第九百七十六話 国家存亡の危機
ルレイク王国……。周囲を山で囲まれた盆地にある国で、近隣では有数の軍事国家として知られている国だ。国王であるゲヌツ三世が即位してからこの国は、飛躍的な発展を遂げてきた。その理由は大きくわけて二つあった。
一つが南に国境を接する、アルガワ王国とラウラジ王国との同盟だった。この両国は海に面した国で、広大な領土を誇っていた。元々、アルガワ王国とラウラジ王国との間には古くから同盟関係があったが、数年前、この両国の皇太子にルレイク王国の姫が嫁いだことにより、三者には和平が訪れていた。
もともとルレイク王国とこの二者は、長い間緊張関係にあった。過去を紐解けば、この二国から軍勢を派遣されて侵攻されたことも一度や二度ではない。だが、攻めるに難く守りに易い山国の特性を生かして、代々の王はこの国を守り通してきた。ルレイク王国が軍事国家となった理由も、この二国との歴史が要因だった。
だが、現王であるゲヌツ三世の御代になって、この不倶戴天の仇敵とも言える両国とは、同盟関係を構築することに成功した。当然、国民は喜び、姫が輿入れする際は皆こぞってその行列を見送り、数百年ぶりに訪れる和平を祝ったのだった。
これによりルレイク王国は後顧の憂いを断つことに成功した。ゲヌツ三世は国境付近に展開させている数万の兵を、北方のルシルナノ地方に向けることを考えていた。
ルシルナノに存在する国家は、小規模なものばかりだ。彼らは長年にわたって婚姻を繰り返して互いが侵攻できなくなるようにしており、表向きは平和を維持していた。だがその内情は、互いが互いを牽制し合いながら、何とかして隣国の領地を掠め取ろうとしていて、小さな小競り合いや諍いが絶えなかった。
視野を広くして見れば、ルシルナノ地域は肥沃な土地を持っていた。ルレイク王国のような山国とは違い、周囲を山には囲まれてはいるものの、その広大な領土には、王国にはない平坦な土地があった。現在の小さな王国――小さな豪族たち――を一気に併呑することができれば、そこは巨大な穀倉地帯と化し、ルレイク王国が長年抱えていた食糧不足を一気に解消させることにつながる。今、この地域をまとめる者はいない。ルレイク王国にとって千載一遇の好機が到来していた。
今の王国の軍勢をもってすればそれは容易いことだ。この国がここまでの軍事力を保有できた理由は、国内で開発を進めている金山であった。これが、王国が飛躍的に発展した理由の二つ目であった。
現王・ゲヌツ三世は国中の山を調べさせ、ワカロ山に金脈があることを発見した。元々この山には金があると噂されていたが、険峻な山であることと、歴代の王が眠る墓が作られていることから、誰もがそこに手をつけようとはしなかったのだ。しかし、彼はそのタブーを敢えて犯してこの山を調べさせて、そこに多大な金脈があることを発見したのだった。
ワカロ山の埋蔵量は膨大であり、そこから採掘された金のお蔭でこの国の経済は大いに潤った。先に述べたアルガワ王国とラウラジ王国との同盟が成功したのも、これが大きな要因だった。ルレイク王国はこのワカロ山の金山によって、近隣では指折りの経済大国に成長することに成功したのだった。
国王ゲヌツは洋々と開けた未来に大いに満足していた。欲しいものは買いたいだけ買える。長年頭を悩ませてきた食糧不足は、豊富な資金によって解消されている。さらには、金山で働こうと、また、その金山で働く者たちに商売をしようと多くの人が集まってきて、人口も飛躍的に増大していた。加えて、カルサ川の治水工事に力を入れたことで、いつも悩ませられていた川の氾濫が起こりにくくなり、耕作地が増えた。今のこの国では、仕事にあぶれるということがなく、すべてが好循環していた。近い将来、ルレイク王国はルシルナノ地域を併呑することだろう。この強力な王国軍をもってすれば、ものの数か月で侵攻は完了するはずだ。そうしておいて、ルシルナノを一気に開墾する。そうなればこのルレイク王国は、世界に覇を唱える国家に躍り出ることも夢ではなくなる。
