第九十六話 たねあかし
「俄かには信じられん・・・」
ニザ公国宰相、ユーリーはようやく腹の底から言葉を吐き出した。その隣にはベッドに横たわるドワーフ王、そして、その傍らには青い顔をしたコンシディ―公女がいる。
俺の隣にはメイとフェリス、ルアラ。そして、一人の白髪の老人がいる。
「・・・やはり、鹿神様は、我々ドワーフをお見捨てでなかったのだな」
弱々しい声でドワーフ王が呟く。その頬には涙が伝っていた。
ドワーフたちは驚愕していた。それはそうだろう。敵だと思っていたシカが実は味方だったのだから。
レコルナイたちが作り出した水を浄化する水を、ドワーフたちは重宝していた。元々、鉱石の精製に用いられた水は汚れ、臭いが発生するために、ニザ公国内を流れる川の水質は悪かった。そのためこの国では、飲料水や農業用水については山の湧水を使用していた。そのため、農作物を生産することには限界があった。
しかし、川の水がきれいになれば話は別である。わざわざ山まで湧水を汲みに行く必要がなくなるからだ。そしてさらに、その川の水を利用することで、耕作地を広げることができる。ドワーフたちは狂喜した。
公国内で瞬く間に耕作地が開墾され、作物の種や苗が植えられた。そして、これまで草原であった大地が、見事に作物で満たされたのである。
この時、ドワーフ王以下、ニザ公国に住むもの皆が、この国の更なる飛躍と発展を確信していた。シカ被害が起こったのは、その時だった。
「鹿神様は、たまたま近くの農民がお供えした作物を口にされた時、この作物に毒が混じっていることをお知りになられました。そして瞬時に悟られたのです。これはドワーフを亡ぼす元凶となることを」
「しかし、川の水に毒が入っているならば、我々は死ぬのではないのですか?我々はこうして生きていますが?」
「ええ、その毒は即効性のものではなく、体内に蓄積していくものです。無論、毒水に侵された川の水を飲んだ者は当然ですが、その川の水を利用して作られた作物を食べても、体に毒が蓄積されていきます」
「それでは、わが国の民は皆、毒に侵されているというのですか!」
「いえ、民への毒の被害は、今のところ軽微であると考えています」
「どういうことでしょう?」
「公国は、まず先に草原の開墾に重点を置いたために、川の水を町中まで引いていませんでした。民は基本的にこれまで通りの山の湧水を飲んでいたものと思われますので、毒の被害は最小限で済んでいるものと思われます」
「・・・」
「鹿神様は、作物が毒に侵されていると知り、これらを民に食べさせるわけにはいかないと思われました。そして、ご自身がその作物を食べることで、民が毒に侵されることを防がれたのです」
「あの数百匹のシカの群れは、全て鹿神様の御命令だと言うのですか!」
「いえ、ご命令ではなく、鹿神様そのものだったのです」
「どういうことですか?」
「鹿神様が分化なさり、群れを作られていました。あの一匹一匹が鹿神様そのものだったのです」
「バカな・・・」
「結局、国内は食糧不足に陥り、各国から食糧支援を受けることになりましたが、毒に侵されていない食料であったため、民への被害は最小限で済みました」
「ではなぜ、王を筆頭に王族の方々だけが病に伏せられているのですか?」
「私が結界を張った王宮の畑、あれは王族専用の作物を育てていたのではありませんか?しかも、その水は、川から引いていたのではありませんか?」
「ツ・・・それは・・・」
「結局、毒された川の水を飲み、毒された作物を食べ続けた王族の方々に一番被害が集中したというわけです」
「我々貴族も、臣民同様に救援物資で命を長らえたので、その意味は分からなくはないが・・・。では・・・では・・・コンシディー様はどう説明するのです?見たところ、ご健勝に見えますが・・・」
「コンシディー様は生まれつき強い毒の耐性をお持ちです。そのために毒には侵されていますが、まだ発症していない段階でとどまっているのです」
「なぜコンシディー様だけに、そのような耐性があるのですか?おかしいではないですか!」
「宰相様の仰ることはごもっともです。これは、ご本人から説明いただいた方がよいでしょう」
「コンシディーには我の加護を与えておる。王家に姫が生まれた時に加護を与えるとサマーシェと約束したからな」
「サ、サマーシェ!?まさか、先々代王の皇太后さま・・・。あなた様は」
「ティヨスだ」
大きく目を見開いたユーリーは、がばっと後ろの壁に掛けられている肖像画を見た。なるほど、少し若いが、ティヨスそっくりの人物が描かれている。
