第九百六十一話 一緒にしないで!
殿下には首から下に結界を張って、体が動かない状態にしている。彼自身は、突然体が動かなくなった理由がわからないらしく、戸惑いの表情を隠そうともしない。
「オイ貴様! 何をした! この間といい、今回といい、何をしたのだ!」
「ちょっと体の自由を奪っただけです。命には別条はありません。今のところは。殿下が殺気を放っていたのでね……。俺としましても、ここで死ぬのはイヤですので」
「まずは俺の質問に答えろ。お前とあのホルムはアガルタの者であることは、間違いないな?」
「まあ、ご想像の通りかと思います」
……さすがに隠しきれるものではないと判断した俺は、とりあえずアガルタの者であることを明かした。とはいえ、話しの流れ次第では、精神魔法を使って彼の記憶を操作する必要がある。そんなことを考えながら俺は、この男に対峙する。
「お前たちが我が国にやって来た理由は、何だ。それに、あのフィレット王女だ。ネルフフ王国の姫が、どうして我が国にいる」
ふと見ると、王女が扉を開けて、顔だけを出してこちらを見ているのが見えた。ここで怒鳴り散らされては、色々な人の目にもつく。俺は近くに控えていたホルムを呼び、二人で抱えるようにして殿下を元居た部屋に運び込んだ。
殿下は剣の柄を握ったままの姿勢で固まっている。何だか彫刻か、デッサンのモデルのようでちょっと面白い。
「……おい、その前に、取り敢えず、俺の体を動けるようにしろ」
「承知しました。ただし、また俺たちに殺気を向けたら自由を奪いますからね。あ、ちなみに、王女に手を触れるのも禁止です。基本的に、おさわり厳禁でお願いします」
体が自由になった殿下は、わかったような、わからないような表情を浮かべながら、目の前の椅子に腰を下ろした。
「で? なぜ、アガルタの者が我が国にいるのだ」
「正直にお話しますと、貴国の方から相談を受けたからです」
「相談?」
「このマツシレイの新領主、ナノル様にお仕えしているコリタという方がアガルタに書状を遣わして、ナノル様の国替えを止めさせて欲しいと言ってきました。アガルタ側は一旦断りましたが、コリタさんは諦めずにわざわざ都に来られて、直訴に及んだのです」
「……」
「そのコリタさんは私とホルムがお話を聞きました」
「……どうして斬らぬのだ」
「は?」
「直訴などど……。そのような無礼者は斬り捨てるものではないのか」
「あいにく、アガルタにはそうした法はありませんし、そうした文化もありません」
「……」
殿下は腕を組むと、鋭い視線を向けてきた。俺はそんなことには構わず、さらに言葉を続ける。
「お話を承ると、思った以上に面白かったのですよ。アガルタには色々な要請が届いていましたが、自分の領主の国替えを止めさせてくれと言ってきたのは初めてだったのです。それで、話を聞けば、ナノルという領主は、とても領民から愛されているし、善政を敷いたために、国内で発生した飢饉では、餓死者がゼロと言うではありませんか」
俺の話に殿下はバツの悪そうな顔をした。何だか、面白い。
「飢饉はどの国でも起こる可能性があるものですが、我々はカイク帝国という国に興味を持ちました。さらに話を聞くと、もし、ナノル様が国替えになったとき、その後任として任じられた方がやってくると、サクの領民は死に絶えると聞いて、さらに驚きました」
「……ノズミ、か」
「その通りです。コリタさんはお話を聞くだけでそのままお引き取りを願いましたが、我々としては、そのサクという土地を見てみようということになりまして、私とホルムがサクに赴いたというわけです」
「どうしてそのようなことになるのだ。アガルタには関係のない話であろうが!」
「そう言われましても……。興味を持ってしまったので、ねぇ……」
ホルムに視線を向ける。彼も少し困ったと言った表情を浮かべながら頷く。確かに、関係ないと言われれば関係のない話だ。俺の単なる気まぐれなのだ。ただ、その気まぐれがあったおかげで、マツシレイの土地を苦しめていた山がなくなり、ナノルはサクを離れることなく、その上に新しい領地まで増えたのだ。ある意味でカイク帝国は、菓子折りの一つも持って礼に来てもよいくらいだ。
「で? だが、お前たちはマツシレイにいた。なぜ、マツシレイにいたのだ」
「一旦、サクに参りまして、その土地を見させてもらいました。酒屋に入りますと、ナノル様がどれほど慈悲深い方なのか、そこで話をされている方々を見ていますと、それがよくわかりました。対して、ノズミが治めているマツシレイでは、とんでもない有様になっていると聞きました。そんな土地にナノル様やコリタさんは移らねばならない……。何とかしてやりたいと思いました。それで、一旦マツシレイの状況を見てみようということになったのです」
「ほう。相変わらず酔狂なことをする」
「ここにおわしますフィレット王女とお出会いしましたのは、偶然です。このお方は、アガルタに留学されていたのですが……」
「私は、アガルタ王がどのように動かれるのかに興味があった。アガルタ王に付いて行こうとしたが、上手く巻かれてしまった。それで、おそらくはサクに行った後でマツシレイに来るだろうと予想して、マツシレイに行ったのだ。行ってみると、あまりの惨状に驚いた。さすがに見て見ぬふりはできなかったので、できるだけのことをした。そして、私が思った通り二人はやって来たが、アガルタ王ではなく、ケンシン殿であった。だが、ケンシン殿とホルム殿で正解だった。この二人でなければ、あの悲惨な状況は脱却できなかった」
何か、えらく褒められたので少し照れる。殿下は面白くなさそうな表情を浮かべたままだ。
「マツシレイに着いた我々は、フィレット王女の要請もあり、見て見ぬ振りもできなかったこともあって、炊き出しを行いました。そうしましたら、何故かみんなでノズミの屋敷に向かうことになり……」
「ノズミの屋敷に向かうことを主張したのは私だ。さすがに黙って見ているわけはいかなかったからな」
「そうして、我々は殿下に出会ってしまった、というわけです」
「……話の流れはよくわかった。しかし、聞けば、アガルタの者たちがマツシレイの土地を復興させるために手助けをするというではないか。それは一体どういうつもりだ」
「まあ、これにもいろいろありましてね。さすがに荒廃したままの土地ではこの先、領主も領民も苦しい状況には違いないでしょう。そこで、アガルタ大学に相談しましたところ、土壌調査をしていただけることになりましてね。で、調査したところ、意外と土壌自体は肥沃なものであることがわかりました」
「お前らの、アガルタの狙いは、何だ。正直に言え」
「特にありませんね。強いて言えば、領民が飢えない状況を作りたかった、ということでしょうか」
「我が国に何を求めてこようとしているのか、と聞いている」
「別に何も求めようとしてはいませんね。ただ、学生たちの勉強になるので、マツシレイの復興作業には手伝いをさせて欲しいというのが、お願いしたいことと言えば、お願いしたいことですね」
「それだけ、か」
「それだけ、ですね」
「あり得ぬ」
殿下はそう言って首を左右に振った。彼はふーっと息を吐き出すと、鋭い視線を再び俺たちに向けた。
「そのようなことはあり得ん。俺は騙されぬ。そうしておいてアガルタは無理難題を我が国に吹っかけてくるのであろう」
「無理難題、と言いますと?」
「法外な金や領地の割譲をだな……」
「興味ないですね」
「……」
「アガルタは、金も領地にも興味がありません。クリミア―ナ教国じゃないんですから。一緒にしないでいただきたいです」
俺の言葉に、殿下は目を丸くして驚いた。