八譚 お菓子と禁忌と歓迎会
次の日……。
「遅かったわねカズ! 四月十三日金曜日! 不吉も不吉! 奇譚研究にはもってこいの一日よ!」
「うれしくねー情報をどうもありがとう……ていうかなんだよその荷物の量は。奇譚じゃなくて鉱脈でも探しに行くのか? あんな山じゃ金はとれねえぞ?」
「乙女心が分かってないわねえアンタ。だからもてないのよ……女の子がお泊りをするのよ? それ相応の準備ってもんが必要なの。パンツだけあれば一晩過ごせる野郎と一緒にするんじゃないわよ」
「へーへー……」
いつものように桜花市せんげんだいの駅に到着をすると、改札の前で小夜は私を待っていた。
登校時間ではあるが、私は人ごみが嫌いなのでまだ人がまばらな時間にいつも登校をしていたのだが。
それよりも早く駅で待機していたということは、よほど小夜は私を早い時間から待っていたのだろう。
彼女がどれほどこの合宿を楽しみにしていたのかは、その背中にしょわれた女子が背負うには膨らみすぎているバックパックを見れば容易に推し量れた。
二人きりになると途端に静かになる我々の関係であったが。
今日に限っては例外らしく、小夜は腕を子供のように振ってはしゃぎたてる。
「研究会の存続がかかってるんだもの、会長が気張らなくてどうするのよ」
「そうかいそうかい……それで? なんでお前はこんなに早くにここにいるんだよ。まさかライライと志穂を待つのか?」
はじめ、彼女がここでわざわざ私を待っていたのは……何か午前中のうちに決めておきたいことがあったからなのだと思った。
「いや、待たなくていいわよ。 ライライは結構ぎりぎりに登校するし、逆に志穂はどれぐらいに来るか見当もつかないから。あんたがいればいいわ……というよりもあんたを待ってたのよ」
「俺を待ってたって……」
その時、言葉に詰まった私は、昨晩祖母と話した会話の内容を思い出し……おそらく頬を染めていた。
ありえないと分かっていながらも……どこかで意識してしまったのだ。
「荷物持ってもらおうと思って」
だが現実は非常である。
こうして私は、祖母の思惑通りにからかわれたのであった。
■
その日の学校生活は特に何事もなく進み、何事もなく終了した。
もともと合宿以外は特別なことをしないため当然なのだが、いつもと違うことをするまでの時間とは……何か特別なことがほかにも起きそうで心が震える。
子供らしい表現をするならそう……私はその日一日中ワクワクしていた。
それは隣の席の小夜も同じなようで……やけに時間を気にする彼女の姿は、散歩の時間を待つ子犬の様。
時折目が合うと、彼女はばつが悪そうにすぐまた優等生の顔に戻るのだが……またすぐにそわそわと時計を確認し、子供のように瞳を輝かせだす。
そんなやり取りが、今日一日だけで十回は続き……私はそんな彼女の子供らしい姿を知り、ライライと一緒にそのことをからかってやろうかとも授業中画策をしたが。
授業が終わるころには、そんなくだらないことは合宿への想いで塗りつぶされてしまっていた。
そして……待ち望んだ授業終了のチャイムが鳴り響き、私たち奇譚研究会の活動がは始まることになる。
当然のことながら、最初に話しかけてきたのは彼女からだ。
「終わったね。……あんたはどうするの?」
「そうだなぁ……とりあえず購買でなんか買ってから研究会に行こうかな」
「あら、殊勝な心掛けね。私も行くから一緒に行きましょ。ライライには志穂を連れて先に向かってるように言ってあるから」
「殊勝? どういうことだよ……」
「なんだ……呆れた、少しは気が利くのかと見直した私がばかだったわ……まあいいわ行きましょ」
「あ、こらちょっと待てよ」
つかつかと荷物をもって歩いていく小夜、それを私は追いかけた。
放課後の廊下は騒がしく、部活に向かう者、帰宅するものの合間を縫って私と小夜は一階にある購買へと向かう。
「まったく失礼な奴だな。俺はただ報告書作成前に腹ごしらえをしておこうと思ってだな」
「はいはい、そんなことだろうと思いましたよ。だけどねアンタ、自分の腹ごしらえもいいけどその前にやることがあるでしょうに?」
「やること? 報告書作成よりも先に?」
「にっぶいわねぇ。 新たなメンバーが奇譚研究会に参入するのよ?」
「あぁ……それで?」
