第九百八十七話 感謝感謝
……普通のオジさんじゃん。
彼を見た正直な第一印象は、これだった。それほど、威厳のない、ただ、優しそうなオジさんがそこにいた。
俺とマトカルは促されるままにアルガワ王国の王都に向かった。その道中、俺たちは迎えに来た老人――オルガベ、と彼は名乗っていた――から、アルガワ王の人となりについて説明を受けていた。オルガベの話では、とても慈悲深い王であるが、戦いをやらせたら強い。これまで幾度も戦場に赴いたが、大きな負けは一つも起こさなかったのだと言う。そんなことを聞かされていたので、きっとゴッツイ、厳めしい王なのだろうと思っていたのだが、俺たちの前に現れた男は、髪形をオールバックにした、いかにも人のよさそうなオジさまだった。そう、近所に一人はいる、優しくていいおじさん。目じりが下がっていて、それがさらに柔らかい印象を与えている。体格もどちらかと言えばやせ型で、背もあまり高くない。マトカルと同じくらいの身長だろうか。王によくありがちな美々しく着飾ることはなく、裾の長い、ワンピースのような、白い衣服を着用しているが、王冠なども載せずに、姿勢よく玉座に腰かけていた。
彼は俺たちを見ると玉座から立ち上がって、わざわざこちらまで歩いてきた。そして、出し抜けに俺の手を握ると、よくぞ参られた、と言って何度も頷いた。マトカルにも同じようにしていたが、彼女の場合は両手で手を握っていた。
アルガワ王は玉座に戻ることなく、立ったままで俺たちに深く礼を言った。さすがにこれではマズイと思って片膝でもついた方がよいのではないかと思ったが、マトカルは涼しい顔で、立ったまま王に応対していたので、俺もそのままで話を聞いていた。彼は俺たち二人平等に視線を向け、時折笑みを浮かべながら話を続けた。
「いや、貴殿らがお越し下されたおかげで、我が国は救われました。それに、軍を率いていたのがあの、勇将マトカル殿であったとは、いや、アガルタ王のご差配には恐れ入るばかりだ」
そう言って彼は、マトカルをまじまじと見て頷いた。決していやらしい視線ではなく、心から彼女を尊敬している眼差しに見えた。
「さて、ご貴殿らを迎えるにあたってだが、こちらも準備が整っておらず、大変に恐縮であるのだが、王都の外に駐屯いただきたい。さすがに一万の軍勢を迎えるとなれば、復興中の王都には場所がないのだ……」
「いや、十分です。元々、先遣隊が野営していた場所をお借りできれば十分です。話に聞けば、そこには森があり、川も流れているとのこと。五千の兵が駐屯するのであれば、問題ない場所であると考えております」
マトカルが颯爽と口を開く。隣で見ていても、惚れ惚れするほどに格好がいい。
「五千、とな。後詰に五千の軍勢を伴っていたのではなかったかな?」
「後詰の軍勢は一旦退避させました。未だ貴国の被害状況がわからぬ中で、大部隊が駐屯するのは無駄であるし、徒に人民を不安にさせると考えたのです。被害を調査したうえで、さらに人員が足りないと判断した際には、あらためて後詰の軍勢を呼び寄せることとします」
「ほう、なるほど」
「その上で、アルガワ王に一つ願い事があるが、よろしいでしょうか」
「願い事? 何なりと言ってくだされ」
「貴国を調査するにあたり、アガルタ王妃の一人であるメイリアスが、部下を伴って参加したいとの意向を示された。彼女が所管するアガルタ大学の学生を中心とした調査チームを派遣したいと考えるが、いかがでしょうか。むろん、その調査結果については、貴国に提供させていただくし、我々はその結果に基づいて、貴国を継続的に効率的に支援をしたいと考えております」
「何と、あの、聖女・メイリアス殿が……。我が国のために、そこまでしていただけるとは……。感謝いたします。心から、感謝します」
