金ピカオーラ
ターニャの放った竜の吐息はアルトを飲み込み、その後ろのクリスが張った防御壁すら濡れた紙のように軽々と引き裂くと、大地に巨大な爪痕を残しながら数百メートルを進みやっと消失した。
視界を埋め尽くす、もうもうとした土埃。
「アルフレット!? アルフレットォ! 返事をしろアルフレットォォォオオオ!!!」
竜の吐息に飲み込まれたアルトの姿は確認できず、息子を見失ったアルバートの悲痛な叫びがその場に響き、フランシスカが息を飲んだ。
その惨状を作り出した本人は、覚束ない足に体力回復ポーションで喝を入れ、瞬きもせずに土煙を見つめる。
その瞳には先ほどまでの強い怒りや憤りは見当たらず、最後の切り札を切った者特有の諦めとも達観とも違う、どんな結果になっても受け入れるという潔さが宿る静かな瞳があった。
動揺する周囲、特に連邦の面子の動揺は激しく、狸の老獣人は膝をついて項垂れ、猿の獣人はこの世の終わりとでも言うべき表情を浮かべていた。
連邦としては、これでアルトが死んでいれば聖王国との関係悪化は避けられず、大暴走に対する協力体制など望むべくもない。
よしんば大暴走の規模が予想より小さく、そんな状況でも撃退できたとしても、大暴走後に全世界から非難されるのは必至。各国の代表の目の前で起こった惨事であればごまかしようもない。
ターニャの竜の吐息の威力を知っているだけに、連邦の二人にはその最悪の予想は確信となり、絶望がその顔を暗く塗りつぶす。
“戦争”。その言葉が、全ての者の頭によぎった。
「ぁ……あぁ……ァ…ルト……」
フランシスカの口から嗚咽が漏れた。
目の前の現実を受け入れられず彼の名前を呼ぶが、それは自分でも信じられないほどか細く、到底彼に届くようなものでは無かった。
侮っていた。
獣王の事を、そう、侮っていたのだ。と彼女は圧倒的な後悔と共に思う。
自分が圧倒したから、アルトなら絶対に大丈夫。その根拠のない信頼が、この事態を招いた。
自分が完膚なきまでにターニャを打ちのめし、アルトが戦わなくていい状況にしていればこんな事にはならなかった。そんな後悔が彼女の胸の内を埋めた。
フランシスカの中で、アルトの笑った顔、困った顔、照れた顔、悲しげな顔、嬉しそうな顔、色々な顔が浮かんでは消えていく。
走馬灯のようなソレに余計に胸の内をかき乱され、彼にもう会えないかもしれないという事実に、フランシスカの心は千々に乱れ、膝が折れる。フランシスカは、痛いほどに脈打つ自分の胸を両手で抑えた。
今にも泣きそうな顔でアルトの立っていた場所を見るフランシスカの肩に、そっと手が置かれた。
その手に振り替えれば、ミルが安心させるように微笑みを浮かべ、力強く一つ頷くと視線をアルトの方へ向ける。
その瞳が『大丈夫だよ』と言っているようで、フランシスカは未だ立ち込める土煙に視線を戻した。
不思議とミルの確信めいたその態度にフランシスカの不安は軽くなり、胸を押さえていた両手を祈る形に変え、アルトの立っていた場所を見守った。
泣きそうになっていたフランシスカが多少気持ちを立て直したのを確認し、ミルは嬉し気に顔を綻ばせた。
どうやら気持ちが伝わったみたいだ、と安心する。
ちなみに、彼女が瞳に込めた思いはこうだ。『大丈夫だよ、アルトが死んでも僕がいるから!』。
冒頭しか伝わっていなかった。
全員が息を飲んで見守る中、濛々と立ち込める土埃をこの場にそぐわぬほど爽やかで温かい春の風が押し流す。
その中から現れたのは、未だ健在の、アルト。