「歓迎会よ歓迎会! お菓子買ってジュースも買って、盛大に志穂を迎えてあげなきゃ!」
「歓迎会って……まぁ確かに歓迎は必要だろうけど。今日はやめておいたほうがいいんじゃねえか? 羽目を外しすぎて報告書ができませんでした……じゃ話にならないだろ?」
「バカねえ、私がそんな女に見える? 時間配分もしっかり考えてあるわ。一通り歓迎をしたら、切り上げて報告書作りを始めるの。やるときはやる、気を抜くときはしっかりと抜く。それができるかできないかで人間の人生は勝ち組になるか負け組になるかが決まるのよ」
「な、なるほど? 確かにメリハリは大事だな。だがぼっちなお前が勝ち組かと言われればそれは甚だ疑問だが」
「シャラップよ、それ以上は私の左ひじが飛ぶから注意しなさい」
「横暴な……はいはい、分かりましたよ勝ち組のお姫様」
一階へと降り、少し歩いた先……扉一枚隔てた場所に購買部はあり、私はいつもの通り小夜の口車に乗せられるようにその扉を開く。
「あんたにしては素直でよろしい……さて、お菓子だけど何がいいかしらね? アイスでもいいと思うんだけど」
「溶けたら厄介だぞ? 冷蔵庫はあっても冷凍庫はないからな……春とはいえ西日が差し込むぞあそこ」
、
「そうね……。ここはおとなしくクッキーにしておきましょうか?」
「あぁ、それに煎餅にチョコレート」
「チョコレートは溶けないかしら?」
「チョコは冷蔵庫に入れておけばいいだろ? 形は多少……崩れるかもしれないけど」
「まぁ、誰も気にしないか……志穂もそんなタイプじゃなさそうだしね。それよりも、何か大事なもの忘れてないかしら? カズ」
「ポテトチップスだろ? いいのか? 女子高生にとっては七つの大罪に数えられる食べ物だって聞くけど」
「これから七不思議に挑むのよ? 七つの大罪なんて恐れてどうするのよ」
「七つの大罪と七不思議は関係ないだろうに罪と不思議じゃ大違いだ」
「七不思議も七つの大罪も似たようなものよ。七つの大罪は行動を戒め、七不思議は踏み込むことを戒める。そんな禁忌に踏み込む私たちが、今更女子高生が作った与太話に二の足を踏むなんて滑稽でしょ?」
禁忌……という言葉に、祖母の話を思い出した。
「七不思議が禁忌だなんて、随分と大げさじゃないか? せいぜい俺の知っている七不思議は、三番目のトイレをノックすると返事が返ってきたり、真夜中の教室でピアノの音が聞こえるとかいうのが関の山だぞ?」
「それは小学生ぐらいの七不思議でしょう? でもそれもひとつの禁忌よ」
「ノックで返事が返ってくるのがか?」
「いいえ、こちらの場合は七不思議なんて言いながら、全部が全部同じことを禁忌としているの」
「というと?」
「トイレから手が生えてくるのも、夜中にピアノが鳴り出すのも、開かずの間に閉じ込められるのも……全部が夜の話、もしくはたった一人でいるところで出くわすとされているわ」
「用もなく学校に居残るなって言いたいのか?」
「それもあるわね……決まった時間にちゃんと家に帰っていれば怪異には出くわさない。まっすぐ家に帰りなさいって意味が込められているのもひとつ」
「まだあるのか?」
「ええ、重要なのは孤立しないようにって言い聞かせてるの」
「耳の痛い話だ……だからこそあえて、なんで? と問おう」
「あんた、本当にひねくれものよね……まぁいいけど。怪異は孤立した子供を襲うでしょう? それは現実でも同じこと。子供という弱い存在は悪い大人の悪意に狙われやすい。でも子供は誰しも大人に自分は常に愛されると勘違いをしがちなもの。本当に怖いものは人間のはずなのに……怪異の方を怖がってしまうような子供は、何が本当に怖いものなのかの区別すらつかない。ならば、子供たちが自分たちの身を守るためにはどうすればいいか? 答えは簡単……怪異を作り上げればいいのよ、子供が怖がるようなね。そうすればまず近づかないし、近づくとしても大人数で挑むでしょう?」
「なるほどね、子供はやるなって言われると絶対にやりたがるが、不思議とお化けには近づかないものな……でもそれ禁忌っていうのか?」
「子供にとっては禁忌でしょう? 実際破れば、怪異よりも恐ろしいものに喉笛をかじられるんだから」
「……恐ろしい表現をするな、想像しちまっただろう」
