プロローグ
「……は? 今何て?」
意を決した少女の告白が聞き取れなかったのか、目の前の男は困惑気味にそう言った。
美しい男だった。金髪碧眼の怜悧な美貌に銀縁の眼鏡が良く似合い、すらりとした長身を神官服に包んだ二十代ほどの男だ。
一方の告白した少女。こちらも目を見張らんばかりの美少女。銀髪紅眼の愛くるしい顔を今は羞恥に火照らせ、白磁のような肌が上気する様は十代前半に見える幼い見た目にも拘らず、えも言われぬ色気を纏っていた。
「だ、だから……」
ほんの数十分で堪え切れぬほど膨らんだ衝動を必死に抑え、震える手でスカートを握りしめる少女。
震える足に力を入れ、今にも溢れそうになるのを必死に堪えながら、いじらしくも一世一代の告白を、幼馴染の男に叫んだ。
「おしっこ漏れそうだって言ってるんだよ!!!」
お漏らし寸前宣言をイケメン幼馴染にぶちかました少女は、どうしてこうなった、と思った。
超絶美少女の幼馴染にそんな宣言をぶちかまされた男も、いや俺にどうしろと?、と思った。
そんなカオスに至った事の起こりは、ほんの数十分前。理不尽なバグから始まったのだ。
■◇■◇■◇■
VRMMO廃人の大谷 稔は困惑していた。
いつも通りにダンジョンアタックしようと相棒とログインし、ペアで現バージョンの最高難易度ID【終焉の境界】に入場した所、なぜか別の場所に飛ばされたからだ。
「なんだこれ。バグ?」
「さぁな。取りあえずどこよここ?」
思わずつぶやいた言葉に返す相棒の声に、そちらを振り向く稔。
そこには見慣れた姿で呆然と周囲を確認する、相棒の栗栖 達郎の姿があった。
金髪碧眼長身の360度どこから見てもキリリとした欧州系クールイケメンが、口を開けてポカンとしているのは、なんとも間抜けである。
そんな達郎の様子にくすりと笑うと、その背後に広がる景色を確認して稔は答えた。
「始まりの町【アダムヘル】の【転生の祭壇】じゃない?、久々すぎて多分だけど、初回ログインで一番最初に出るとこ」
「あー、なんとなく思い出したわ。6年前に数日居ただけで、それから来る機会無かったのに、よく分かったな」
「そりゃもう、ワクワクしながら始めた初VRMMOの最初の光景だったし、この壊れかけの祭壇から見る【世界樹】と大霊峰【イヴェルヴァリア】には、ド肝を抜かれたからね」
「なるほどねぇ」
高校の入学祝に買って貰ったVRマシンで、当時世界最高峰のリアリティと自由度を謳ってβ《ベータ》テスト中だったこのVRMMO【アルトアルカディア オンライン】略してAAOに初回ログイン時、この美麗かつ雄大なグラフィックを効果的かつ唐突に見せつけられ、運営の思惑通りドップリとハマってしまった、ある意味廃人第一歩目の原風景である。
「んで、どうする?一回拠点にテレポするか?」
そう聞いてくる達郎に、少し考えてから答える稔。
「んー。取りあえず、たっつんはバグ報告お願い、こういうのは早い方がいいでしょ。僕はギルメンに【終焉の境界】がバグってるかもって注意しとく」
「おっけー。つかいいのかミル? さっきからずっとオープンチャットで素で話してるけど。あとオープンで本名プレイやめーや」
「あらやだ私とした事が。はしたなかったです、ごめんなさいねクリス」
やっべと思いながらも周りを見回し、幸い誰もいない事を確認してから、素から女口調に切り替える稔。
ちなみにミルというのが稔のプレイヤーネーム【ミルノワール=ロア】。
腰まで伸びた輝く銀髪と、神秘的な赤い瞳、『透けるような』としか表現しえない白く美しい肌の、線の細い儚げな美少女である。
150㎝に全く満たない小さな体に、引っ込むところは引っ込んでいるが出るとこあまり出ているようには見えない、幼児体型とまでは言わないが大人の魅力とも無縁な、微妙な年頃の姿。
何故そんな見た目を稔が選んだかといえば、ひとえに稔が紳士だからであった。
『これが僕の理想だ』と豪語する彼は、この見た目を愛してやまない。
装備もかなりこだわっており、冒険者にはとても見えない深紅と黒を基調としたゴシックドレスは気品と優美さが感じられ、前部は短く後ろに行くにつれ長くなるフィッシュテールスカートと黒いオーバーニーソックスから覗く白いフトモモが見た目年齢にそぐわぬ背徳的なエロスを醸し出す、と本人は主張している。
