プロローグ 2018年4月13日 桜花市千間台にて
「……まだ少し冷えるな」
春の陽気は暖かく、だけどどこか冬を懐かしむように時折冷たい風で私の体をそっとくすぐる。
近代化が進む世界に逆行をするように、目の前に広がる一面の田園風景と、ぽつりぽつりと不規則に並ぶ梅と桜の木。
路は申し訳程度にアスファルトで舗装をされてはいるものの、一歩踏み外せば田畑に足を沈ませ靴を泥だらけにしてしまうところは昔と何も変わっていない。
懐かしさにあたりを見回してみてもこの桜花市千間台の道に10年前と変わったところは見受けられない。
かつて道に枝を伸ばし放題に伸ばしては、暗くなった夜道で下校中の生徒の頬をひっかく悪戯をし続けてきた桜の木くらいだろう。
時代が変わって、誰かの報復を受けたのか……それとも時代の流れによりしかるべき処置がとられたのか。
かつて我が物顔で伸びていた桜の枝は、道に面した側だけ不自然に切り取られてしまっている。
過去の被害者の一人である私にばつが悪そうに身を揺らす桜の木。
その前をなんとも言えない優越感に浸りながらも、私は頬を一なでして通り過ぎていく。
土の匂いと、鳴き方を忘れた鶯の不格好な声が空に響き。
私は変わらないこの場所の姿に懐かしさを覚えながらも、目的地を目指す。
かつて三年間通い続けた道は大人になると遠い道のりのようにも感じ、少しの疲労感を覚えながらも私は真っ白な建物の大きな門の前で足を止め、母校である~桜花高等学校~を見上げる。
まだ授業中のためか、静まり返った校舎は昔よりもどこかくすんで見えるが、それ以外は何も変わっていない。校舎にある目立ったひびの場所まで記憶の通りだ。
サッカーコート8つ分という敷地面積は、当時はそこまで異常には感じなかったが今見ると壮大で……学校の敷地内を自転車をこいで移動する用務員さんたちの姿がうっすらと見えた。
春が訪れ、雑草が生え始める季節ゆえだろう。軍手姿でビニール袋をかごに入れてのんびりと走る白髪頭の用務員さんは、校門の前で立っている私を見かけると、ほころんで手を振ってくれた。
一瞬、私のことを覚えていたのだろうかと思案をしたが……その考えはすぐに消える。
この千間台はもともとそういう場所だったことを思い出したからだ。
一度用務員さんに会釈をしたのち、私は母校を通り過ぎ……そのさらに奥にある目的地にまで真っすぐ向かっていく。
七不思議があった場所へ。
思春期、青春時代……子供のころの思い出を人々はそう呼び、美しかったものと記憶する。
体は子供から大人へと変わり、心も空想の世界から現実の世界へと移住をする。
成長といえば聞こえが良いが。
当時は心の中を埋め尽くしていた悩みや葛藤も、今になって思うとほとんどが他愛のないものばかり。
思い出しただけでも当時の自分が恥ずかしくて頬を赤く染めることもあれば、ふと思い出した拍子に口元を緩めることもある。
適度な刺激と、そして適度な葛藤。それを成長した私たちは記憶という形でそれを振り返り、まるで他人事のようにほほえましく思う。
そう、恐らくきっと青春時代を超えると、人は別の人間になってしまうのだ。
人生は物語と揶揄されることがあるが……青春というのはその中でも自分だけが読むことができる数年分の短編小説のようなものであり、追憶することは出来ても……同じ感覚・考えを得ることはもはやできない。
ただ小説を読むように反芻するだけだ。
「……確かにここだ」
ボロボロで蜘蛛の巣だらけになった恐らくだれも使っていないのだろう郵便ポスト。
昔と変わらないその姿に私は何処か安堵を覚え、しゃがみ込んで死角になっているポストのお尻の部分を見る。
10年で消されてしまっていることは覚悟しての行動ではあったものの、しかし不安を拭い去る様に記憶の場所には。
【桜花奇譚研究会4/13】
記憶と一言一句違わずに、汚い文字が残されていた。
生まれて初めて夜中にやった小さな悪戯、そんな懐かしさに胸が溢れそうになりながらも私はその記録を人差し指で人なですると、文字は崩れるように消えてしまった。
「……」
立ちあがり、ポケットの中にある安物の腕時計を取り出してポストの先を私は見つめる。
10年前に一夜だけ追いかけた【ハルカミサマ】の伝説を、別の自分の物語を読むように思い出しながら。
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