「公爵王様であらせられますか・・・。まさか生きて・・・」
ドワーフ王家は代々、男系家系である。女性が生まれるのは珍しく、これまで数千年の歴史を見ても、ドワーフ王家で女性が誕生したのは、このコンシディー公女を含め四人しかいない。
約1000年前、ドワーフ王家に危機が襲う。当代ドワーフ王が、若くして死去してしまったのである。残されたのはサマーシェ王女ただ一人であったのだが、当時彼女は鹿神・ティヨスと恋におち、ニザの森で静かに暮らしていた。
しかし、状況が状況であるためにドワーフ王にはサマーシェが女帝として即位し、ティヨスは公爵という身分を与えられた。そして王宮に入り、その身分のまま女帝を補佐する立場についた。そのためティヨスは「公爵王」と呼ばれるようになった。
数年後に、この「公爵王」と「女帝」の間に子供が誕生し、その子孫が現在のドワーフ王につながるのである。現在のシカに対する姿勢もこのサマーシェが定めたものであった。
「あの当時は、森の中の魔物が手ごわくてな。我が森に住み、魔物を退治せねばこの国は蹂躙されてしまうところだったのだよ」
鹿神・ティヨスは顎髭をなでながら懐かしそうに当時に思いをはせる。
「このリノス殿が言われたことは、真実だ。もっと他に策もあったろうが、我にはこれしか思いつかなんだ、許せ。サマーシェが死んで後、二度と人の姿にはなるまいと思っておったが、どうしてもこれだけは謝りたかったのだ。王家の者たちを守るとサマーシェと約束したにもかかわらず、孫を、王をここまでにしてしまった。許してくれい」
「ううう・・・私が不甲斐ないばっかりに・・・もったいのうございます・・・」
ドワーフ王は涙を拭おうともせず、言葉を絞り出す。
「よい。よいのだ。しかし、あの毒は凄まじかったな。我も死ぬ覚悟を決めた程だ。その毒を体に受けてなお生きて、国のことを考えるそなたを、我は誇りに思うぞ」
ドワーフ王は泣き伏している。
「それにしてもリノス殿の結界も素晴らしいな。あれを抜ける時に、あれほど体にダメージがあるとは思わなんだ。あの結界で寿命が縮まったわ」
「ご冗談を」
「いや、体に傷がついたのは事実だ。あの結界は全力ではないのだろう?そなたが本気で張った結界は、神でも侵すことはできぬだろうな」
「ありがとうございます」
「さてドワーフ王、そなたにはまだまだやらねばならぬことが数多くある。ここで死んではならぬ」
「お、お言葉ですが、公爵王様。私の体は最早・・・あとは倅の・・・」
「いや、ならぬ。まだ生きよ。そなたの毒を治癒する薬はある。現に我もその薬でこうしてそなたに会えておるのだからな」
「王様、これに控えますは、私の妻のメイリアスです。妻が作りました解毒剤、なにとぞお召しください。ユーリー様、この薬を、病に伏している王族の方々にお配りください」
俺はメイが作った薬をユーリー宰相に渡す。
「それを飲めば、一時は苦しいが体内の毒を全て吐き出させてくれる。メイリアス殿は最高の薬師だ。安心して飲むがよい」
ドワーフ王は無言で、メイの薬を口に含んだ。
しばらく苦しそうなうめき声を上げていた王だが、メイの介抱もあって順調に毒を吐いていった。思った以上の毒をため込んでいたようで、かなり長い時間毒を吐き続けていた。お蔭で、寝台のシーツなどがとんでもなく汚れてしまっていた。
ようやく苦しそうなうめき声が収まり、王はスヤスヤと寝息を立て始めた。
「もう大丈夫だと思います。ただ、毒の影響で体の骨がもろくなっています。しばらくは絶対安静が必要です。骨が元通りになるまで1年くらいかかりますが、それ以降は普通の生活に戻れるでしょう」
「ありがとう、メイ」
その光景を見て、ユーリー宰相は部屋を飛び出していった。おそらく、あの薬を王族たちに配りに行ったのだろう。
「コンシディー様も、どうぞお召しください」
渡された薬をじっと見つめていた公女は、ゆっくりと俺の顔を見る。
「シカの被害については、よくわかりました。でも、あなたがレコルナイ博士を殺害したのは話が別です。今のお話では、博士たちは故意にその毒薬を作ったのではないのではないですか?それでしたら、バーサーム様は罪もない人を殺したことになりませんか?」
俺はちらりとメイを見る。そして、深いため息をつく。
「これは・・・あんまり言いたくないことですし、気分が悪くなる話ですが・・・。いいでしょう、お話ししましょう」
驚いたような表情でメイが俺を見ている。そして、王の寝息がいつの間にか止んでいる。寝室の窓からは、紫の朝もやに浮かぶ街の景色が見えていた。