一譚 2008年4月12日~奇譚研究会~
10年前―――
「あー……どうしようババ引いちゃったよ」
「負けたらジュースおごりだからな」
「私お汁粉でよろしくー」
「まだ負けてないから、こっから逆転するから!」
「そう言ってライライ、お前ババ抜きじゃ一度も勝てたことねーだろ」
「顔に出ちゃうからね」
「うるさい! サヨもカズも吠え面書かせてやるんだからな、覚悟してるがいいさ! 今日の俺は一味違うんだ! 何せ朝の占いでいて座が一位だったんだからね!」
「俺の見た番組だと、いて座最下位だったぞ」
「あ、それ私もみたわ」
「あれえぇええ?」
高校生活といえば部活動という人間もいるほど、スポーツや芸術に打ち込む人間は多いが、そうでもない人間もいる。
少なくとも私はそういう学生であった。
外でボールを蹴ったり投げたりするよりも、筆を執って真っ白なキャンバスに思いの丈を表現するよりも……図書室で借りてきたCDを外に音が漏れないぎりぎりの音量で流しながら、ポーカーやババ抜きを友人と面白おかしく楽しむほうが、よほど高校生活を謳歌していると言えるはず。
そんな考えの人間たちが作り上げた「避難場所」こそ、桜花高校奇譚研究会であり、当然のことながら私は全力でそこでの生活を友人と共に楽しんでいた。
「ほいっあーがり、俺コーヒーね。甘いやつ」
「私も上がりー、お汁粉よろしくねーライライ」
「だーー!? なんで負けちゃうのかなぁ? ずるしてないよね二人共!?」
「まぁそれ以前の問題だな」
新井 康生……通称ライライは、そのお腹と同じくゆったりとした性格の人間であり、この高校ではじめてできた友人でもある。
性格はその見た目の通り温和で善良……。
授業の五分前には席に着きノートと教科書を開き、苦しい家計を助けるために土曜日と日曜日には遅くまでアルバイトをして、家にお金を入れている。
酒に酔って、実の息子の首に二度と消えない傷を作るような親から生まれたとは思えないほど裏表のない誠実な人間、というのが世間の評価であり、教師からも同級生たちからも愛される存在だ。
まぁその愛されるはモテるというよりも、マスコットとしての愛され方に近く。
彼としては不服らしいのだが……少なくとも当時【詐欺師】などという不名誉なあだ名をつけられていた私、井上 和弘などよりはよほどましだろう。
「今日は絶対ついてるはずなのに……ちくしょぉ。次は絶対勝つんだからな!」
ここまではいつもと同じ発言である。ところどころ毎度セリフは変わるが、似たような捨て台詞を吐いてライライはいつもこの部屋から去っていく。
たまに私や小夜が出ていくこともあるのだが……たいていはライライが出ていくことになった。
「いっちゃった……」
「いつものことながら……あいつがいなくなると静かなもんだ」
「あんたがいなくなってもそうよ」
くすくすと悪辣に笑う姿が印象的だった少女、水無瀬 小夜は奇譚研究会の会長であり創設者であり、当時の私たちに居場所を作ってくれた恩人でもある。
成績優秀にしてスポーツ万能。容姿も端麗でいておまけにお金持ち。
少しばかり控えめな胸元が彼女の唯一の弱点ではあるが、その美貌の前にはそんなものは飾りでしかない。
そして何よりもほかの女生徒にとって不運だったのが、小夜自身がおしゃれというものにまったくもって感心がなかったという点だ。
きっちりひざ丈のスカートに、ぴっちり第一ボタンまで留められたシャツ。
爪も髪も染めることはなく、申訳程度に髪をポニーテールに結わえているだけ。
周りの女生徒が対抗をするようにスカートの丈を短くしても、シャツのボタンを二段目まで開けたとしても……男子生徒の視線を奪うことは出来ないほど彼女はひとつとびぬけた美人であり、いつも頭を悩ませるようにため息をつく生徒指導の教師が、彼女を見るときだけ満面の笑みを見せるぐらいだ。
