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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第三十章 ほんとうのやさしさ編
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第九百八十八話 ご苦労様です

予想もしていなかった事態に、俺は我が目を疑うと同時に、ちょっとした思考停止状態に陥った。布で顔を覆っているために俺の表情はわからないだろうが、それでも、動揺は十分に伝わったらしい。彼はニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべながら、馬に乗ったままゆっくりと俺たちに近づいてきた。


「……貴様がマトカルか」


ガノブは俺ではなくマトカルに話しかけた。心の中で、俺とちゃうんかい、と突っ込みを入れる。それで思考が回復してきた。


「……マトカルだ」


「意外と小柄なのだな」


ガノブは顔を上下させて、マトカルをまるで舐め回すように眺めている。そんな彼にマトカルは相変わらず冷たい視線を投げかけている。


ガノブは再び俺に視線を向けると、クイクイと手招きをした。こちらへ来いと言っているようだが、正直言ってイヤだ。殺気は感じないが、いかにもいじめっ子でございと言わんばかりの雰囲気が、俺に足をすくませる。


「アガルタ王はこの女のどこを気に入ったのだろうか。俺ならば、このような女は絶対に傍に置かぬ」


……本人目の前にして何ちゅうことを言うのだ。ちょっとした腹立たしさと、呆れにも似た感情を抱きながら彼の姿を見る。


鎧をまとっているせいか、以前よりも気配に禍々しさが増えたような気がする。このままいけば、悪魔にでもなるんじゃないかと思う程だ。何が嬉しいのかわからないが、ずっと不敵な笑みを浮かべている。テンションマックス、という感じで気味が悪い。


「アガルタ王とそなたとの間には子がいると聞いている。ということは、アガルタ王はそれなりにそなたに愛情を持っているということになる。アガルタ王とその妃たちには、ヒーデータで見たが、どちらかと言えば聡い女であった。だが、こうして見ると、一見して男に見えるような女も好むということだ。変わった男だとは思っていたが、女性に対する好みも変わっているようだな」


……何であなたにそんなことを言われなきゃいけないんですか、という言葉を飲み込む。今の俺はケンシンだ。それを忘れてはならない。


ガノブは馬を操りながらゆっくりと俺たちに近づいてきた。そして、マトカルの至近距離まで詰めると、まじまじと彼女の顔を見た。


「ほう、よく見れば意外に目鼻顔立ちが整っているな」


その瞬間、マトカルが剣を抜いてガノブに斬りかかった。ピュンという音と共に、ガノブの体が仰け反る。


「フフフ。やはり女だな。遅いわ」


そう言ってガノブは腰に差している剣を抜き払った。その彼に追い打ちをかけるようにマトカルはさらに斬りかかった。


何かが破裂するような音が響き渡った。ガノブは自身の剣でマトカルの攻撃を防いだが、その剣はものの見事に根本から折られていた。柄だけになった剣にガノブは驚きの表情を浮かべた。


ゆっくりと彼の表情が驚きから怒りのそれに変わる。そんな彼にマトカルは一切表情を変えぬまま、目にも留まらぬ速さで剣を横一文字に振るう。ガノブはそれに反応することができなかった。気がつくと、彼の鎧には一筋の傷が付いていた。


「……ダメですよ。舐めちゃ」


そう言った俺に、ガノブは何とも言えぬ表情を浮かべながら視線を向けた。


……そりゃ斬られるよ、と俺は心の中で呟く。ガノブとマトカルとでは戦闘力に雲泥の差がある。彼女が本気を出せば、ガノブの首は一瞬で飛んでいた。それがわからずに単なる小柄な女性であると決めつけて対応してしまったガノブは、まだまだ甘いと言うことになる。


とはいえ、単にガノブだけを責めることはできない。マトカルは自分の強さを表に出さないようにしていた。これはできるようで難しい。いや、かなり難しい技術であると言える。


彼女は欲望のすべてを消していた。つまり、斬りたいと言う感情、胴を払うであるとか、面を打ち込むであるとかという腹を見せなかった。むろん、頭の中では色々と考えていたのだろうが、それを表に出さないというのは、単に剣の修行だけでなく、心の修行もできていなければできないことだ。


俺も正直、彼女が何かをしようとしていることはわかっていたが、まさかガノブの剣を折るとは思ってもみなかった。考えてみれば、お灸をすえると言う意味ではこれほど効果のあるお仕置きはない。これでもガノブは皇帝だ。身に付けている剣や鎧は、そこらにあるようなものではないだろう。国宝級とまではいかないまでも、それに近い価値のあるものに違いない。しかも、彼の性格上、気に入らない武器を身につけるわけはなく、それなりに気に入っているものを折られ、傷つけられたのだ。おそらく剣も鎧も元には戻るまい。マトカルはガノブの心に大きな傷をつけたのだ。


「ところで、今夜は何の御用でしょうか。月見に来たというわけでは、なさそうですね」


「ケンシン、お前がこのアルガワに来ていたと聞いてな。わざわざ会いに来たのだ」


……ガノブの許には相当な数のスパイがいるのだろう。俺がアルガワに入ったのはわずか数日前だ。その情報を彼は正確に掴んでいた。しかも、ここに来たということは、俺たちの位置まで把握していたということだ。見事という外はない。


「わざわざ会いに来ていただいたのは恐縮ですが、ずいぶん遠いところから来られたのですね」


「遠い? 貴様何を言っているのだ。我が国とアルガワは目と鼻の先ではないか」


「ええっ? そうでしたっけ?」


「フハハハ。貴様が遊びに来ていた頃よりも、我が国の版図は大きく広がっているのだ。バカめ」


何だかガノブは嬉しそうだ。相当な速度で版図を拡大したのだろう。どうやら彼にも人には言えない苦労があったのだろうと俺は見た。そんなガノブはさらに言葉をつづけた。


「アガルタがアルガワに軍勢を送ったと聞いて、きっと貴様が帯同しているだろうと見て、わざわざ馬を駆ってここまでやって来たのだ」


「さ……左様でしたか。ありがとうございます。色々積もる話もあるかとは思いますが、私どもも業務がございますので、本日はこのあたりで失礼をさせていただければと思います。ごめんくださいまし」


「待て、ケンシン。貴様、やはり俺の家来になるのだ」


「いや、それはお断りをしたはずですが」


「俺は貴様を連れに来たのだ」


……困ったなぁ。何となく察しはついていたけれど、どうやらこの人は本気で俺を連れ帰る気らしい。これもわかってはいたけれど、粘着質にさらに拍車がかかっているようだ。あれだけ否だと言っているにもかかわらず、わざわざ単騎で俺のところまでやって来るあたり、行動力が優れていると言うより、狂気の方が勝っているような気がする。周囲の気配を探ってみたが、この人は単独で俺たちの許にやってきている。とはいえ、離れた場所に数百の軍勢が待機しているので、完全に一人というわけではないようだ。兵士たちは突然消えた皇帝を探しているのだろう。その苦労は察して余りある。


「お疲れさまでした」


俺が喋ると同時にガノブが動いた。右手に縄のようなものを持っていて、それを投げてきた。イリモが素早く後ろに下がってそれを躱す。同時に魔法で水蒸気を作って煙幕を張る。あっという間に目の前が真っ白になったが、イリモは俺が指示を出す前に走り出していた。その後ろからマトカルが追ってきた。彼女もまた、何の指示も出していないが、俺の意図をちゃんと把握してくれている。


ガノブは煙幕の中に相変わらずいる。彼から十分に離れたのを見て、俺は転移結界を発動させたのだった。

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