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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第三十章 ほんとうのやさしさ編
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第九百八十六話 無念の撤退

勝てる見込みのない戦いだ、とゲヌツは心の中で呟いた。目の前に見えているのはアルガワ王国の王都を守る城壁だ。ここを突破できれば、王都はすぐに抜くことができる。ここを守るのは数百の軍勢だからだ。


ゲヌツはこの城壁の戦いは三日かかると予想していた。だが、時間はそうない。兵士たちには多大な労力を強いるが、昼夜を分けずに攻め続ければ、おそらく二日で王都は陥落させられるだろう。そう考えた彼は、万全の態勢を整えるべく、兵士たちにもう一日の休息を与えたのだ。


あのとき、攻撃命令を下していれば……。さらに言うと、このアルガワに進軍したときに、そのまま王都に攻撃を仕掛けていれば、アルガワはこの手に入ったのだ。あのときは自分も、兵士たちも疲労困憊していた。だが、王都の守備は整っていなかった。疲れた体に鞭を打って王都を攻撃していれば、今の状況にはならなかったかもしれない。兵士たちも、目の前に勝利がぶら下がっているのだ。或いは、疲れを忘れて攻撃ができたのかもしれない。


そんなことを考えてみたが、それは今となってはどうしようもないことだった。


「退け。撤退する」


「国王様!」


家来の一人であるイセツがゲヌツの前に進み出て、片膝をついた。


「我が軍は未だ、敗れてはおりません。アガルタもラウラジも攻撃の様相を見せてはおりません。これから陽が落ちます。夜陰に紛れて乾坤一擲の攻撃を加えれば、間違いなく、間違いなくあの城壁を突破して王都を陥落させられます。王都を陥落させられさえすれば、アガルタもラウラジも撤退し、南に集結しているアルガワ軍も離散することでしょう。国王様は出陣の折、申されたのではありませんか! 我が国の荒廃はこの一戦にあり、と。まさしく、まさしくここが我が国の剣が峰でございます! 国王様。私に先陣をお命じ下さい。我が軍の兵士たちを鼓舞するような攻撃を見せてご覧に入れます。我らの後に続いて、国王様も攻撃にご参加ください!」


イセツはハアハアと肩で息をしている。彼の気持ちは痛いほどよくわかった。しばらくの間、誰も彼に声を掛けられなかった。不気味な沈黙がその場を支配した。


「イセツ、よう言うた」


親衛隊長を勤めるバルバが口を開いた。彼の目には涙が浮かんでいた。


「しかし、だ。イセツ。北方にアガルタ軍が移動しつつあり、南にはアルガワ軍。我らの背後にはラウラジ軍が控えている。特にラウラジは狡猾だ。我らが隙を見せた瞬間に攻撃を仕掛けて来るだろう。さらには、王都攻撃に手こずると見ると、我がルレイク領内に進攻する可能性すらある。ここは、国王様の言われる通り、一旦撤退して、捲土重来を期すことが肝要である」


その言葉に、イセツは涙を流した。


「むっ、無念です……。王都を目前にしながら……」


イセツの涙にゲヌツは一瞬、目を背けたが、やがて意を決したように立ち上がった。


「これより撤退する。夜中の撤退となるために各隊、隊列を整えて進むのだ。特に敵からの追撃については注意せよ。殿はバルバに任せる」


「承知しました」


そう言ってバルバは立ち上がった。それがまるで合図であったかのように、その場に居た家来たちも同じように立ち上がった。


「……やっとカカアが抱けるでよ」


「間男を追い出してからじゃがな」


撤退の道すがら、兵士たちのそんな会話が聞こえてきた。彼らの間からは時折笑い声さえ起こる始末だった。ゲヌツは馬を駆りながら、これでよかったのだと呟いた。兵士たちは国に帰りたがっている。その兵士たちには、これまでにない負担を強いた。どこかで詫びねばならないな、などと頭の中で考えた。そしてすぐに、撤退してからルレイク王国をどうしていくのかを考えねばならなかった。彼は思わず、大きなため息を漏らした。