そんな彼女だが、第一印象はあまりよくはなかった。
奇譚研究会の会員になる以前は、会話は愚か笑顔など一度も見たこともなく、恐らくほかの生徒も誰一人彼女の本性を知るものはいなかった。
いつもつまらなそうな顔をしては、無表情な優等生らしく冷たい視線を人々に向けており、女性とも男子生徒とも友人を作ろうとはせず常に天涯孤独……。
隣の席になり、そんな姿が良く目に留まったためだろう。男子生徒たちが美人だ高嶺の花だと騒ぐ中でも、私は今いち好きになることができなかった。
───あんた、暇そうね? 私と研究会作らない?───
だから席替えで隣の席になったとき、開口一番にそう言われたときの感想は、なぜ? であった。
あの時の光景はおそらく、忘れることはないだろう。
初めて見せた悪だくみをするような邪悪な笑みは、私が思い描いていた彼女の姿とはまるで正反対で、そのままあっさりと私は奇譚研究会の創設メンバーとなることになった。
優等生とは違う本当の彼女の顔、それは奇譚研究会員しか見ることのできない特典だ。
この表情は、恐らく私とライライのみが知る彼女の自然な笑みであり。ここでの彼女はいたって普通の悪戯好きの高校生……そんな当たり前だが、誰も知らない真実は、ひそやかに私たち負け犬二人がほかの生徒たちに誇れる自慢でもあった。
今思うと私はこの子の笑顔が好きだったのかもしれないが……その時のあやふやな感情をもう思い出すことは出来ない。
───会話に戻ろう。
「なんだ? 二人そろうと手が付けられないってことか?」
「ええそうね、親友って言葉がぴったり。少し妬けちゃうわ」
「それならそれはうれしいけどな。ただ欲を言えばもう少し落ち着きがあると友人としてありがたい」
椅子の上に忘れて置きっぱなしにされた康生の財布を私は見つめながら、私は小夜の質問にそう返事をし、小夜はあははと苦笑を漏らして持っていた漫画の続きを読み始める。
穏やかで心地の良い時間が始まった。
私はその時何をしていたのか……会話の内容こそ覚えているものの、その時何をしていたのかは定かではない。小夜と同じく漫画を読んでいたかもしれないし。
その時流れていた、小夜が勝手に持ってきた名曲「スタンドバイミー」を静かに聞いていたかもしれない。
とりあえず覚えているのは、その日は空がとてもきれいな茜色に染まっていたことと。
外では野球部のえいおーえいおーという、その当時でも懐かしい古風な掛け声が聞こえていたことだけ。
そんな野球部の声に耳を澄ませていると……やがて入れ替わるように17時を告げる【想い出】という曲が町に響き。
小夜はその曲が流れると決まって開かれている窓をそっと閉めた。
野球部の声も、風の音も……そして町に響くチャイムの音も研究室から消え去った。
この静かな時間も、騒がしい時間と同じように私は気に入っていた。
私は適当に時間をつぶし、小夜は本を読みここではないどこかに思いをはせる。
小夜は二人そろうと騒がしいとは言ったが、不思議なことにこれは私とライライが二人きりになってもそれは起こった。
そこを不思議に思ったことはないし、互いが互いにそういうものなんだと理解をしていた。
それが普通じゃないと知ったのは大学生を卒業したあたりであり、今思うとあの時の私たちは、それぞれが違う方向を向いていたからこそ親友になれたのだと思う。
違いも差異も個性も……何もかもを受け入れてなおそばに居たいと思えたから。
そんな幸せで、穏やかな日々がくるくると回っていた。
きっと今日も同じ一日が過ぎる、その時の私もきっとそう思っていたのだろう。
だがその日は、いつもと違うことが起こった。
「そういえば……この辺りに七不思議があること、カズ知ってた?」
それは何でもない小夜の一言。
そして初めてこの研究会で【奇譚】について話題に上がった瞬間であった。