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廊下を駆け上がる。突き当たりが見えれば階段を上がり、また見えれば上がる。
「はぁはぁ」
何個目かの階段を登りきった所で沙織は足を止め荒い息をしながら項垂れた。
一体ここは何回まであるのだろうか。登っても登っても次の階段がある。沙織の脳裏には先程サイが話していた事を思い出した。
死夢は記憶を元にして出来た幻。この学校は沙織の記憶から出来たものなのだろうか。なら何んで学校なんて、もっと素敵な場所なら良かったのに。なんで、大っ嫌いな学校なんかが……
グッと拳を握りしめた時、ガシャンと何かがぶつかり合う音が廊下に響いた。顔を上げて音が何処からしたのか見回すと、教室から何度も音が聞こえてくる。
沙織は戸惑ったが、好奇心に負け恐る恐る扉から中の様子を伺った。
「っっ!」
捉えた光景に息を詰まらす。
机や椅子があちこちに倒れる教室の真ん中に、倒れる少女とそれに馬乗りになって首を絞める少女。馬乗りになっている方は、先程一緒にいた香苗だった。香苗は、興奮した様子で下の少女に罵声を浴びせている。
「どうだ悔しいか! 散々遊んできた奴に報復されるのはっ。逃げれるもんなら逃げてみろ。虐められている時は、暴力を振るわれてる時はこんな気分なんだぞ!!」
言葉と共に絞める手の力が強まっていく、少女は必死に逃れようと香苗の腕を引っ掻いたり、もがいたりしていたが、ある瞬間に糸が切れた様に動かなくなった。
しん、だ。
沙織は腰を抜かしてその場に座り込んだ。
目の前で人が死んだ。人を殺す所を見てしまった。
喉から酸っぱい匂いが流れ出し、その場でそれを吐き出した。涙が滲む視界で見直すと、彼女は立ち上がり天を仰いでいた。
「あはははは。やってやった、やってやったわ! なんて清々しい気分なの!」
狂ったように笑う彼女は狂気じみていて、自分で殺した少女に目もくれず笑い続けていた。
「いやぁ最高に楽しいショーだったなぁ」
空気を破るように軽い口調の声が聞こえた。声の主は、部屋の奥に積まれていた机に座っていたジーンは、身軽な動きで降り立ち香苗へ近づいていく。
「望みはかなった?」
「まだ、まだよ。私を虐めたやつ、蔑ろにした奴みんな殺さないと気が済まないわ」
「ふぅん。それも楽しそうだね。だけどそれは無理だ」
「え?」
ようやくジーンの方へ目を向けた香苗は、目を丸くして彼を見る。
「無理って、どういう事?」
「だって君の望みはいじめっ子への復讐。それは今さっき君自身の手で達成した」
「い、いや。いじめたやつはまだ何人も」
「残念ながら人数までは望みに入っていなかったからね。これ以上は俺の仕事の妨げになる」
そう言ってジーンはマントをひるがえし、腰にかけてあるランプを1つ取った。
「や、約束が違うわっ」
「いいや、違わない。君は死ぬ間際の1つだけ叶う最後の願いを叶えたのさ」
「い、いやっ」
恐怖に泣く香苗に構うことなく、ジーンはニコリと笑ってランプの戸を開いた。すると、香苗の体が糸が解ける様に崩れ、ランプの中に吸い込まれていった。パタンと閉じると、真っ黒な炎が灯る。
ジーンは炎をちらりと目の端で見た後、何事ないようにそれを腰に引っ掛け直した。
「さて、と」
マントの皺を撫でた後、彼は沙織に視線を向けた。
「やぁ、君も来たんだね」
「ひっ」
ニコッと微笑んだ彼に恐怖で後退りする。逃げ出したかったけど、腰が抜けて立ち上がることが出来ない。
「さぁ君の望みはなんだい? いじめた奴らへの復讐? 見て見ぬふりして助けてくれなかった奴らへの報復? それとも、1人で逝くのは寂しいから、誰かこっちへ呼び寄せるかい?」
