第九百八十五話 熟慮の必要
ジザンとの話を終えた俺は、マトカルを伴って帝都の屋敷に戻った。勝手口から入ると、子供たちが出迎えてくれる。俺の一番幸せな時間だ。
子供たちは一体いつまでこうやって俺たちを出迎えてくれるのだろうか。その時間は意外と短い気がする。そのうち、夜まで家に帰って来なかったり、めんどうくさいなどと言ったりして、俺のことなど見向きもしなくなるかもしれない。そう考えると、この時間はとても貴重なもののように感じる。
ふと、隣のマトカルに視線を向けると、彼女もアガルタでは見せない表情を浮かべている。いつも表情を崩さずクールな佇まいだが、実はとても子供好きなのだ。淡々とした表情だが、体から優しさが醸し出されている。ちょっとツンデレな彼女だが、それはそれで魅力の一つと言えるだろう。
部屋に帰り、着替えてダイニングに降りると、夕食の準備ができていた。相変わらずペーリスの食事は美味い。何だかよくわからない肉だが、その上にゼリー状の塊が乗っている。それと共に食べると、肉の旨味が凝縮されたような味になる。言わば、クセになる味だ。
食事をしながら、俺はアルガワ王国に出陣することを妻たちに伝える。一番先に反応したのはリコだ。
「また……戦いになるのでしょうか」
「戦いにはならないと思うよ」
「で、あればよいのですが……」
「今回はどちらかというとアルガワ王国の復興支援が主な目的だ。いま、先遣隊として出陣しているホルムら五千の兵士たちの後詰として、新たに五千の兵を送る。その軍勢でルレイク軍を撤退させ、そうしておいて、そのままアルガワの復興支援を行う」
「どうやってルレイク軍を撤退させますの?」
「それは、敵の退路を断つのだ」
「退路を、断つ?」
「ああ。アガルタ軍一万で敵の背後に回り込んで牽制する。聞けば、アルガワの王都を守る城壁はかなり堅牢で、一日や二日で落とすことは難しいのだそうだ。そこに自軍と同規模の軍勢が退路を断とうとしている。まともな司令官ならば、すぐに兵を引かせるはずだ。聞けばルレイク王国を率いる王様は、バカではなさそうだ。たぶん、これで戦闘になることなく今回の騒動はおさまると俺は見ている」
「で、あればいいのですけれど……」
「心配するなリコ。俺が今まで嘘を言ったことがあるか?」
「……」
「どうして黙るんだよ」
「ウソをついたか付いていないかは知りませんけれど、別に、信じていないというわけではありませんわ」
「酷くないか、それ」
彼女の言葉にドッと笑いが起こる。少し硬くなりがちだった場の空気が一気に和らぐ。俺は笑みを浮かべたままメイに視線を向ける。
「アルガワ王国の騒動が解決したら、また、アガルタ大学の学生にお手伝いを頼まなきゃいけなくなるかもしれない。メイ、心づもりをしておいてくれ」
「承知しました。できましたら、火山灰の被害状況も調査できますと、嬉しいです」
「そうだな。機会を見つけて、先様に聞いてみることにするよ」
そこまで言うと俺はシディーとメイに視線を向ける。
「明日には出陣したいと思う。すまないけれど、鎧の準備を頼む」
「待ってくれ、リノス様」
マトカルが口を開いた。皆の視線が彼女に集中する。
「鎧を着ていくのはやめてくれ。今回もリノス様はケンシンとして軍に帯同してもらいたいのだ」
「え? どうして?」
「先遣隊五千の後詰にさらに五千の兵がいるというのは不自然なことではない。だが、その後詰の軍勢を王自ら率いているのはいかにも不自然だ。やはりここは、リノス様はケンシンとして赴くのが一番だ」
「えー」
「あの鎧を気に入っていて、身につけたいという気持ちはよくわかるが、今回の派兵は遊びではないからな。そもそもこの作戦はリノス様が直接指揮を執るような規模のものではないのだ」
