1話 迫り来る予感
「これでよし……っと」
俺は目を通した書類を机の上に置くと、椅子の背もたれに寄りかかった。
そして、机に設置された「神僕検察官 ラムダ=コーミラン」のプレートを見て、軽くため息をつく。
神僕検察官――それは、神が選定し、神に仕えるための職業である。
元々この職業は存在していなかったのだが、世界大戦が終わったある日、突然人々の前に現れた(伝承では大昔は頻繁に人々の前に姿を現していたらしい)女神カヤナルミが、疲弊しきった国を立て直すため、或いは単に暇つぶしをしたかったために、創設したと言われている。
職務内容はと言うと、主に裁判に関係することである。
この国には、犯罪者を裁判にかけるために裁判所に起訴する職業が、2種類存在する。
一般検察官、通称公僕検察官と、俺のような神僕検察官だ。
通常、法律を犯した者は、警察に逮捕された場合、規定の手順に従って、被疑者(容疑者)として、検察官に判断が委ねられる。
そして検察官はその容疑者に対し、裁判をすべきかどうか判定を行い、あるいは必要に応じて調査、捜査を行い、裁判所に対して起訴の有無を決定する。
これは通称『通常法廷』と呼ばれる裁判で、一審目は起訴、二審目は控訴、三審目は上告と呼ばれている。
通常法廷は三審制となっており、一般検察官または神僕検察官によって起訴が行われ、まず下級裁で審理が行われる。
そして下級裁の判決に不服がある場合は、一般検察官または神僕検察官、もしくは被告側によって上級裁に控訴が行われ、そこで審理が行われる。
さらに上級裁の判決に不服がある場合は、一般検察官または神僕検察官、もしくは被告側によって最高裁に上告が行われ、そこで審理が行われる。
つまり、最大三度裁判が行われる。
一方、神僕検察官の仕事は、主にふたつ。
ひとつは前述した通常の裁判官によって行われる、『通常法廷』と呼ばれる裁判の、検察官を務めること。
『通常法廷』における一般検察官の代役を務めたり、手助けしたりする業務が発生する。
もっとも、こちらはどちらかと言えば亜流の業務に当たる。
どこの組織でも縄張り意識という物は強いが、一般検察官もその例に漏れず、本来であればこの業務が回ってくることはあまりない。
今のように大量に仕事が回ってくる状況は、どちらかと言えば珍しいケースに直面していると言えるだろう。
そしてもうひとつは、神が判事となって行われる、『神判法廷』と呼ばれる裁判の、検察官を務めること。
神判法廷は一審制で、神僕検察官にしか起訴が行えない。
通常法廷で納得がいかない判決が出た場合や、通常法廷では扱えない案件、または神命によって容疑者の確保が命じられた場合などは、神僕検察官が責任をもって、神判法廷に起訴を行わなければならない。そのため、責任やリスクが大きく、神から選ばれ任命された人間以外つくことが不可能な職業である。
リスクが大きい分収入も大きく、給与は一般検察官の10倍以上。
さらに、神僕検察官用の法律も制定されている。
代表的な物としては、必要に迫られた場合、殺人行為も許されていることであろう。
これは一般検察官と比べて、格段に危険な業務を遂行しているからに他ならない。
もっともこの法律に対しては、非人道的だとか騒ぐ輩が一定数いるのだが……
また、神僕検察官は右手の薬指に銀色の女神の指輪をはめているが、その指輪は自分の意思で可視化したり、不可視化したりすることも可能だったりする。
そして、その指輪が身分証明として使用される。
なので、普段は不可視化させおき、必要に応じて可視化させるのが一般的な使われ方だ。
無用なトラブルを避けるため、俺も普段は不可視化させて周りから見えないようにしている。
もっともこの指輪は、『身分証明』としての役割しか用途がなく、この指輪を身につけたからと言って、神の力が使えるようになるわけではない。
むしろ、特別な力をもった人間が、『神僕検察官』として任命されることになる。
俺や俺の父もそうであったし、他の神僕検察官もそうだ。
(父さん……俺、頑張ってるよ)
俺は物思いにふけりながら、右を振り向く。
視線の先には、棚の上に置かれた写真立てがあり、その写真には海岸の砂浜で仲良く微笑んでいる3人の親子の姿があった。
写真の中で微笑んでいる、俺の両親は既にこの世にいない。
