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テレ=エム  作者: 生瀬なます
3/3

1-3 翡翠の血

―マムゥ=ナン教団・経典『血肉の花書《マメン=パピルス》』第四章三節『恩血祭』―


新たにテレ=エムとなりたるもの、『マムゥの口づけ』をうけて血を捧ぐ。

血の雫は脈脈と杯を満たし、マムゥのくちびるを癒す。


マムゥが盃を干し、ザラを継ぎしものが盃を干すとき

地上に新たなる光賜者《テレ=エム》が立つ。


《テレ=エム》こそエムラ=マメンの現人神。

エムラ=マメンの栄華を守護するものなり。

エムラ=マメンの豊穣を約束するものなり。

この地の神マムゥの威光を司るものなり。



・・・・・・

・・・・・・



「……はぁっ……がっはハア」


息苦しさとズキズキとした頭の痛みでダリは目を覚ました。ここはどこだ。

記憶が混線している。ダリはベッドに横たわっていた。その照明の無い部屋を窓から差す月光だけが照らす。


鋭い視線を感じてダリが飛び起きると枕元で彼を覗き込んだのはあのマムゥだった。まさか、もしや、私はマムゥの夜伽の間に意識を失っていたのか。信じられない失態である。


「お、お許しくださいマムゥ!!」


ベッドの上で飛び退き平伏する。そんなダリを冷たく見やってマムゥはキセルに火をつけた。


「いい度胸だな、ダリ。折角私が可愛がってやっているというのにオネンネとはなあ。別に私はお前をあやして寝かしつけたいわけではないぞ?お前が恥じらう様子を楽しみたいだけだ。勘違いするなよ。」


「ハッ。」


齢12の頃より三年、マムゥとの絆を深めるためダリは「マムゥの寝所」に毎晩通っているが、勤めの最中に意識を失うなど初めてだ。ダリが謝罪の言葉を矢継ぎ早に述べてもマムゥは不機嫌そうな顔を崩さない。それどころかマムゥは小さく舌を鳴らすと、ベールの向こうに控えている男を呼んだ。


「おいジンクス、いるか?今夜はもう興が乗らん。このおねんね坊やを連れて出ていけ。」


「……ハッかしこまりました、マムゥ。」


マムゥの不機嫌を察したのか、あのジンクスも口数少なく応える。ダリは惨めな気分になった。よりにもよって『恩血祭』を前にしてマムゥの不興を買うとは、私は何をやっているのか。悔しさのあまり下くちびるを噛みながらダリはベッド降り、着物を直すと、ジンクスとともに寝所をあとにした。


寝所を退出すると、ジンクスが珍しく心配した様子で声をかけてきた。


「ダリ、どうしたお前らしくもない。」


「わからない、気づいたら意識を失っていた。ああジンクスどうすればいい。私は大切な『恩血祭』の前であるというのにマムゥの機嫌を損ねた。」


「落ち着け。あれは元来、気分屋な女だろう。きっと明日にはころっと忘れてる。気に病むな。」


「し、しかし!!」


「叔父上の言ったことを思い出せ。マムゥはお前の顔が大のお気に入りだ、そうやすやすとは愛想つかされん。」


「しかし、もし私のせいでマムゥがエムラ=マメンを見放したら……」


話すたびにますます青ざめていくダリをみて、ジンクスは明るく振舞った。


「おいおいダリ、いいから大丈夫だ。まったく、『教団』の決まりとはいえこの年まで童貞というのも考え物だな、女を知らんから女の気分にいちいち振り回される。」


「なっ……」


「マムゥのやつ、お前に相手してもらなくてスネてるんだよ、そう思えばあのおっかない女神様もかわいく思えてくるだろ。」


「お前はまたそうやって……」


「マムゥは面食い。そしてお前はいい面してる。な?大丈夫だ。」


ジンクスが元気づけようとして気を使ってくれていることに気づいて、ダリは冷静になり、深く息を吐いた。


「ああ取り乱してすまなかった。もう大丈夫だ。」


「おう、顔色悪いが体調は大丈夫か?」


「あ、ああ、寝所を出たら楽になった。私はあそこの香の匂いが苦手なんだ、特に最近、新しい香を使っているみたいだが、あの甘ったるい匂いを嗅いでると気分が悪くなる。」


「新しい香か、気づかなかったな。」


「お前はそういう細かいところに気が回るタイプではないよな。よくそれで女を語る。」


「ハハッ、いつもの調子が戻ってきたな。もう大丈夫そうだ。」


ジンクス皮肉の陰に、安堵の色を感じる。ダリは久方ぶりにこの気の置けない友人の存在をありがたく思った。


「ああ、ジンクスありがとう。」


「気にするな。これも従者の務め、『恩血祭』まではお前に何かあっては困る。お前はとにかくゆっくり休め。」


頼れる友の言葉にこころのつかえが取れ、ダリはとにかく寝床に入って休もうと切り替えた。何があろうと私はエムラ=マメンの守護者たる存在となる。今日の情けない失態は一旦忘れよう。私が今考えるべきことは、『恩血祭』の儀を粛々と遂行することのみなのだから。



