックアクションが不発、最悪モロに攻撃を食らう。実戦で完璧に出来るのは一部の変態系ド廃人だけと言ってよかった。人はそれをPSお化けと言う。
私の超集中状態―――あとで、私が現役時代は未実装だった【思考速度加速】というスキルであることが判明した。―――ですら消えて見えるほどの腕の振りに、正確に合わせるQAC。動体視力と視空間認知と空間認識力がずば抜けていて、クイックアクションのタイミングも完璧でないと成立しない。
しかも、ミルちゃんは大剣二刀流。
それを両手で行うとか、もはや狂気の沙汰だ。
なぜそこまで通常攻撃を極めたのか。
……一応想像はつく。
これは私の想像だが、例えば攻撃倍率10倍で全体モーション3秒掛かるスキルがあるとすると、多分ミルちゃんはこう考えたのだろう。
「じゃぁ3秒で11回通常攻撃すればもっと強いよね!」、と。
馬鹿の理屈である。
脳みそまで筋肉で出来ていなければ、出てこない発想である。
確かに理屈ではそうだが、それを馬鹿正直に突き詰めるなど脳筋を通り越して狂人だ。脳筋狂だ。
……いや勿論、私の想像でしかないけれど……向こうでのゲーム時代の昔のミルちゃんにもその傾向あったし、今の進化した脳筋っぷりを見るに、あながち的外れじゃないと思うんだよね。
この境地に至るまでいったい何万、何十万、何百万回剣を振るったのだろうか。
今のミルちゃんの動きは、思考が動作に、動作が反射に、反射が法則に昇華している。
そう、法則だ。
あの状態のミルちゃんは、間合い内に入ったモノを自動で切り刻む物理法則と言っていい。
ただ、切るためだけに在る物。
彼女の間合いに入ったら切れる。いや、入れば切られる事が確定している。
そうそれは空間そのものが剣という事象。彼女こそが剣。剣撃の極致。
『剣神』、その言葉が私の中に浮かんだ。
圧倒的実力差。存在その物の在り方が違い過ぎる。こういうのを、格が違うって言うんだろうね。
その事実に私の頬は引きつり―――ニヤリと口角を吊り上げた。
大人と子供どころでは無い戦力差。蟻と像、いやミジンコとシロナガスクジラくらい違うかな。
ふと、復活した日にアルバートに語った逸話を思い出し、唇の形が苦笑に変わる。
私を見た当時のこの世界の人たちは、きっと同じような事を思ったのだろうな、とこの年になってやっと昔の人々の気持ちが分かった。そりゃ神みたいに祭り上げられますわ。
吹き飛んだ体を、剣を地面に突き刺すことで無理やり止める。
さて、今の私は挑戦者だ。
救世の英雄どころか、ついこの前まで村娘だった少女にすら劣る存在だ。
今日中に、一太刀……は無理でもせめてその剣界に半歩多く踏み込み、一瞬でも長く踏み留まって、できればミルちゃんを半歩退かせてやる!
目標が低いとか言うなかれ。今の私じゃミルちゃんの髪の毛一本すらろくに切れない。
そして模擬戦開始から、地面に根が生えたようにミルちゃんは一歩もその場から動いていない。
まだ模擬戦が始まって二時間も経っていないのだ。そのくらいの目標にしとかなきゃ途中で心が折れてしまう。
私は目標を定め気合を入れなおし、真剣な顔でミルちゃんを睨みつけた。
それに対して、微笑むミルちゃん。
ここからでも分かるほど長い睫毛と銀色の髪の毛がキラキラと陽光を反射し、淡雪のような美貌は息一つ乱さず小憎たらしいほど、美しい。
戦闘中だというのに一瞬見惚れた。
ちくしょーバケモノみたいに強いのに超可愛い。あれで中身男とか詐欺もいいところだ!
顔に出たのか、ミルちゃんの微笑みが苦笑いに変わった気がした。いいさいいさ、今はオンナノコなんだからあとでじっくり可愛がって―――。
『【狐火】』
私とミルちゃんの気が一瞬逸れた、その瞬間。
左斜め前、フランちゃんの方からぼそりと何かが聞こえ、ミルちゃんが上半身を全力で仰け反らせた。
それと同時に、ミルちゃんの顔があった場所にオレンジ色の炎が舞う。
「あちっ!? あちっ! 睫毛と前髪がちょっと焦げた!」
慌てふためいたミルちゃんが半歩後退る。
……あ……今日の私の目標……。
呆然とする私をよそに、フランちゃんの方からポンッという間抜けな音と、『おお! 母上、尻尾が増えたぞ!』という気の抜ける子狐畜生の声が聞こえた。
タマモェ……。