尋ねながら沙織へ近づいていく。
ジーンの語る言葉は、沙織がずっと抱いていた気持ちだった。
理不尽に人を玩具にしてくるヤツらを殺してやりたい。見て見ぬふりして自分は関係ないって思っているヤツらに同じ思いをさせてやりたい。死んだ後も1人なんて嫌だ。
「さぁ願ってごらん。今の君は、どんな願いだって叶えられるんだ」
優しげに手を差し伸べてきたジーンに、沙織は吸い込まれるように手を伸ばした。
手に触れかけた瞬間、後ろから手が伸びてきて、彼女の手を止めた。
「やめろ」
沙織が振り返ると、サイが彼女を抱きかかえるように後ろでジーンを睨みつけている。ジーンはスっと表情を消す。
「サイ……」
「この子は俺の担当だ。手を出すな」
「手を出すな? さっさと仕事を終わらせないから俺が手伝ってやろうとしたんだろ」
「貴方の手助けは不要よ」
いつの間にかキャトルが沙織達の傍で立ってジーンを睨みつけていた。
「貴方の仕事は終わったでしょ。さっさと帰ってランプを流してきなさい」
「ちっ」
無表情と感情のない声色で話すキャトルに、ジーンは目を逸らして舌打ちをして立ち上がった。彼は何も無い空間でドアノブを握るような手をつくり、捻る。すると空間が扉のように開いた。
「じゃあな。落ちこぼれ野郎」
捨て台詞を残して、ジーンは扉の先の闇に消えていった。
扉が空気に溶けたと同時に学校の風景が消え、真っ白な空間に変わる。
展開についていけていない沙織は目を瞬かせる。
そんな彼女をキャトルは横目で一瞬見た後、向こうで倒れている少女の元へ歩いていった。少女の傍にしゃがみ、そっと彼女の目を手で覆って瞼を下ろしてやる。すると、少女の体が消えていき、白に溶けて消えていった。
「ね、ねぇ」
絞り出すように声を出した沙織の方へキャトルが向く。
「今の子、どうなったの?」
「呪いよ」
「呪い?」
「死者に復讐されたの。死者に呪われたってこと」
「呪われたって、ここは夢なんだよね? まさか現実にまで影響するなんて……」
沙織の疑問に、キャトルは目を逸らして苦しげな表情を浮かべる。
「死夢は普通の夢じゃねぇ」
黙っていたサイが、立ち上がって話し始めた。沙織はキャトルから彼の方に視線を移す。
「普通の夢じゃない?」
「夢でもあるし現実でもある。ここの風景や感じることは幻だが、現実に触れればあちら側に何かしらの影響が生じる」
「じゃあ、さっきの子は……」
「何かしら不幸な目にあったり、最悪の場合は」
その先は言わずとも分かった。
沙織はギュッと自分自身を抱き締めて震える体を落ち着かせようとする。
「死夢で叶う願いは、人が最後に叶えることの出来る願い。だから、大抵の事は叶えることが出来てしまうの」
「それが人殺しでも?」
「そうよ。だけど、最後の願いで悪意のある望みで叶えてしまうと、魂は穢れて真っ黒な炎しか灯せなくなってしまう」
沙織は先程香苗が溶けて灯った炎のことを思い出した。
「黒い炎はあの世の川に流しても浄化させることなく、生まれ変わってしまう。そうなれば、来世でも幸せになることはない」
ゴクリと唾を飲み込む。もしも先程ジーンの手を取り、彼の言葉のまま望みを答えていたら、沙織も黒い炎となる所だったのだ。
「お前がどんな願いを願うとしても」
キャトルの傍に立ったサイが、沙織を真っ直ぐ見つめる。
「俺はその望みを出来る限り叶える」
偽りのない言葉と、瞳に沙織は目を奪われた。沙織を見ていなかったジーンの目とは違い、サイは沙織自身を見ている。
「人生の灯火が消える間際のこの時、お前は何を心から望んでいる?」
サイの言葉に、沙織は立ち上がってサイとキャトルを真っ直ぐ見返した。