第九百六十二話 ようやく……
まさかクリミアーナ教国の名前が出るとは思っていなかったのだろうか。まあ、世間ではアガルタとクリミアーナは仲が悪いと言う評価だ。その両国を、ヒーデータ帝国が仲介しているというのが一般的な常識となっている。
別に俺としてはクリミアーナに関しては特に何とも思っていないし、ヴィエイユ自身にもマイナス的な感情はあまりない。生意気な小娘だな、とは思うが。とはいえ、子供たちはヴィエイユお姉ちゃんは大好きだし、彼女自身も、年に一二度は我が家に遊びに来る間柄だ。彼女自身も、表向きは俺たちと友好関係を築いている。裏では色々と動いているようだが、今のところ、俺たちに不利益となることはしていない。
逆に俺はこのカイク帝国のことを心配する。この殿下はヴィエイユに会ったことはあるのだろうか。何となく、だが、彼はヴィエイユのどストライクであるような気がする。きっと、ヴィエイユの大好物だろう。
ヴィエイユに骨の髄までしゃぶられて、きれいなクリミアーナの傭兵となる。そんな未来が見えるような気がしたのだが、気のせいだろうか。
「では、あらためて問う」
殿下の表情が真面目なものに変わった。殺気はない。俺は居住まいを正す。
「ケンシン、貴様は、アガルタ王国でどのような地位を得ているのだ」
「どのような地位?」
「アガルタ軍における階級は、何だ」
「ええと……」
確か、ホルムが大佐なので、一応その上ということにしておくのが自然ということになる。大佐の上ということは……。
「准将でございます」
ホルムが割って入ってきた。准将、か。妥当なところだ。アガルタ軍にはそんな階級はないが。
「じゅんしょう? 何だそれは」
「少将の下、大佐の上に当たる階級です」
「……。それで? ホルム、貴様の階級は?」
「私は、大佐を拝命しております」
「大佐、か」
殿下はスッと天井を仰ぐと、再び俺とホルムに視線を向けると、一気に口を開いた。
「貴様ら二人、俺の家来になれ」
「「は?」」
ホルムと二人、声が合ってしまった。いきなり何を言い出すんだ、この人は。
「俺はお前ら二人が気に入った。俺の家来になれ。役職、給金は望みのままを取らせる。どうだ」
「いや、それは……」
ホルムがさも、困ったと言った表情を浮かべながら俺に視線を向けてくる。俺も、同じ思いだ。
「あの……我々を家来に加えて、一体何をなさるおつもりで?」
「俺と共に、世界を獲ろうぞ」
……マジか。やはり「天下布武」の称号はダテじゃないな。
「すみません。興味がないです」
「……私も、同感です」
殿下の表情が厳しいものに変わる。そんな彼に俺は口を開く。
「俺は世界を獲るとか獲らないとか、そういう話に興味はありません。俺は俺の家族たちとただ、平和に仲良く暮らしていきたいだけです」
「……私も、自由で気楽な生活が送ることができれば、それで結構ですので」
「そんなことでは、アガルタは見る間に蹂躙されるぞ」
「そうならないように、準備するだけです」
「……何を言っても、無駄なようだな」
ようやく諦めてくれたかと思ったそのとき、殿下はニヤリと笑みを浮かべた。
「一つ頼みがある」
「頼み?」
「アガルタ王に会わせてもらいたい」
「……」
「俺は、アガルタ王に会ってみたい。貴様たちならば、アガルタ王に直接伝えることができるのだろう。俺の言葉を伝えてもらいたい。アガルタ大学の学生たちが活動するのは許そう。その活動が終わったとき、俺はアガルタ王をこの国に招待したいのだ。これは、支援を受けた者が支援してもらった者に対して礼を尽くす、当然の行為だ」
殿下はそう言って胸を張っているが、ド厚かましい話だ。何で俺がわざわざカイク帝国まで行かなきゃならんのだ。まあ、実際は行っていて、転移結界も張っているから、行こうと思えばいつでも行けるのだが。ただ、国同士の話となると、それはまた別の話だ。きっと、リコに相談するとすごく怒りそうな気がする。
「……承知、しました。お伝えは、させていただきます」
「頼むぞ。ハアッハッハッハ!」
そう言って殿下はその場を去って行った。一体何がそんなに可笑しいのか、俺にはさっぱりわからなかった。
ちなみに後日、この殿下からの要請はやんわりとお断りすることになった。むろん、リコが激怒したことは言うまでもない。彼女を宥めるのに、俺はかなりの時間を要したのだ。
その代案として、アガルタが主催する学会にこの殿下を招待した。ここならば俺も出席するし、むしろ、アガルタの同盟国や友好国が多く参加するので、あの殿下にとってもメリットはあるのではないかと思ったが、彼はその誘いを受け入れることはなかった。
それからすぐに、メイたちが学生を伴ってマツシレイの土地に入った。彼らは土地を調べる前にまず、その土地の古老たちと仲良くなる時間を作った。これまでこの土地を耕してきた者たちはある意味で、この地を知り尽くしている人たちである、という考えに基づいてのことだ。あんな強欲ジジイたちを懐柔するのには相当な時間がかかるだろうと俺は考えていたが、意外や意外、ジジイたちは短時間で学生たちを受け入れた。
ジジイたちを懐柔するにあたり、女学生を中心に対応させたというのがその一因ではあるが、最も大きな要因は、メイに従ってきたあの、リボーン大上王だった。あのジイさんは、マツシレイに到着したその日に、ジジイたちと騒動を起こした。そうなるとジジイたちは頑なになるのだが、学生たちの大半は、ジジイたちに味方したと言うのだ。若くてきれいな女性たちに味方されて、ジジイたちは鼻の下を伸ばしたらしい。
一方でもう一人のジイさんである、リボーン大上王はメイが丁寧にフォローを入れたらしい。このジイさんは、言っていることは正しいのだが、大上段から命令口調で言うために、ジジイたちとは全く合わない。まさに水と油なのだが、大上王はそれでもマツシレイに来ることを止めなかった。よほどメイのことが好きらしいが、彼女は俺の妻だ!
とはいえ、大上王の知識と経験は、このマツシレイでも大いに生かされているらしい。メイ自身も知らないこともあるなど、このジイさんから教えられることも多かったらしい。また、学生たちもそんな偏屈ジジイの言葉を素直に受け入れながら、尊敬の念を抱いているのだそうで、大上王はここで大いに自分の自尊心を満足させたようだった。
ちなみに、この活動は逐一、フラディメ王国に報告されており、その長い報告時間に辟易したメインティア王から、この大上王を死ぬまでアガルタで世話をしてもらえないかと打診されたのだが、丁重にお断りをしておいた。アガルタ大学は学問を学ぶ場所であって、老人ホームではないのだ。
メイたちが活動を始めてちょうど一ヶ月が経った頃、マツシレイの土地は生まれ変わった。その間、あのウラワ殿下からの妨害は一切なかったし、兵士がやって来ることもなかった。ただ、斥候と言うか、彼の手の者と思われる男たち数人が俺たちの様子をずっと監視してはいたが。
マツシレイは何と言っても、土の色が変わった。真っ黒で、見るからに柔らかそうな土が一面に広がっていたのだ。そこに、村人総出で種を撒いて、この活動は終了した。メイ曰く、秋の収穫時期になれば、このマツシレイでは、大豊作の光景が広がっているのだそうだ。俺もそのときは、お忍びで訪れたいと思う。
ようやくマツシレイの問題は片付きつつあったが、俺たちにはまだ、もう一つの問題が残っていた。そう、あのフィレット王女の問題だ……。