「あら、案外気が小さいのねあんた」
「平和主義と言ってくれ……だけどよ、七不思議にそういった戒めが込められているんだとしたら、俺たちが踏み込もうとしている場所も【禁忌】って言えるんじゃないのか?」
「まぁね……だけどねカズ。【禁忌】っていうものは風化もするし姿も変えるものよ?」
「姿を変える? なんだ……遥カ見様にも衣替えがあるのか?」
「おバカ。そういうんじゃないわよ……例えばこの遥カ見様だけど、この気まぐれな神様は森に出現する神様なの」
「森? ここらに森なんてあったか?」
「昔はここら辺一体は森だったらしいわ。遠くのほうに雑木林があちこちあるのがその名残ね。そして、そんな森に住む神様として遥カ見様は恐れられていたそうよ?」
「七不思議よりも前に遥カ見様はいたってことか?」
「そうね……伝承が形を変えて七不思議に組み込まれたのね。本に書いてあったけど、もともと遥カ見様っていうのは裏山に住んでいたクマのことを指していたらしいのよ」
「くま?」
「ええ、おっきなクマよ。 遥か遠くを見渡せるほど大きなクマで……裏山を住処としていた、そんなクマが時折ふもとの森まで降りてきて人を襲ったの……そうして遥カ見様の伝説が生まれたのよ」
「むやみやたらに裏山に近づくなって禁忌としてか?」
「ええ、こういうお話にしておけば、子供に対しても大人に対しても有効でしょ?」
言われてみれば確かにそうである。
人間不思議なもので、クマが出ると言われるよりも、得体のしれないものがうろついていると言われたほうが慎重に行動をするようになる。
「春の訪れを教えるって……あぁ、冬ごもりから出てくるってことか」
「そういうこと……だけど今あの裏山にクマなんていると思う?」
「いないな。週に3度は運動部が体力づくりのトレーニングに使ってるって話だぞ」
「そうね、形を変えたっていうのは【禁忌】の中身は消え去ったけれども、【伝承】は消えていない。そうやって、中身だけが消えた抜け殻のような伝承こそ私たちが研究するべき【奇譚】なの」
「教訓から娯楽へ形を変えたのか」
「そういうこと、かつて信仰されていたギリシャの神々が、今ではただの娯楽用のキャラクターでしかなくなってしまったように。ハルカミサマも教訓からキャラクターへと変化をしてしまった。私たちが喜びそうな、あったらいいなという幻想になってね」
「なんか、悲しいなそれは」
「あら、私は好きよ。怪異はこの世界で最も身近なファンタジーだもの。それに……人よりもはるかに長い年月を、形を変えて生き続けるなんて、ロマンチックだとは思わない?」
「人さらいの怪物にロマンチックを求められても賛同しかねるな、オカルトマニア」
「そこは賛同しなさいよ、根暗詐欺師」
口を膨らませる小夜に対し、私はその時そういったが……今にして思えば彼女の発言には一つ間違いがあった。
大人になると、もはや人は怪異を~あったらいいな~という風には感じられなくなる。
高校生という、心が未成熟で大人になり切れていない心だからこそ。
~奇譚~という現実の中に潜む、ファンタジーとしての力にも魅せられる。
この夢と現実の入り混じった世界に身を浸す感覚はこの時だけしか楽しめないものであり……当時の小夜も私も、そのことに気づくことはない。
口ではありえないと語りながら……夜中に不思議へと挑む私たちは、何かが起こればいいと心の片隅で期待をしていたのだ……自分でも知らないうちに。
あるいはこの感情こそが……怪異の正体なのかもしれない。
「……とまあ、長話をしている間に随分と買い込んじまったな」
手元を見るとそこには籠一杯になった山積みのお菓子。
「いいんじゃない? どうせまた明日も食べるんだし」
「それもそうか……」
レジにいる購買のおばさんに籠を渡すと、少しばかり面倒くさそうな表情を漏らしたが、そんなことは気にせずに、財布を取り出す。
と。
「あぁ、それとねカズ。私今手持ちないから建て替えといて。 卒業までには返すから」
「はぁ!? お前まさか、購買に誘ったのって!?」
抗議をしようと振り返るが、その時すでに小夜は購買部から立ち去っていた。
まったくもって抜け目のない奴であり……。
「3540円よ」
購買部のおばさんの無機質な声だけが、購買部に凛と響き渡った。