第九百五十九話 何じゃそら!
予想もしていなかった言葉に、俺はただただ当惑する。一方で、フィレット王女は真剣な眼差しで俺を眺め続けている。どうやら、彼女の決意は固いようだ。
一体、いつから? と心の中で呟く。ホルムとこの王女はそんなに接点はなかったはずだ。まあ、ノズミの屋敷に押しかけたときはそれなりに会話もあったが、二人が仲良く話をしていた様子はなかった。ホルムはほぼ、俺と行動を一緒にしていたのだが、言葉は悪いが、俺を出し抜いてこの王女と関係を深めていたのだろうか。そんなことを考えていたそのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
足音を響かせながら入室してきたのは何と、あの、ウラワ殿下だった。彼は王女を一瞥すると、俺に向かって口を開いた。
「オイ貴様、どういうことだ」
「どういう、とは……?」
「とぼけるな。あのパルラ山のザマは何だ!」
「知りませんよ……」
「知らぬ? お前がやったのではないのか!」
「いや、あんな大きな山をどうやって削るのですか」
「では、誰がやったのだ」
「知らないですよ……」
殿下は苛立っているようにも見え、困惑しているようにも見えた。その気持ちはよくわかる。あんなデカイ山が一夜にしてなくなったのだ。それはそうだろう。俺も朝、あらためて外に出て山を眺めたが、その違和感と言うか、あまりの景色の違いに、別世界に来たような感覚を覚えたのだ。
そうそう。山を削った翌日は、村中が大騒ぎになっていた。俺は昼頃に村に行ったのだが、ジジイたちが無くなった山に向かって一心不乱に祈りを捧げていた。祈りと言っても拝むのではない。全員が輪になって不気味な歌と踊りを踊っていたのだ。何の楽器の伴奏もなく、ただ、アカペラでグズグス歌う姿は、不気味を通り越して面白くすらあった。
きっと、村人の誰かが殿下の許に注進に走ったのだろう。注進というより、まあ、山が一つ無くなれば、イヤでも殿下の耳には入るというものだ。それにしても、あれからひと月近くも姿を見せなかったのを見ると、この人はこの人でかなり忙しい日々を送っていたのは容易に想像がつく。
俺はこの殿下に鑑定スキルを発動させる。ただ、見えてきたのは、部屋の中で色々な者たちに指示を与えている姿だけだった。まあ、皇帝の代わりに国政を司っているのは間違いなさそうだ。
「巷の噂では、大魔王が出現したと言われているが、貴様はどう思うのだ」
「大魔王ぉ!?」
思わず頓狂な声を出してしまった。懐かしい言葉だ。てゆうか、それ、俺じゃん……。
俺の様子を予想外のことを聞いたことによるものだと判断したのだろうか、殿下は少し声を落として、まるで内緒話をするように語りかけてきた。
「あれだけの山が一夜にしてなくなったのだ。そんなことができるのは大魔王くらいのものだ。ジュカを滅ぼし、様々な国で災厄を起こしているあの大魔王が、いよいよ我が国に現れたと噂している。貴様はどう思うのだ」
「どう、と言われましても……」
それは俺ですとは言えない。まあ、ある意味で正解と言えば正解なのだが。
「俺は、大魔王などという存在は信じぬ」
「ほう……」
「なぜなら、俺はそのような存在に出会ったことはないからだ。この世の中で流布されているそうした類は、まやかしだ。人の恐怖心を徒に煽り、不安を与えて服従させるための方便だ」
「なるほど……」
「ただ、現実として、パルラ山が消えている。それも、一夜にして、だ。俺は、どう考えても、この理由がわからぬ。ただ、神や魔王というものではない、人の手によってこれはなされたと俺は見る。ただ、それを、どうやってやってのけたのかが、わからぬ」
「絵……とか……」
「絵? 絵と申したか」