「調査チームの派遣は、ご子息であらせられるジザン殿が直接、メイリアス殿に要請されたのだ。よいご子息を持たれましたな」
「おお……ジザンが、か」
アルガワ王は傍に控えていたオルガベに視線を向けると、また、ジザンに救われたなと言って笑みを見せた。
王は、本来ならば俺たちに対して、晩さん会などをしてもてなさねばならないのだが、現在の国の状況ではそれも難しいと言って頭を下げた。恐縮した俺たちは、それには及びませんと言って、その場を辞退した。
それでも、控室に通された俺たちには昼食が振舞われた。そんなに豪華なものではなかったが、それなりに美味しいもので、とりわけ、パンが家で食べるものとは違い、少し塩の利いた味で美味しかった。
食事が終わるとオルガベが現れて、近くまで送ると言う。それは辞退したが、彼はどうしても送っていくと言って聞かない。仕方なく彼に先導させたが、相変わらずこのジイさんはずっと喋っていた。このアルガワ王国の成り立ちや周辺の同盟国の話まで。ついこの間までは、アルガワは侵攻してきたルレイクと隣国ラウラジとは強固な同盟関係にあったが、今後はルレイクと戦わねばならない、などと言った。
「ルレイクには国王様のご息女、オネ様がお輿入れしておりまして、御身が心配でございます。何とか致さねばなりませぬ。ちなみに、ルレイクからジザン様に嫁がれていたミルサ様は、大変申し訳ないと言われておりましたが、母国にお戻りになるのを拒否されました。私はもう、アルガワの女でございますと言っておいででした」
そう言って彼は頻りに頷いていた。よく喋るが、不思議な程に不快感はなかった。そう、噺家が落語を喋っているのを聞いているような感覚だった。なに? 落語聞いたことがない? 一回聞いてみな。
つまりは、このジイさんはアルガワのスポークスマンの役割を担っている人物なのだ。硬軟自在に自分を演じ分け、絶対に腹の内を見せない、結構ヤバい感じの男だと、俺は話を聞きながらそう思った。そして別れ際、彼は俺たちのことをよく褒めた。マトカルには強さの中にも優しさがあり、それが実にいい品格を持っていると言い、俺には、顔はわからないが、声と喋り方だけ見ても、優秀な方であるのがわかるし、とてもいい人だと言ってのけた。そして、アナタは女性にモテますでしょうと言って、ニコリと愛嬌のある笑顔を見せた。
悪い気はしなかった。きっとこのジイさんは、本当は人好きないい人なのではないかと思った程だ。
先遣隊の陣所に帰ったのは、夕方になろうとしていたときだった。あらためて見ると、ホルムは実にいいところに陣を張っている。険峻な山を通り抜けたところに陣を張っている。これはもし、アルガワの軍勢の襲われても、敵は細い道を通ってこの場所に辿り着かねばならない。ここで待ち構えている限りどんなに大軍勢で攻めてきても対応できるし、左右の山に人を忍ばせれば、頭上から攻撃することも可能だ。ホルムにはその点を褒めておいたが、彼は大いに恐縮していた。
せっかくだからと、兵士と一緒に夕食を食べる。今後も引き続きホルムがアルガワに滞在することとして、俺は取り敢えずアガルタで政務を行うことになった。結婚したばかりのホルムはいきなりの長陣で寂しいだろうが、彼はそんな不満を一切口にせずに、喜んでやらせていただきますと言って笑顔を見せた。
夜も更けてきたので、俺とマトカルは一旦帝都の屋敷に帰ることにした。陣を離れたところで転移しようとイリモを走らせていると、俺の許に矢が飛んできた。人の気配は認識していたが、殺気はなかったために注意していなかったので少し驚いたが、その矢は正確に俺の頭をめがけてきていた。それを難なく掴み取る。
「さすがだな」
そう言って闇の中から現れたのは、何と、カイク帝国皇帝の、ガノブだった……。