第九百七十七話 老人のたわごと
その翌日、国王ゲヌツは自室に宰相であるバルバと親衛隊長を務めるヤマガルを呼び出した。
「……ううむ。確かに」
二人は、ワカロ金山の現状を伝えられると、一様に動揺を見せた。さすがにこの二人はママイから何らかの情報を得ているだろうと考えていたが、ママイは彼らにすらその状況を伝えていなかった。一瞬、ゲヌツはママイの行動に不快感を覚えたが、よくよく考えてみると、それはそれである意味では理に適った行動であると言えた。
ワカロ金山の産出量が減じるとなると、国内および周辺の国々に衝撃が走ることになる。そうなれば、探られたくない腹も探られることになる。特に現在同盟を結んでいるアルガワとラウラジは、その状況を確認しようとするだろう。もし、金の産出量が大幅に減ずるということになれば、せっかく結んだ同盟も反故にされる可能性がある。そうなれば、隣国、ルシルナノへの侵攻どころではない。以前のような食料の獲得に四苦八苦しながら国土の防衛に緊張するという日々に戻ってしまうのだ。
「毎年一万の金が産出できて、それは、五十年は続くだろうと大見えを切っていたのに、金を採掘してからわずか数年で減産になるとは……。だから私は言ったのです。あの男は信用ならないと」
親衛隊長ヤマガルが口を開く。確かにそうかもしれないが、ママイが金を採掘してくれたおかげで現在のルレイクの繁栄があるのではないか。国王ゲヌツは腹の中でそう呟いたが、顔には出さずにヤマガルに視線だけを向けた。
「……とはいえ、ワカロ金山の減産は、看過できぬことですな」
宰相バルバが眉間に皺を刻みながら、さも困ったと言わんばかりの表情を浮かべる。
「その通りだ。ママイの部下たちからの話によれば、現在の金の精錬・精製方法を見直せば、あるいは減産を食い止められるかもしれぬらしい。その技術を持っているのはアガルタであるということだ。従って余は昨夜のうちにアガルタ王あての親書を認め、今朝、それを持たせて出立させた。おそらく、技術は半年もあれば習得できるであろう」
「なるほど。さすがは国王様ですな」
「あといま一つ、金の産出量を減らさぬ方法がもう一つある。他国の金山を奪うことだ」
「他国の金山、でございますか……」
「ああ。ヤツらが言うには、アルガワのアルベラ金山が随一ということだ」
思ってもみなかった話なのだろう。二人とも目を見開いて驚いている。だが、すぐに普段の表情に戻ると、宰相バルバが静かに口を開いた。
「確かに、アルベラ金山は、埋蔵量が無尽蔵であると言われている金山ですな。まさしく、現在のアルガワ王国の屋台骨を支えている金山……。これが、我が手に入れば、何を言うことがありましょうや」
「……ただし、くれと言っても、アルガワは承知するまい。さすれば、獲らざるを得んだろう」
国王ゲヌツはそう言って、親衛隊長のヤマガルを見た。もし、アルガワと事を構えたときに、今の軍事力で勝利することは可能かと目で問いかけたのだ。
「可能である、と存じます」
ヤマガルはそう言って一礼した。再び顔を上げたとき、彼の表情は一変していた。まさしく、戦いに際しての引き締まった表情だった。
「アルガワ国王はすでに御年六十四歳におなり遊ばします。数年前にお世継ぎを亡くされて以降、体調は優れぬと聞いております。おそらくその御命は十年と持ちますまい。現在の王太子であるジザン殿は凡庸で暗愚であると言われております。国王交代の時期を見てアルガワに侵攻すれば、金山はもちろん、アルガワの肥沃な土地も我らの手に入りましょう」
ゲヌツの許には、先年ジザンに嫁がせた娘から折に触れてアルガワ王国の内情が報告されていた。それによると、王太子ジザンは覇気がなく、武芸を磨かずに本ばかり読んでいるということだった。ヤマガルが侵攻に乗り気になるのも無理はないことだった。
彼はアルガワ侵攻の話についてはこれ以上の議論をせずに、止め置いた。だが、それからひと月後、アルガワからの使者がゲヌツの許に訪れた。
やって来たのは、風采の上がらない老人だった。オルガべという男で、ゲヌツの娘が輿入れした際に、アルガワの国境まで迎えに来た男だった。腰の低い好々爺で、その振る舞いには誰もが笑みを浮かべる程のバカ丁寧さが記憶に残っていた。
ゲヌツは、この男が何の用でやって来たのかがわかりかねていた。そんな彼の心中など知らないとばかりに、オルガベは対面するとピョコピョコと頭を何度も下げた。
「しばらくの間に見違える程ご立派になられて恐悦至極に存じます」
そう言って頭を下げて、さてと言い出したときが警戒しなければならないときだと直感的に思った。それほど、このオルガベの言葉は的外れなものだった。だが、男はなかなか要件に触れなかった。この間、こちらに来たときは夏の盛りでひどく暑かったが、今度は涼しくていいなどと言ったり、自分の白い鬢の毛を差して、年ばかり取ってろくにご奉公はできないなどと言ったりした。
「さよう、さよう、年と申しますと、貴国の王太子殿下であらせられるロウ様は確か十五歳におなり遊ばしましたな」
オルガベはふっと思いついた聞き方をした。そんなことは百も承知であろうのに、この狸め、とゲヌツは思ったが、それを顔には出さずに平静を装った。
「さあ、倅は幾つになったかな、倅を呼ぼうか」
ととぼけると、オルガベはいやいや、それには及びませんと言いながら、ずいっと一歩進み出た。
「これは老人のたわごとと思ってお聞き捨て願いたいと存じますが、我が国では昨年、あのようなご不幸があって以来、何かと物足りなく感じられるようになりまして、このところ、この老人めも何事につけても、もののあわれを覚えるようになりまして……」
オルガベの言う昨年のあのような不幸というのは、アルガワ王国の皇后が薨去したことであった。
「あれこれ、世の行く末などを考えていますと、ふと、死ぬことは生きることだということに気がついたのでございます」
ゲヌツはうん、うんと頷いていた。前置きが長いが、もうすぐ、彼の要件を出すだろうと我慢して聞いていた。
「お亡くなりになられた皇后さまの胸中を察しますと、お手元にて育てられたオネ様のことが気がかりであろうと愚考いたします。オネ様に縁のない状況のままでいるのは、なんとも耐え難いことと存じます。幸い王太子殿下ロウ様は十五歳におなり遊ばしたこともあり、アルガワ王の息女、オネ様と縁組が整いますればと――これはつまり老人のひとりごとであり希望でございます」
ずいぶん廻りくどいものの言い方だが、要するにアルガワ王の娘を息子の嫁に貰ってくれという要求であった。
冗談であろう、という言葉を飲み込む。アルガワ王の息女・オネのことは聞いていた。今年で確か二十四歳になるはずだ。才色兼備の女性であるとは聞いてはいるものの、息子のロウとは九歳も年が離れていることになる。普通に考えて、息子がオネを気に入るとは思えなかった。それに、オネは以前にアルガワ王の側近に嫁いでいたはずだ。理由はよくわからないが、結婚して数年で実家に戻っている。言わば傷物であった。そんな、一旦家来に嫁いで傷物になった九歳も年上の女性を娶れとは、常軌を逸した提案と言って差し支えなかった。
一瞬ゲヌツは、目の前にいる老人が気でも狂れたのかと思ったが、よくよく考えなおしてみると、猛烈に腹が立ってきた……。