「いや、まあ……。あのパルラ山の前に大きな、しかも、とても精巧に書かれた絵をおいて、その裏では山を削る作業をしていた……。俺たちが見ていたのは実は絵だった……いや、何でもないです、ごめんなさい。忘れてください」
俺の話に殿下は怪訝そうな表情を浮かべていたが、やがて口元がニヤリと綻ぶと、大きな声で笑い出した。
「ハッハッハッハ! 貴様、面白いことを言うではないか! 俺はそうした話は嫌いではない。どうやらお前は俺と気が合いそうだ」
「そんなことはない」
「何ィ?」
「いや……。荒唐無稽な話だと申し上げております」
「フッ。そうした荒唐無稽な話を、アガルタは現実にしておるではないか」
殿下の目がキラリと光った気がした。ああ、イヤな展開だ。
「ところで姫、そなたは、俺の求婚の返事をいつ貰えるのかな?」
突然、殿下がフィレット王女に視線を向けて、そんなことを言い出した。王女は殿下に視線すら向けない。よほど彼のことが嫌いなのだろう。
「どうなのだ」
「断ったはずだ」
「フッ、俺は諦めぬ」
「いや、私はもう、伴侶を持つ身だ」
「何ィ? ……まさか貴様らっ!」
「いや、違いますよ……」
「何が違うのだ! 二人で部屋にいたのは……そういうことか」
「だから……」
「違う。ケンシン殿は関係がない。私が伴侶に選んだのは、ホルム殿だ」
「ホルム?」
「ああ。ケンシン殿の部下だ。私は今、ホルム殿と夫婦になるために、ホルム殿を通じてアガルタ王の許しを得るべく、相談していたところだ」
「姫……それは、そなたのお父上は賛成なさっておいでなのか」
「……」
「人には越えられぬ壁というものがある。そなたはネルフフ王の血を引く唯一のお方だ。そなたはネルフフ王家の血を次代につなげる役割がある。その、ホルムという男は王族なのか? そうではあるまい。そなたはよくても、そなたの父であるネルフフ王はどうだろうか。家来たちはいかがであろうか。氏素性もわからぬ者を迎えることに反対は起こらぬと言い切れるか。そんなことはあるまい。きっとネルフフ王も家来たちも、姫にはそれなりの王族を婿に迎えたいと願っていることだろう。そういう意味で、俺などはよい。これでも、カイク帝国皇帝の息子だ。身分に不足はないはずだ。それに、国同士の釣り合いもとれている。悪いことは言わん姫。俺と結婚しろ。そして、男子を二人生むのだ。一人は我が国の帝位を継がせ、もう一人にネルフフ王国を継がせればよいのだ」
……俺には理解できない話だ。まあ、王族らしいと言えばそうなのだろうが。この人たちに、好きとか嫌いとかいう感情は二の次三の次なのだろう。まあ、そうしたものはリコやシディーにもあった。だが、他の王族たちと違うのは、俺たちにはちゃんと愛情があるということだ。俺は妻たちのことは大好きだし、彼女らも、俺のことは大好きだ。……たぶん大好きだと思う。……大好きなんじゃないかな。まあ、ちょっと嫌いだと思っている部分もあるかもしれないけれど。
だが、王女はそんな殿下の言葉に対して、敢然とした態度で口を開いた。
「私は、王族のそうした考えが嫌いなのだ。私の人生は私のものだ。私の幸せは、私が決める」
……ある意味、リコと話が合うかもしれないなと俺は心の中で呟いた。俺と結婚する前のリコを見ているような感覚を覚えたからだ。あの当時のリコは、フィレット王女と同じような考えを持っていたが、それをどうしていいのかがわからずに悩んでいた。そうした意味で、自ら行動を起こそうとしている彼女は、ある意味で、リコよりも優れているのかもしれない。
機会があればリコと会わせてみよう。話が合うはずだと考えながら俺は、王女に向き合った。
「お気持ちはわかりました。フィレット王女のご意思を尊重したいと思います。それにしても、ホルムもホルムだ。王女とそうした関係にあったのなら、どうして俺に言わないのか……」
「いや、ホルム殿との結婚は、私の意志だ。ホルム殿には何も話をしていない」
……何じゃそら!