ゲヌツは立派な髭を撫でながら、満足そうな笑みを浮かべていた。現在、世界を支配しているヒーデータ、アガルタ、クリミアーナという三つの勢力の中に、新たに第四の勢力として我が国が加わることになるかもしれない。彼の心は踊っていた。
「申し上げます。国王様、経済大臣のママイ様がお見えでございます」
近習の一人がそう言って恭しく一礼した。ゲヌツは上機嫌ですぐに参ると言い、椅子から立ち上がった。
◆ ◆ ◆
経済大臣ママイからの報告は、国王ゲヌツにとって予想もしていない内容だった。
「今……何と、申した?」
「はい……ワカロ金山の産出量が、減産に転じると、申し上げました」
「どういうことだ?」
「……新たな鉱脈を見つけようとこれまで、努力をしてまいりましたが……。近頃は湧き水も多く、金の採掘自体に難渋しております。このままでは、あと数年でワカロ金山の産出量は半分程度になるかと愚考します」
「そっ、そのような大事なこと……どうして報告しなかったのだ!」
「金の産出量に関しては、新たな技術によって補おうと考えておりまして、私の一存で報告を控えておりました」
「その、新たな技術とは?」
「現在、鋭意、開発中でございます」
「いつ、それは確立されるのだ」
「しかとしたことは……」
「もうよいわっ! 下がれっ!」
「ハハッ」
ママイの顔は蒼白になっていた。
自室に戻ったゲヌツは誰も部屋に入れず、一人で目を閉じたまま微動だにしなかった。彼は頭に血が上るといつもこうして一人になって、冷静になろうと努めた。
心が落ち着いてくると、ママイに対して言いすぎてしまったという後悔が心の中に湧き上がってきた。彼の性格は熟知している。真面目な男だ。決して職務を疎かにする男ではない。その彼がここまで報告に来なかったのには、ただ偏に、国王たる自分に心配をかけたくないからだった。彼は彼で、必死にこの国家存亡の危機に向き合っていたのだ。
とはいえ、現在の状況は決して看過できるものではない。早く何らかの対策を立てねばならない。ゲヌツは数日後にもう一度ママイと話し合おうと決めて立ち上がった。しかし、経済大臣ママイが自宅で自ら命を断ったという報告があったのは、その翌日のことであった。
◆ ◆ ◆
「……何も自ら命を断つこともあるまいに」
国王ゲヌツは顔を歪ませながら口を開いた。その彼の前には、ママイの部下であるクルボ経済副大臣と秘書官を務めていたバルバが控えていた。ママイを失ったショックからか、二人ともその相貌は蒼白になっていた。
「ワカロ金山の件につきましては、我々の責任でございます。ママイ様はその責を一人で負って……」
クルボ副大臣が口を開いたが、ゲヌツはスッと手を挙げてその言葉を遮った。
「ママイの件は無念なことではあるが、それはそれとして、今は我が国の行く末を考えねばならない。ワカロ金山に関しては、どう考えるのか」
「二つの方法がございます」
秘書官のバルバが口を開いた。ゲヌツは彼に視線を向ける。バルバは恐縮しながら、さらに言葉をつづけた。
「一つが、新たな精製方法を取り入れることでございます」
ママイの言った言葉と同じように聞こえるが、確かママイは確立すると言ったが、今、バルバは取り入れると言った。ゲヌツは口を開く。
「取り入れる、とは」
「はい。金の精製および精錬方法に最も長けているのがアガルタでございます。そこに技術者を派遣してその技術を習得させます」
「……ウム。わかった。見込みのある者をすぐにアガルタに遣わせ」
「承知いたしました」
「……して、もう一つの方法とは」
「……新たな金山を手に入れることでございます」
「新たな金山? 見込みのある山があるのか」
「……それは、アルベラ金山が、随一かと存じます」
「アルベラ金山……」
国王ゲヌツは絶句した。それは隣国、アルガワ王国が所有する金山だった……。