◆ ◆ ◆


「退いた、か」


俺は先遣隊と合流する前に、ルレイク軍撤退の報告を受けた。すぐさま俺は連れてきた兵士たちをアガルタに帰すよう命令を下した。追加の五千の兵士たちは演習と言って夕方に出陣させ、森の中に入って周辺が暗闇に包まれたときに、あらかじめアルガワに張ってあった転移結界に転移したのだった。五千の兵士たちは合流してから話をしようと思っていたのだが、その手間が省けた。彼らにはもう一度アガルタに戻ってもらい、そのまま都に帰って訓練終了という形を取ることにした。


俺とマトカルはとりあえずホルムの許に向かうことにした。夜中、二人で馬を駆るのは初めてじゃないだろうか。真っ暗な森の中で、ライトをつけて注意深く進む。光のせいか、周囲に色々な魔物や動物が集まってきているのがわかる。だが、俺たちに襲い掛かってくる気配はない。たぶん、直感的に俺たちに手を出すとヤバイというのがわかっているのだろう。


森を出ると、広い草原に出た。マトカルは俺に少し視線を向けると、無言のまま馬を走らせた。俺も彼女の後ろについていく。イリモの足であればマトカルの愛馬を追い抜くのは簡単にできることだが、それはしないでおく。彼女なりに道を知っているような手綱さばきなので、ここは大人しく付いていくことにする。


ホルムたち先遣隊の陣所には、それから小一時間ほどしてから到着した。深夜ということもあり、皆眠っているかと思いきや、ホルムは起きていて俺たちを迎えてくれた。すぐに三人で打ち合わせをして、取り敢えず夜が明けたら、アルガワの王都に向かうことにして、俺たちは体を休めた。


結界を張って中で仰向けに寝っ転がると、空に満天の星空が見えた。それはあまりにも美しく、俺はしばしその光景に見とれた。隣の結界で眠るマトカルにも教えてやろうとしたが、どうやら彼女はすでに眠っているようだった。こう言うところに来てすぐに眠れるのはさすがだなと思いつつ、俺は目を閉じた。


どのくらい眠ったろうか。およそ三時間程度の睡眠だったと思うが、目を覚ますとすでに周囲は明るかった。外を見るとホルムは兵士たちと一緒になって朝食の準備をしていた。俺も手伝おうとしたが、一応ケンシンという名目で来ているので、取り敢えず布を顔に巻いて外に出た。その姿を見て数人の兵士が、ケンシン殿と懐かしそうに声を上げて、俺のところに寄ってきた。皆、懐かしそうな表情を浮かべている。だが俺は、この男たちのことを覚えていなかった。さすがに、どなた様でしたかとまともに聞くほどの度胸は持ち合わせていなかったために、ポンコツ政治家のように、ああ、うん。ああーなどと声を上げてその場を躱すしかなかった。本当に、ゴメン。


俺はホルムとマトカルのところに戻り、朝食を食べながらこれから先のことを話していた。ちなみに、マトカルには珍しく寝癖ができていた。ちょっとかわいらしかったので、俺は何も言わないでいた。


そのとき、一人の老人がやってきて、アルガワ王からの使者が来たと告げた。取り敢えず会ってみることにして目通りを許すと、男は俺たちをまるで神を崇めるかのようにして平伏した。そして、この度の国の危機を救って下さって、心から感謝しますと言って、いつまでも頭を上げず、礼を言い続けた。


さすがにそれでは話がしにくいと言って顔を上げてもらう。マトカルは一切表情を変えないが、俺にはわかる。イライラしていた。きっと心の中では、グダグダ言っていないで、早く要件を言えと言っているに違いなかった。ホルムもそれを察したらしく、苦笑いを浮かべている。


「我が王にあらせられましては、アガルタの皆様を王都にご招待申し上げたいと申しております。ぜひ、私と共に王都にお越しくださいませ」


チラリとマトカルを見る。彼女は小さなため息をついていた。

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