バイト代のかなりの部分を突っ込んで集めた装備の名は【女帝ヴィクトリアのドレス】、見た目と性能を兼ね揃えた、廃人の名に恥じない逸品である。
一方、クリスが達郎のプレイヤーネーム【クリスタール=ロア】の事である。
先にも述べたが、金に輝く髪、切れ長の碧眼に知的なメガネがよく似合う。190㎝に届く長身と細身ながら鍛え抜かれた肉体を、一般的なゆったりとしたデザインの白い神官服に隠している。
ちなみにこの神官服も、見た目だけは一般的な神官服だが、動きにくいからと見た目を変えているだけで、廃人の例に漏れず神官ツリーのボスドロップ最上位装備【聖アルテナの法衣】をフル強化したものである。
基本性能こそ課金ガチャのレア装備に一歩届かないが、失敗したら装備が壊れる装備強化を、気合と根性と忍耐と睡眠時間を削りMAXにした、ある意味課金ガチャのレア装備よりレアな努力型廃人装備だった。
小中高と近所に住み、幼馴染で腐れ縁の二人が当時話題になっていたこのMMOを相談して一緒に初め、ネタで似たような響きのキャラクターネームにしたうえで、ファミリーネームも一緒にして、兄妹設定でロールプレイを開始したのだ。
『兄妹』という事で分かるように、稔は所謂ネカマである。
VRマシンのパーソナルデータスキャン機能が発達した昨今のMMOでは、性別詐称出来ない物も増えているが、幸か不幸かこのAAOではキャラエディタで性別が選べ、ネカマプレイも出来たのである。
まぁ三年前の大型アップデートの新機能で、その兄妹設定も終わったわけだが。
それはさて置き、チャットをギルドチャットに切り替えようと、システムメニューを開いたミルノワールことミルは、グレーアウトしたメニュー画面を見て、本日二回目の困惑に眉をしかめる。
「ギルドチャットが使えない……? というかギルドウィンドが開かないんだけど……」
「マジで? つかこっちもバグ報告画面開かねーわ。パーティチャットはどう?」
「……ダメ。ギルドもパーティもフレンドも個人も、チャットの項目選択自体が切替できなくなってる」
困惑を深める二人。
「はぁ……。今日でクリスの終焉セット集めようと思って気合い入れていたのに……、仕方ありません、拠点の【ミルドレッド】にテレポを出して下さい。拠点でインベントリの整理をしたら今日はログアウトして仕切り直しにしましょう」
「ははは……まぁゲームのバグにイライラしても仕方ない、ログアウトしたら公式のホームページの方にバグ報告しておこう」
そう答えるクリスに、最難易度ダンジョンに挑む為にギリギリまで詰め込んだ消耗品類をインベントリ画面で確認し、気落ちした様子で答えるミル。
ちなみに終焉セットというのは、中二病心をくすぐるデザインの高性能のセット装備だ。
ミルやクリスの様なステータス・スキル構成ではあまり活躍の機会がない装備だが、その魔王っぽい見た目が好きな魔剣士ツリーの廃人には、最終装備として愛用されている。
ミルはすでに女性用の終焉セットを強化済みで持っているが、クリスはまだ揃っていない為、今日で揃えてしまう予定だったのだ。
使いもしない装備を強化までして揃えているのは、やることの無くなった廃人の戯れである。遊び続ける為の理由のでっち上げ、惰性ともいう。
それはさておき、転移魔法【テレポートゲート】を発動したクリスの顔が苦笑のまま固まった。
「……」
「まさか」
「……メモリー地点が全リセットされてる」
「oh……」
踏んだり蹴ったりとはこの事である。
あまりのバグのオンパレードに、絶句しフリーズする二人。
「はぁ……。取りあえずアダムヘルへ向かいましょうか」
「このままログアウトはしないのか?」
「いったん拠点に戻ってインベントリ整理したいです。アダムヘルの冒険者ギルドなら何箇所か転送サービスを経由すればミルドレッドにも戻れるでしょう。それにお金はロストしないように、IDに潜る前に全て預けてしまったし」
「そうだな、今の俺達は見事に無一文だ」
「でしょう?一応、少しくらい引き出しておいた方が安心です」
そういうと、アダムヘルのある方へ歩き出すミルとクリス。
結局彼らは一番重要な事に気が付かないまま、新たな冒険の第一歩を踏み出すのだった。
楽しんで頂ければ幸いです。
ブクマ・評価・感想など頂けると、励みになります。
よろしくお願いします。