第九百六十七話 結界石
しばらくすると、二人の男が侍女に案内されて入室してきた。帝国御用商人のデフルクだ。いかにも質のよさそうな服に身を包んでいる。この男は俺もよく知っている。ダーケ商会を設立するときに世話になったし、今の商会の商品を販売してくれるなど、便宜を図ってもらっていて、今もそれなりに世話になっている。
この男の凄いところは、何でも扱うという点だ。武器や防具に留まらず、食材、家具、宝石……ありとあらゆるものを扱っている。彼は注文された品物に対して、ノーと言ったことがないと言われている。どんな無茶な注文でも二つ返事で引き受けてしまうのだ。つまりは、この男は世界中にネットワークを持っているということだ。さらには、そこから膨大な情報も入ってくるために、陛下としては無視できない存在だし、言わば、このヒーデータ帝国の台所を支えている人物であると言える。おそらく、ネットワークの広さで言うと、ヴィエイユのクリミアーナ教国に匹敵するものを持っていると俺は見ている。このヒーデータ帝国が世界の覇権を握ることができたのは、この男の力も大きい。
一方でこのデフルクは、商売で大儲けをしているだけではなく、帝国に様々な支援をして、篤志家としての顔も持っている。例えば学校や劇場を建てたり、病院を建てたりして、帝都の発展に力を尽くしているし、最近では山を開墾して住宅を作ったり、道を整備するなどして、帝国の人々から感謝されている。おそらく商売敵も多いだろうし、色んな所で色んな恨みも買っているだろうが、こうして色々と還元を行うことで、自分のイメージアップも図っていて、経営者としては実に見事というほかない人物だ。
デフルクは相変わらず人のよさそうな表情を浮かべているが、目は笑っていない。いわゆる大商人と言われる人たちに共通する特徴だ。彼らは一見すると人当たりのよさそうな表情を浮かべているが、いざ、喋ってみると、彼らはどんな些細なことも見逃すまいという雰囲気を醸し出してくる。言葉もかなり選んでくる。俺も、初めてこの男と話をしたときは、何とも言えぬ緊張感に包まれて、終わった後にドッと疲れたのだった。
そして、そのデフルクの後ろから入室してきたのは、もう一人の男だった。デフルクは白い衣装を纏っているが、もう一人の男は黒の衣装を纏っていた。コイツは……?
「陛下にあらせられましては、ご機嫌も麗しく、何よりとお慶びを申し上げます。また、アガルタ王様におかせられましては、麗しきご尊顔を拝し、このデフルク、歓喜に堪えませぬ」
そう言って彼は深々と腰を折った。陛下は鷹揚に頷いている。俺もそれに倣って、ゆっくりと頷く。
「本日はお疲れの中、貴重なお時間を頂戴しまして、誠にありがとうございます。本日は、紹介したい人物がおりましたので、御前に召してございます。レハト殿です」
……レハト? レハトって言った? いや、違うよね。この男は、カイク帝国のウラワ殿下だよね? ついさっき会ったし、握手もしたよね? 一体何を言っているんだコイツは?
「サンハーリ商会のレハトと申します」
ウラワいやレハトはそう言って腰を折る。違和感がハンパではない。大体商人というのは、何とかして俺たちの懐に入り込もうとするのが一般的だ。私は怪しいものではないですぜーだとか、色々な情報を持っていまっせーといった雰囲気を醸し出しているものだが、この男の体からはそういった怪しさや柔和さは微塵もない。研ぎ澄まされた刃物のような雰囲気しか感じない。少し……殺気を纏っているか?
デフルクはこのレハトを、海運業者であると説明した。とりわけ、北方の海に精通していて、その周辺の領主に顔が利き、デフルク自身も世話になっているのだといった。
そのレハトは俺と一切目を合わせようとはしない。察するところ、ホルムとフィレット王女が結婚式を挙げると聞いて、デフルクに参加させてくれと頼んだのだろう。彼の力をもってすれば、男一人を宮城に入れるのは造作もないことだ。ただ、どうしてこのタイミングなのだろうか。わざわざ身分を偽って俺たちの許に現れた理由がよくわからない。だが、俺の疑問はすぐに解消されることになる。
「こちらのレハト殿は、陛下並びに、アガルタ国王様に折り入ってお願いの儀があるとのことで、お連れしました次第です」
デフルクの言葉に、レハトはスッと前に進み出る。
「私のお願いは、ヒーデータおよびアガルタで販売されている結界石を百万個、売っていただきたいのです」
百万個!? 俺は腹の中で唸った。思ってもみない数字だった。さすがにここで動揺を見せてはいけないと俺は必死で平静を装う。隣の陛下はさすがだ、一切表情を崩さずに、淡々と二人を眺めている。
この陛下の凄いところは、ピクリとも動かずに姿勢を維持できる点だ。儀式などでも、全く動かずに何時間も同じ姿勢を保つことができる。これはリコも同じで、俺にはできない芸当だ。聞けば幼い頃からそういうふうに躾けられたので、本人は全く苦にはならないそうだが、途中でお手洗いに行きたくなることもあるだろうに、ただ、どんな状況下でも表情と姿勢を崩さないというのは、相手に威厳を見せつけるのに有効だし、自分の心の内を悟られないという利点がある。俺もちょっと訓練してみようかなと思っていたそのとき、レハトはさらに言葉を続ける。
「我々は、今の海運業をさらに拡大、発展をさせていきたいと考えております。ただ、海は気まぐれだ。天気が突然急変することなど日常茶飯事だ。また、魔物も多く出没するし、海賊などの輩もいる。私は、そうしたことからできるだけ船員の命を守りたい。これから事業を拡大していくにあたって、船員たち、とりわけ、熟練の者が命を失うことは避けたい。そのために、ヒーデータとアガルタで販売されている結界石を、我が方に売っていただきたい」
デフルクが笑みを浮かべながらレハトに視線を向けている。レハトは苦笑いに似た笑みを浮かべると、再び腰を折った。
「レハト殿はあまりこうした場には慣れておりませんので、お気に触りましたら恐れ入ります。とはいえ現在、我が国においても、アガルタ国内においても、結界石を大量に購入することはできません。しかしながら、これからの帝国の未来を考えますと、レハト殿の影響力が広がれば、さらに多くの品物を入手することができ、ひいては帝国とアガルタ王国のためになるかと存じます」
デフルクはそう言って俺に視線を向けた。確かに、結界石はお一人様三つまでと制約を付けている。それはなにももったいぶっているわけではなく、生産が追い付かないからだ。あの石は、俺が一つ一つに魔力を込めているために、一気に大量生産することが難しいのだ。正直なところ、俺としては結界石はお一人様一つに限定したいというのが偽らざる本音だ。
ただ、先ほどのウラワ、いや、レハトの言った言葉の海運業を領土、船員を兵士と置き換えれば、自ずと彼の考えていることが読める。つまりは、他国に侵略していくにあたり、できるだけ兵士を死なせたくないというのが本当のところなのだろう。
俺は大量生産は難しいと説明しようとしたのだが、そのとき、隣の陛下が口を開いた。
「その気持ちはわからぬではない。しかし、それは叶わぬことだ。あの結界石は、一度に大量に生産できぬものでな。余としても、そなたと同じく大量に結界石を仕入れて兵士たちに携帯させたいのだが、数万の兵士に持たせるだけの石が出来上がらぬ。もし、それをするとならば、数十年先になる。果たして余が生きている間にできるかどうかだの、義弟殿?」
陛下の言葉に俺は無言で頷いた。ナイスフォローだ。