図星を突かれてしまい、さらに必要ではないような言い方をされて思わず口が曲がる。あの、メイとシディーが作った鎧は、本当にカッコイイ。あれを着ていると、俺の男前度が三割は上がっているような気がする。それこそ、何とか頑張ればエクスカリバーが放てそうな気すらするのだ。
ただ、この鎧は着つけるのに時間がかかる。以前に比べてずいぶん早くはなったが、それでも、メイとシディーの二人でなければ着つけることが難しい。それ程、あの鎧は精巧にできているのだ。
マトカルの言葉に、メイもシディーもどう反応していいのかわからないという表情を浮かべている。鎧を着せろと言われれば着せますけれどと言わんばかりの雰囲気だ。そんな彼女らに向かって俺は苦笑いを浮かべる。
「今回も、マトカルお姉さんの言うことを聞いて、ケンシンで行くことにします。ソレイユが作ってくれるあの布は、実にいい働きをしてくれている。ソレイユ、ありがとうね。そして、メイとシディーも、また、鎧を着る機会もあるでしょうから、そのときはよろしくお願いします」
俺の言葉に、三人の美女はゆっくりと頭を下げた。
◆ ◆ ◆
ルレイク王ゲヌツは、アガルタ軍の後詰が迫っていると聞いて驚愕した。彼は、自分を含めた兵士たちの疲労が抜けていないことを見て、アルガワの王都の総攻撃を一日延期していた。この驚きの報告が入ってきたのは、そんなときだった。
彼はすぐさま家来たちを集めた。
「アガルタ軍五千だけでも厄介なのに、さらにその規模が五千増える。我ら一万五千とアガルタ軍一万。数の上では我らが有利に見えますが、かの軍勢はデウスローダにおいて自軍の三倍の軍勢を打ち破った実績があります。戦力的には、我が軍を凌駕すると見てよいでしょう」
家来の一人であるレアが言った。他の者もほぼ、その意見で一致しているようだった。その様子を見たレアはさらに言葉を続ける。
「国王様、ここは熟慮の必要があろうかと存じます」
熟慮、という言葉に彼は力を込めた。彼は遠回しに撤退を進言していた。このまま王都を攻撃しても、あの城壁を抜くのには数日かかる。その間にアガルタ軍は迫ってくることだろう。どう考えても、アガルタの進軍速度の方が早い。そうなれば、アガルタとの決戦となる。それは圧倒的に不利であると彼は言っていることを、ゲヌツは十分に理解していた。
だが、ゲヌツ自身も退くに退けない状況であった。ここで撤退してしまっては、ルレイクは亡びるしかなくなる。ルレイクが存続するためには、何としてもこのアルガワを併呑するしか方法はないのだ。
ゲヌツはアガルタがどうして参戦しているのかがわからなかった。アガルタとアルガワには同盟は存在しないはずだった。にもかかわらず、アガルタはどうして一万もの軍勢を派兵しているのだろうか。話ではアガルタはこのアルガワの復興支援のために軍勢を派遣していると言う。ということは、装備も戦闘用ではないはずだ。さらには、兵士たちも戦いのために派遣されているわけではないから、その士気は高くはないかもしれない。となれば、決戦になったとしても、アガルタ軍を押し返せるのではないか。そんなことを考えていたゲヌツの許に、さらによくない知らせが入った。
各地に散っていたアルガワ軍が王都の南側に集結していると言うのだ。数としては今のところ問題ではないが、その数は時間を追って増えているのだと言う。その報告を聞いているさなかに、さらにもう一人の伝令が飛び込んできた。
「申し上げます! ラウラジ軍五千、アルガワの国境に向かっているとのことです! 察するところ、アルガワへの援軍と見受けられます」
「国王様!」
そこにいた全員の視線がゲヌツに向けられた。