第九百九十三話 甘い考え?
ルレイク王国から大量の民衆がアルガワに流入しているという報告があったのは、それからしばらくしてのことだった。文官たちが起こした反乱ということで、すぐに鎮圧されるだろうと考えていた俺だが、まさか文官の大半を処刑するとは思わなかった。これまで政治を司っていた者たちが丸ごといなくなり、軍人たちがそれを担ったようだが、所詮は素人だ。剣は扱えても政務を扱うことはできない。たちまち国内は混乱状態に陥り、民衆たちはアルガワに向けて脱出を始めたということだ。
国境では民衆の流出を止めようとするルレイク王国軍との間で混乱が生じ、場所によっては戦闘に発展したところもあったようだ。
アルガワにとっては侵攻する絶好のチャンスが訪れたわけだが、軍は国境地帯に展開したまま動いていない。というのも、流入してくる民衆が多すぎて動くに動けないという状況であるらしい。
この混乱状態はアルガワに駐屯しているアガルタ軍にも言えることで、民衆たちはまず我先にアガルタ軍の許を目指してやってきていた。ここでは豊富な食糧と狭いながらも雨露凌げる快適な結界村があるという話がルレイク側に伝わっていたそうで、彼らはそれを信じて俺たちの許に押し寄せてきていた。
さすがに追い返すわけにもいかずに最初の内は受け入れていたホルムらも、そのあまりの多さに対処が仕切れなくなった。当然そこには火山の噴火で被害を受けたアルガワの者たちも多くいる。そこで民衆同士の諍いも頻発するようになっていた。
彼らからすれば、せっかく避難ができて生活が落ち着きを取り戻しつつある中で、いきなり隣国から人々がやってきて食料を食い荒らし、自分たちの村に入り込もうとするのが気に入らないらしい。そうしたこともあって、アガルタ軍の駐屯地では大混乱の様相を呈していた。すでに帰国の準備に取り掛かっていたホルムらだが、そんなことができる状況ではなくなっていた。
それはメイたちも同じようなことが言え、彼女らは押し寄せてくる民衆たちの医療活動に忙殺されつつあり、アガルタ大学から医師を追加で派遣するようにもなっていた。
正直、ここまでする必要があるのか、と思う。マトカルなどは何も言わないが、きっと心の中ですぐに兵士たちを引き上げるべきだと思っているに違いない。
こんな状況化であるにもかかわらず、アルガワからは使者の一人も寄こさない。通常ならば、えらいすみません、の一言ぐらいあってもよさそうなものなのに、今の状況に忙殺されているためか、そうしたことは全くなかった。
さすがにこのままでは、ホルムらアガルタ軍の兵士とメイたちアガルタ大学の者たちが疲弊するだけになってしまう。それは避けねばならないと考えた俺は、アルガワ王に面会したい旨を伝えた。
アルガワ側はすぐにそれを受け入れて、俺とマトカルを城内に迎えた。面会したアルガワ王は、アガルタ軍をほったらかしにしていた非礼を詫びたが、現在の状況では国境地帯の騒動を収めるのがまず先決であると言って、兵士を引き上げてくれとは言わず、アルガワ側から追加で支援を行うなどの言葉もなかった。
さすがにこのままでは兵士たちが徒に消耗するばかりでなく、アガルタ大学の学生たちも消耗してしまうので、できるだけ早く現在の状況を収めるための具体的な方策を出して欲しい、さもなくば、我々はここを引き上げざるを得ないことを伝えると、王はさも困ったと言った表情を浮かべたまま、少し時間を貰いたいと言って、話を打ち切られてしまった。
正直言って、この対応には俺は腹が立っていた。何だか、舐められている感じがしたのだ。
早速、都に帰って主だった者たちを集めて会議を開く。結論はすぐに出た。期間を定めて返答を待ち、その間に、我々が納得するだけの答えが得られない場合、兵士と学生たちを撤退させるということになった。さすがにメイはそれには消極的な態度を示したが、このままでは半永久的に支援を続けなければならなくなるので、どこかで線を引かねばならないと説得して納得してもらった。