父は6年前、俺が神僕検察官を志すきっかけを作ったある事件で死亡した。
母はよく覚えていないが、俺が3歳の頃に病気で死亡したらしい。
そして俺は一人っ子だったため、兄弟姉妹は存在しない。
つまり、この家には俺ともう一人、執事の爺の計二人しか住んでいないことになる。
神僕検察官となってからかれこれ4年。
最初は不慣れな仕事であったこの職業も、だんだんと慣れてきた。
おかげで最近は、各方面からいろいろと仕事が持ち込まれ、なかなか気が休まらない日々が続いていたりする。
まぁ、それでも次の公判には余裕を持って臨めるだろう。
それにしても、最近働き過ぎだよな……休みがほしい……
そんなことを考えていると、部屋のドアがコンコン、とノックされた。
「どうぞー」
俺が声をかけると、ガチャリと音を立てて、ドアが開かれる。
そして、黒の執事服に身を包んだ、顔に皺が刻み込まれた白髪の男性が現れた。
「坊ちゃま、お茶をお持ちしました」
「ああ、そこに置いといてくれ、爺」
俺は姿勢を正すと、机の上を整理し、空きスペースを造る。
白髪の男性は、そのスペースに茶托を置き、その上にお茶が入った湯飲み茶碗を置いた。
「丁度喉が渇いていたんだ。助かるよ」
俺は置かれた湯飲み茶碗を手に取り、お茶を飲む。
うーん、心が落ち着く。
「坊ちゃま。執務室にこもって業務に励まれるのも結構ですが、たまにはゆっくり休みませんと。根を詰めすぎるのもよくないですぞ」
爺の言葉に、俺は思わず苦笑する。
「最近は神判法廷案件が全くない代わりに、通常法廷案件が増えまくってるからなぁ」
そして机の上に堆く積み上げられた種類の山を見て、ため息をつく。
「それよりも、爺だって無理しないでよ。俺にあわせて、遅くまで起きていなくていいんだからさ」
「ホッホッホッ。坊ちゃまが早くお休みになるようでしたら、考えるとしましょう。それにしても――」
爺はいったん言葉を句切る。
「その黒髪といい、その黒眼といい、その凜々しいお顔立ちといい、その仕事熱心なところといい。ますます旦那様に似てきましたな。優しいところは奥様を受け継いでいるようで、爺としては嬉しゅうございます」
そう言って、ポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う仕草を見せる。
彼の名はメネラス=ファーレン。
長年コーミラン家の執事を務めてくれている、頼りになる初老の男性だ。
温和な表情から人柄をうかがえて、お世辞抜きでまさに執事の鑑と言える人だ。
つまり、爺が俺の親と言っても過言ではない。
なので、俺は爺に頭が上がらなかったりする。
「まぁ、程々に休むようにするよ」
俺は再度お茶を飲む。
ふと、玄関の呼鈴が鳴り響く音が聞こえた。
「……来客ですかな? 様子を見てきます」
「ああ、頼む」
爺は恭しく一礼すると、部屋を出て行き戸を閉める。
俺は再び湯飲み茶碗を手に取り、お茶を飲んだ。
「あー……落ち着く……」
そしてホッと一息。
「……旅に出たいな……」
そして零れ出る本音。
(本気で旅行計画立てるかな……)
この国の様々な風景を思い浮かべながら、湯飲み茶碗を茶托に置く。
すると、まるでタイミングを合わせるかのように、再び、部屋のドアがコンコン、とノックされた。
「どうぞー」
俺は声をかける。
先程と同じようにドアが開かれ、爺が姿を現した。
「坊ちゃま、お客さまです」
「客?」
俺はその一言に、首を傾げる。
こんな職業柄のせいか、相談や依頼を抱えた来客もそこそこあったりする。
まぁ、中にはペットの犬を探してほしいとか、一緒に駄菓子屋に行って欲しいとか、絵本を読んでほしいとか耳を疑いたくなるような依頼もあったりするのだが……
それはさておき、今日は誰とも会う約束をしていなかったはずだ。
「はい。かわいらしいお嬢様がお二方ですね」
「えっ?」
続けて発せられた爺の言葉に、俺は目を瞬かせる。
飛び込みの依頼か? だが、それだったらアポをとるなり、何らかの事前連絡があるはず……なんだか面倒事の予感がするな……
「既に応接室でお待ちですので、お早めにお願いします」
「あ、ああ……」
しかし、俺の疑問を遮断するかのような爺の態度に、俺は椅子から立ち上がると、爺の後について部屋出た。