・・・・・・・

・・・・・・・


マミル歴 四月十五日。『恩血祭』最終日。


遠く歓声が聞こえる。


ダリは真紅の神官装束身を包み、儀式が行われる『乞神園』中央の祭儀場へ向かいながら、マムゥの寝所で失態を犯した晩以来の日々を思い出していた。


失態の翌晩、恐る恐るマムゥの寝所を訪ねたところ、果たしてジンクスの言った通り、マムゥはけろっとした様子でダリを迎え入れた。拍子抜けしたダリをマムゥはいつものようにやさしく淫靡な手つきでなぶった。ダリはマムゥに媚びるように、自ら進んで彼女の手遊びに呼応して声をあげた。そんな彼の痴態をみたマムゥはひどく満足げにみえた。もう大丈夫だ。マムゥは簡単に私を見放したりなどしない。なんの目立ったとりえもない自分だが、マムゥには気に入られた。男らしさのない自分の顔が好きではなかったが、マムゥがこの顔を好み、彼女との絆を強固に結べるのであれば、自分にもやれる。マムゥを喜ばせることができる。


歓声はますます大きくなる。


 乞神園の前には、新たなテレエムの誕生を祝うためにエムラ=マメンの人々が詰めかけ、外は群衆らのお祭り騒ぎだ。今頃、町中の建物という建物はマムゥの好む深紅の布で飾りたてられ、町中が血に浸ったような様相を呈していることだろう。『恩血祭』は、マムゥの恵み・土地の豊饒を喜ぶ祭りでもある。エムラ=マメンの人々はここ一週間狂ったように『恩血祭』を祝っている。


いよいよ、『恩血祭』。血の交わりが始まるのだ。


最後にクズネリの葉で作られた頭飾りをつけられたダリは『教団』の神官たちに導かれ、『乞神園』の中央に位置する、大祭壇の間へと足を踏み入れた。重々しい扉を開けると、すでにそこには百近い『教団』の神官らが並び、「その時」を待っていた。そして、仰ぎ見るほど高く作られた祭壇の最上にはエムラ=マメンの女神マムゥその人が鎮座していた。ダリは彼女を見上げたが、その表情から感情らしいものは読み取れない。


居並ぶ神官らの中央から見知った顔が覗く。珍しく教団服に全身を包んだジンクスであった。いつもは快活で、ダリを見るたびに絡んでくる彼も今日はテレ=エムの一族として『恩血祭』を取り仕切る大役を仰せつかっている。その表情は険しい。


ダリはジンクスによって、祭壇と向かい合う位置に置かれた金の装飾椅子に導かれる。ダリが着席すると、それに応じて神官らも一斉に膝を折って祈りを始めた。神官らの祈りの声はこの広間にこだまし、ワンワンと耳鳴りがしてダリは再び気分の悪さに襲われる。しかしもう後戻りはできない。しばらくするとジンクスが盆に奇妙な形状をした黄金の器具を載せて運んでくる。これが『マムゥの口づけ』・・・


マムゥのくちづけ。


新たにテレエムとなるものは、まず左の上腕に『マムゥの口づけ』と呼ばれる、親指大の鉄棘が二つついた器具で腕に傷をつける。ダリは痛みのために表情を崩さぬよう堪えながら、この器具を腕に突き刺した。器具を外した彼の腕には牙を持つ獣がかみついたような穴が二つぽっかりと開いていた。

すると脇にいた神官が、つけたばかりの傷口にドロッとした褐色の軟膏を塗りこむ。この軟膏はエチャの葉から作られた「血を止まらなくする」作用をもつ特殊な薬である。出来たばかりの傷口からは真紅の血が流れ始め、ぼたぼたと床に垂れていく。エチャの薬のせいか、二つの穴からはゴポゴポと泡をたてて血があふれている。そこで、ジンクスが巨大な青銅製の盃を構えたため、ダリは腕を盃の上に持ち上げた。ダリの血は腕を流々と伝い、盃を満たしていく。