竜の吐息が穿った大地の傷跡は、アルトの手前で見事に二つに割れ、後方に抜けていた。
こちらも肩で息をし、濃厚な死の気配に若干顔を青ざめさせながらも、全身に黄金に輝くオーラを纏わせ、光り輝く王剣カリバーンを振りぬいた体制のまま、全くの無傷。
「っ!」
その無事な姿を確認し、フランシスカはこみ上げる熱い想いを押し込めるように口を両手で覆った。
しかし、押し込められた想いは出口を求めるように上へ向かい、フランシスカの切れ長の瞳から、一滴の涙となってあふれ出た。
アルトの神々しくすら見えるその姿に、「おお!」と周囲からもどよめきが起こった。
アルトの眼前で二つに割れた竜の吐息の跡を見て、その場の全員がアルトが竜の吐息を切り裂いたのだ、と理解したのだ。
「なっ!?」
その光景に、驚愕し目を見開くターニャ。
そして次の瞬間には、彼女はアルトに向かって走り出す。
「!? クッ」
それを確認し、アルトは困惑しつつも光を纏ったまま剣を正眼に構え直した。全てを切り裂く聖剣を放ったせいで魔力は空だが、体力はまだある。
しかし切り札を完璧に防がれて尚、これ以上戦う意味があるのかと、アルトを含めたその場の全員が思った。が、ターニャの足は止まらない。
ターニャの体がアルトの剣の間合いに近づく。
アルトの体に緊張が走る。
だが、アルトに飛び掛かるという全員の予想に反し、ターニャは無防備のまま両手を広げてアルトの剣の間合いに入り、そのままさらに踏み込んできた。
そのあまりの無防備さと殺気の無さに、困惑と混乱に固まったアルトの剣を握る手を、ターニャはグワシッと掴んだ、キラキラと輝く目で。
「何だにゃ!? 何だにゃこれ!?!? 全身ピカピカだにゃ!」
「ぅえ!?」
縦割れから普通の瞳孔に戻った金色の瞳をこれでもかと輝かせ、年相応の子供のように剣を持ったままのアルトの手をブンブンと上下に振るターニャに、アルトは面食らった。
「格好いいにゃ! 最高だにゃ!! 素晴らしいにゃ!!!」
「はぁ……? あの、えっと、取り合えず試合は終わりってことでいいでしょうか?」
「いいにゃ! お前の勝ちだにゃ!」
先ほど自分を殺しかけた相手から発せられる、素直で無邪気な手放しの称賛に困惑しながらアルトが思わず確認すると、あっさりとターニャは負けを認めた。
それに拍子抜けし、何かの罠かと警戒したが、ターニャの自分を見る目に宿るのが無垢で純粋な尊敬と憧憬であると感じたアルトは、もう大丈夫だろうと黄金に輝くオーラを解除した。
「あぁ!? 光らなくなってしまったにゃ……」
「……プッ」
オーラを解除した瞬間から見る間に意気消沈し、肩と一緒にピンと上を向いていた尻尾もペタンと地面に落とすターニャに、アルトは思わず噴き出した。
その姿がアルトの妹に被り、アルトはつい妹にするようにターニャの頭をなでると優しい声で言う。
「そんなにしょんぼりしなくても、見たければ何時でも見せてあげますよ」
「ホントかにゃ!? やったにゃー! 絶対約束だにゃ!!」
落ち込んでいたのが嘘のようにぴょんぴょんと跳ねて喜びを表すターニャを、アルトは微笑ましく見た。
やはり、一部文化の違いで戸惑うことはあっても、この娘は年相応の普通の少女なのだと思っ―――。
「で、婚約発表はいつにするにゃ?」
「―――だから、そういうのは無しっていったじゃないですか!」
「えー、いつでも金ピカ見せてくれるってそういう意味じゃないのかにゃ!?」
「違いますよっ!」
調子を取り戻したターニャに、アルトの叫び声が空しく響く。
やっぱりターニャはターニャだった。