俺たちが納得する回答というのは二つしかない。これまでの支援に関しては何も言わないが、流入してきたルレイクの民衆に対する支援に関してはそれなりの対価を要求する。具体的には金だ。それが難しければ、ルレイクの民衆はアルガワが責任をもって対応するというというものだ。
回答を待つ期間は一ヶ月とした。俺は二週間でも長いと思っていたが、色々な意見をまとめると、そのくらいがよかろうということになったのだ。
そんなことを話し合っていると、アルガワ王の子息であるジザンが訪ねてきた。彼も自国の状況を知ったのだろう。会うなり深々と腰を折って謝ってきた。
「この度はぁー、アガルタ王様には多大なるご迷惑をおかけしましてー、誠に申し訳ございませんー」
彼を責めても仕方がないので、別に謝る必要はないよと伝えたが、彼は何度も頭を下げて謝っていた。
ジザン曰く、ルレイクで反乱が起こるのは想定していたし、いざというときにそうなるようにアルガワは画策していたのだと言う。父であるアルガワ王は、同盟国を結んだとはいえ、ルレイクを完全に信用していたわけではなく、最悪の状況を想定して手を打っていたのだと言う。ジザン自身は、謀反を起こす算段までは知らなかったようだが、父であればそのくらいのことはやりかねないと言って、寂しそうに笑った。
だが、まさかルレイクの領民たちがアルガワに流入することは予想外であったらしい。ただでさえ、火山の噴火の被害で国中が混乱しているときに、新たに難民を受け入れる余裕までアルガワにはない。その民衆を国境で食い止めるので精いっぱいであるというのが現状だと言うのだ。
で、あればルレイクに侵攻する絶好のチャンスだ。確かにアルガワ王はルレイクに侵攻すると俺たちの前で言った。どうして侵攻しないのかと言う俺の問いに対して、ジザンは驚くべき答えを述べた。
それは、今のルレイクに興味がないからだ、と言うものだった。
アルガワとしては、ルレイクが現在の態勢のまま併呑したいと考えていたと言うのだ。ルレイク王国は山の中にある王国で、食糧の自給率は極端に低い。さらには、金山も枯渇しているため、国としての価値はそう高くない状態だ。そこにきて、この民衆の流出だ。国力は大幅に低下するだろうし、国内は荒廃するのは目に見えている。そんな国を併呑したところでアルガワには旨味がないし、自国の救済で手いっぱいのところに、さらに他の地域の復興もせねばならないというのは、アルガワにとっても負担が増えるだけでいいことは何一つないというのがジザンの答えだった。
まあ確かに、気持ちはわからなくはないが、だからと言って民衆たちをそのままにはしておかれないだろう。このままではルレイクの民衆の大半は死ぬしかなくなってしまう。だからと言って、俺たちが延々支援し続けるというのも違う気がする。何とも難しい問題になってしまった。
その夜、俺は寝室でリコにこのことを相談してみた。彼女もまた、俺の様子がいつもと違っていることを感じていて、おそらくこのことであるとは察しがついていたようだった。
彼女もまた、この問題に対して心を痛めていたが、考え方としては俺のそれとほぼ一致していた。だが、それが最適解かと問われれば、それは違うというのが答えだった。
「アガルタの王妃としては、甘い考えであるとは思いますけれど……」
「いいんじゃないか。その甘さがあるからこそ、俺もリコも一緒にいられるのだと思うし、王として王妃としていられるんだと思うよ」
俺の言葉に、彼女は無言のまま抱きついてきた。
「……一度、ヒーデータの兄上に相談してみてはいかがでしょうか」
「陛下に、か」
「兄上ならば、私たちと違った視点からの意見が得られる気がしますわ」
「そうだ、な」
翌日、俺はヒーデータの陛下の許に向かった……。




