第九百七十八話 お目出度がる
……だいたい嫁を貰うのはこっちだ。こっちがアルガワに、ロウの嫁に息女を欲しいというなら筋が通っているのに、向こうから貰えと言ってくるのはアルガワの方が我が国の上に立っているという気があるからだ。しかも何だ。九歳も年の離れた傷物の娘を寄こそうなどとは、我が国を舐めるにも程がある。相変わらずあのアルガワ王は頭が高い。
ゲヌツはそう思ったが黙っていた。
アルガワ王は国内の和平にやっきになっていた。そのためには、周辺国を固めておく必要があった。隣国であるルレイクとラウラジがおとなしくしてくれさえしたら、彼の希望は叶えられるのだ。彼は戦闘をさせれば強いが、あまり戦いを好まぬ性格だった。それは、アルガワという国が豊かで、特に戦わずとも食べていける点も要因の一つだった。
そんなアルガワ王が、明らかに挑発とも取れるこの婚姻を提案してきたのは、ゲヌツにはどうしても解せなかった。このような条件を唯々諾々と吞む男と見られているのだろうか。だとしたら、この私もずいぶん舐められたものだと心の中で嘯いた。
「いかがなものでしょうな」
オルガベが、それまでになく鋭い視線をゲヌツに向けた。快諾を期待した態度だった。アルガワ王国を嵩に着て押し売りをしようとする意思がはっきり表れていた。
「さよう、結構な話だとは思うが、ロウはまだ若年だ」
「いや、決して早いことはございません。国王様は、たしかもっと早かったと思いますが。それに、女房というのはしっかりした年上に限ります。世界中に目を向けてごらんなされませ。あの、アガルタ王のお妃さまも確か、六つほど年上であったと記憶しております」
まるでアルガワがアガルタとの繋がりがあるような物言いに腹が立ったが、確かにゲヌツが結婚したのは十三歳のときであった。しかも、妻となったのは彼よりも四つも年上の女性であった。
何も知らないゲヌツは家来たちの言うままに褥に無理やり追い込まれるようにして寝た。それでも彼はそこで何をするべきかをはっきりつかめなかった。ゲヌツに閨の作法を教えたのは、嫁いできたばかりの妻だった。彼女はすでに男を知っていた。
「殿下、このようになさいませ。そうしなければなりませぬ」
妻はそうしなければならないことをこまかい身振りを交えて、噛んで含めるようにゲヌツに教えた。そのときはそんなものかと思いながらその指示に従った彼だが、後年、これがつまりはそう言うことであるとわかったとき、彼はひどく傷つき、屈辱に震えたのだった。結果的にその妻はゲヌツの子供を身ごもったが、その子供が産めずに母子ともに死んだのである。いま、彼はそれと同じ思いを息子にさせようとしていた。これは何としても断らねばならない。そう決心した彼に、オルガベはさらに言葉をつづけた。
「このことは、内々、お妃さまへもお知らせしてある筈でございます」
この言葉はゲヌツにさらに追い打ちをかけるものだった。この場で、否応なしにこの縁談を承知させようとする腹のようであった。ひとたび話を切り出すと性急にその結論を求めようとするあたり、オルガベという男はなかなかしたたか者であった。
「なに、妃に……」
ゲヌツはその言葉に驚いたが、すぐにありそうなことだと思った。ゲヌツは娘をアルガワに嫁がせてある。手塩に育てたかわいい娘だ。その娘と妻は仲が良く、頻繁に手紙のやり取りをしていた。彼がアルガワの内情を知ることができるのも、それがあってのことだった。その弱みに付け込んで、縁談の押し売りに娘を使ったアルガワのやり方が気に食わなかった。
「なかなか行き届いたことをなされるな……。しかし、縁談はやはり、本人の意思によって最終的には決定されるものであるから、一応はロウにも話してみることにしよう」
詭弁だった。百姓町人ならいざ知らず、王族たる者の結婚に、いちいち本人同士の意思を聞くなどということは未だかつて聞いたことがない。国王、王族の結婚は政略結婚か略奪結婚か、そのいずれかである。ゲヌツがそんなことを考えていると、オルガベが、ごくわずかながら笑いを浮かべた。にやりというほどではなかったが、たしかに笑いが見えた。
「ロウ様はすでにご承知なされました」
オルガベははっきり笑いを浮かべていった。
「なにロウが」
ゲヌツはムッとした。妻、娘、息子がぐるになってアルガワと政略結婚の相談をしたうえ、事後承諾に来られたようで腹が立った。
「これからなにごとにつけ、父上にご相談申し上げお教えを請いたいと思っております」
王太子の指名が済んだあとの挨拶のときにロウはそんな生意気な口をきいたのを思い出した。そのロウが、後の最大重大事である結婚についてひとことも相談しなかったということは許せないことであった。
「ロウが承知したかどうかはロウにきけばわかることである。もしそうなったら、もはや何も言うことはない」
ゲヌツは心の中の不満を外に出さないようにしていた。それでも、オルガベは、ゲヌツが面白くなく思っていることを察して、
「まあ、何はともあれ、アルガワ王国、ルレイク王国……」
と言いかけて、あわてて
「ルレイク王国、アルガワ王国にとっておめでたいことでございます」
オルガベはひとりでお目出度がりながらその場のつめたい空気をかわそうとした。ゲヌツは、その縁談の将来に対して決して明るい期待は持っていなかった。なぜか、そこには、ゲヌツと嫡子ロウとの間に一線を劃すものがあるような気がしてならなかった。だが、今は断るべき理由はなかった。そこまで進んでいて断ったら。アルガワ王国と不和になる。それはルシルナノ攻略が完成していない今日においては、明らかに、不利であった。だが、ゲヌツは、これほどの重大事を陰で決めようとした妃と、その妃に言い含められたにしろ、ひとことも父ゲヌツに相談しに来なかったロウがどうしても許せなかった。
「いずれ正式に当方よりアルガワ王国へ、ご息女輿入れの儀をお願いに行くことになるであろう」
正式というとことにゲヌツは力を込めて言った。
オルガベが帰った後で重臣を集めて意見を聞くと、大半はその縁談に賛成した。反対する理由がないから賛意を表明したといったふうな消極的なものであった。
重臣たちが下がった後、宰相バルバが近づいて来て、ゲヌツに言った。
「もしかすると、国王様の周囲に、間者が入り込んでおるかもしれません」
「どういうことだ」
「ロウ様とオネ様の縁組……。いくら何でも性急すぎます。もしかすると、この間の金山の話が、先様に漏れているのやもしれません」
「……」
確かに、とゲヌツは心の中で呟いた。表向きはルレイクとアルガワの関係が深まるように見えるが、嫁いでくるオネは人質としては何の価値もないことは明らかだった。そんな者を王太子の妻に迎えるということは、ある意味でアルガワに屈服したような印象を与えかねないことであった。バルバはさらに、これでオネ様を通じて、ルレイク王国の情報はアルガワに筒抜けになると付け加えた。
ゲヌツの首に冷たい刃を当てられたような気がした。我が国の和平を脅かす者は、誰であれ絶対に許さないというアルガワ王の意思を見た気がした。
「……アルベラ金山への道は、近いようで遠い、な」
ゲヌツは誰に言うともなく呟いた。その言葉に、宰相バルバはゆっくりと頭を下げた。
「それに、アルガワ王国の王太子ジザン殿が、アガルタに向かったと報告がございました」
「アガルタへ?」
「はい。留学というのが表向きの理由のようですが……」
このとき、ゲヌツは心の中で、アルガワ王国への侵攻を決意していた……。