第3章 楽器への愛情
前回より間が開いてしまい申し訳ありません。
もう忘れられちゃったかな?
翌日。部活の午後練を欠席し、学校から家に帰る。今日は昨日持って帰った楽器を調整してもらう為、楽器屋に持っていく予定なのだ。しかし俺には気がかりなことがある。昨日のことだ。何も心当たりが無いのに楽器のケースが開いていたという事態など、そう起こりえることではない。一晩明かして考えれば、ありもしない妄想に浸っている場合でもない。私服に着替えて一階に降りた俺は、母さんに確認をしてみる。
「なあ、昨日楽器ケースがいつのまにか開いてたんだけどさ、泥棒でも入ったんじゃねえの?」
すると、母さんは呆れたといった様子で、
「何言ってんの?泥棒なんて入った痕もなにもないわよ?開けたこと忘れるなんてあんたも若ボケしてんじゃない?」
まあ確かに泥棒なんて入るわけない。やはり俺の思い過ごしだったのだろうか。
「いやでも確かに俺は開けてないぞ」
「あんたの若ボケのこと話してる時間があったら、早く出かけてきなさい。楽器持ってくんでしょ?お店閉まるわよ?」
時計を見ると時刻は午後4時半だ。どうにも腑に落ちないが、とりあえずそのことは忘れて早く出かけなければ……。すっきりしない気持ちのまま俺は楽器を担ぎ、外へと繰り出すのだった。
家の最寄り駅から2駅。そこから降りて歩いて15分ぐらいの場所に、俺の行きつけの店がある。街角の一角にある小さな店だが、ここはただ楽器を売るだけではなく修理や調整も引き受けてくれる。店主の確かな知識と楽器をいじる上での腕前に対する信頼から、多少遠くてもこの店に楽器のことを頼んでいるのだ。ドアを開けると、新旧の楽器に囲まれた狭い空間の中で、古びた木のテーブルの上に置かれたクラリネットとにらめっこをしている店主の姿が見える。
「いらっしゃい……おお、月野君じゃないか。元気にしていたかい?」
店主は首だけこちらを向くと、笑顔で迎え入れてくれた。店主とはもう4年ほどの付き合いだ。ここの常連になってからというもの、楽器に関する用事が無くともたまに顔を見せるようになったものだ。
「どうも。ご無沙汰してます。今日は調整をお願いしたくって……あとベルが少し凹んじゃってるので直してもらいたいです」
「そうか。どれ、見せてごらん」
店主が俺の楽器を手に取る。店主が俺の楽器の状態を調べている間、俺はテーブルの上に置かれたクラリネットに目をやる。古い楽器だ。銀の部分も錆びてしまっている。誰かが売りにでも出したのだろうか……?
そんなことを考えているうちに、店主は状態を調べ終わったようだ。
「すこし剥がれているタンポがあるね。あと少し位置がずれてるキーもあるみたいだから、直しておくよ。後、ベルの凹みも戻すね。終わるまで40分くらいかかるから、少しこの店の物でも見て待っているといい。」
「わかりました。あの…」
俺は店主に質問をする。
「そのクラリネット、新しく買い取りでもしたんですか?」
「そうだよ。綺麗な楽器だろう?」
綺麗……?錆びてぼろぼろになっているが。
「これ、錆び錆びで古い楽器ですよね?綺麗って、どういうことですか?」
「そう、古いし見てくれは良くないけどね。この楽器を売ってくれた人、本当に大事にこれを扱ってくれてたんだよ。ほら、ひび割れの後も全然ないだろう?」
確かに、古いが洗練された艶のある見た目をしている……かも知れない。
「でもそれなら、なんでこの楽器売ったんでしょうね?」
それほど大事にしていたなら、少なくとも俺なら楽器を手放しはしないだろう。それをしたことを疑問に思ったゆえの質問だった。
「彼女は小学校のときからこの楽器を使っていてね。今はもう三十を超えて、仕事が忙しくなったからもう楽器を吹く時間もなくなった。だから、どうせなら誰か他の吹き手に吹いてもらいたいって、この楽器をくれたんだよね」
「そうなんですか……。」
「そう。楽器は吹き手のパートナーだし、家族や友達、恋人のように大事な存在でもある。吹き手が悲しんでいれば楽器も悲しい音しか出さないし、吹き手が幸せなら楽器も明るいサウンドを出すようになる。楽器と吹き手は運命共同体なんだって。それに、楽器にだって吹き手との思い出がある。自分が吹けなくなってしまったから、他の人の元で新しい思い出をたくさん作って、楽器としての役割を果たしながら新しい吹き手の心の支えになって欲しい。彼女はそう言ってたよ。もちろん、楽器には自分との思い出もとって置いて欲しいみたいだけどね」
「……。」
なんて良いことを聞いたんだろう。楽器と吹き手は運命共同体。確かに自分が一生懸命吹き込めば楽器もそれに答えてくれる。それに俺には楽器との思い出がたくさんあるのだから、もしかしたら本当に楽器も俺との思い出を覚えてくれてるのかも知れない。そう考えると、目の前で修理を受けている俺の楽器への愛情は、強くなるばかりだった。
しばらくして。
「……はい。できたよ。吹いてみて。」
うん、抵抗が減って音が出やすくなってる。上々だ。
「大丈夫そうです。とっても吹きやすくなりました。」
「そうか。なら良かった。ベルも直しといたからね。」
店主に頭を下げ、代金を渡す。
「……俺、もっともっとこの楽器大事にします。」
先ほどの話に感銘を受けた俺は、店主に宣誓するような形で言う。
「……うん。良いことだね。」
「今日はありがとうございました。また来ます。」
店を後にして、楽器を担いだ俺は家路に着くのであった。
家に帰ると、リビングから美味しそうな匂いがしてくる。もう夕飯の時間だった。二階の自室に楽器と荷物を置き、一階に降りてからいつものように飯を食べた。先ほど聞いたことを誰かに話したい気持ちもあったが、楽器への関心が薄い両親にはそのことは話さなかった。
二階の自室に戻り、電気をつける。
……まただ。
閉めてあったはずの楽器ケースが開いている。昨日と同じだ。少し驚いたが、両親に話したりしたところでまた若ボケ扱いされて終わるだろう。俺はまず冷静に周囲の状況を調べる。
だが、特に変わった様子はない。やはり少なくとも泥棒が出入りしているわけではなさそうだ。ではこれは一体なんなのだろうか。気味が悪い。とりあえず楽器ケースを閉めよう。俺は楽器ケースの手をつけた……その時に気づいた。ケースの中の楽器、その下に紙があった。そしてその紙にはこう書いてある。
『明日の放課後、部活の時間、一人で楽器を持って屋上に来て』
……なんだこれ?