その急速な失血はまずダリの左腕の感覚を奪い、そして次第に彼の視界を霞ませた。血は勢いよく杯を満たしていったが、その杯の大きさはジンクスが町で好んで飲む白ビールの大杯よりもさらに大きかった。ようやく盃がダリの血で満たされたころには、ダリはほとんど気を失いかけていた。


ぼうっとした視界のなかでダリはマムゥが祭壇から降りてくるのを見つめた。マムゥはジンクスからダリの血で満たされた盃を受け取り一息であおると、新しい金の盃を掲げるジンクスを一瞥して、自身の上腕をザックリと自らの爪で無造作に切り裂いた。同じようにマムゥの血が盃を満たしていく。


意識朦朧としていたダリであったが、そのマムゥの血の注がれた杯を見てダリはぎょっとした。


杯になみなみと注がれたマムゥの血は透き通った「青」をしていたのである。

まるで翡翠を溶かしたような、目覚めるような蒼。


明らかにこの世の理を外れた異物。これを飲み干し、肉体の内に取り込めばもう、後戻りはできないのだとダリは感覚的に理解をした。


盃を自身の血が満たしたのを確認し、マムゥは小さく何かを唱えた。すると彼女の上腕の大きな傷口はひとりでにすうっと閉じていく。それを見届けると、豪華な神官装束に身を包んだ父ベルルが進んでマムゥにひざまずく。


「偉大なるマムゥ。その祝福を新たなるテレ=エムに与えられますよう。」

「テレ=エム=ベルル。これまでのそなたの献身、まこと大義であった。主に与えた我が恩恵は新たなテレ=エムに変わらず与えることをこの地に誓おう。」


マムゥの辞を聞いてベルルは満足そうに頷き、居並ぶ神官らのほうをふり向くと高らかに声を上げた。


「マムゥの恩賜に祝杯を《ゲオン=クエル=マムゥ》!!!」


「「「ゲオン=クエル=マムゥ!!!!!!!!」」」

百を超える神官らが一斉に唱えた。


ダリはその異様な雰囲気に飲まれ極度の緊張を覚えた。頭がズキズキしてくる。


「それではダリ。」


大司祭ベルルに一礼をしてジンクスがマムゥの盃を持ち上げ、ダリのほうへ向かってくる。呼応してダリもふらふらと立ち上がる。これを飲めばマムゥとダリの絆は生まれ、ダリは50人目のテレ=エムとなる。


しかし。


怖い。怖い。怖い。


ぼうっとするダリの頭に浮かぶのはそれだけだった。嫌な汗が止まらない。動機が激しくなり、吐き気がしてくる。今すぐこの場を逃げ出したい。


盃を恭しく拝するジンクスと目がじっと合う。


「ダリ、顔色が悪いぞ。」


ジンクスは小声で囁く。


「ジンクス…私は・・・」


友の顔をみたダリは急に力が抜けて、儀式の間にも関わらず彼の言葉に応じた。

それを見てジンクスはかすかに笑う。


「臆したか。」

「いや……」

「臆したのかと聞いておる!!!!!!」

「ジン…クス……?」


ジンクスの怒声は広間に反響した。『教団』の変わり者として知られるジンクスであったが、こと『恩血祭』に関しては、その責任を一身に背負い用意を進めてきた。『恩血祭』の進行を妨げる彼の言動には神官らも戸惑っている。


「ハハッ やはりだ。やはりやはりやはり!!!お前は器ではなかった!!!」


「お前にはこの血の約定はつとまらん。喜べ、その役割、俺が代わってやろう。」


「な…にを……ジンクス……」


そういうとジンクスは最後に一度だけダリの目を見返し、

そしてその手に持った杯をぐっと飲み干した。そこに入ったマムゥの血を、一滴も残さず。


「おいジンクス!!??なにをやっている!!!」


激昂し叫んだベルルであったが、直後彼はその口からドロッとした血の塊を吐いた。

目を見開いたベルルが自分の胸を見やると、彼の胸からはマムゥのほっそりとした白い手が突き出ていた。そのかたちのよい白い手はベルルの血で赤くつややかに濡れている。


マムゥはベルルの胸からゆっくりと手を引き抜くと、どよめく『教団』の神官たちに、その凄惨な混沌に似合わぬ、美しく、慈愛に満ちた表情をもって語りかけた。


「エムラ=マメンの地に生きるものたちよ、わが祝福の子らよ、歓喜せよ。」


「血を仰ぎしザラの現身、ジンクス。」


「新たなる光賜者《テレ=エム》の誕生である!!!!!!!」



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