第九百五十七話 この山の秘密
俺は今、マツシレイにそびえるパルラ山の頂上にいる。夜も更けているので、地上のことはよくわからないが、かなり高い山なので、昼間であれば絶景が望める。数時間前にここに転移結界を張るために来たときは夕方で、大地を焦がす真っ赤な太陽が山の端に沈んでいく様子は実に見事で、俺はしばし、そこで時間を忘れて見入ってしまった。
空を見上げれば、満天の星空だ。標高が高いためか、空気が澄んでいるためか、帝都の屋敷で見るよりも、星が大きく見えるし、光量も上がっているような気がする。ちなみに言っておくが、屋敷の庭から見る星も、かなりきれいだ。初めて見たときなどは、感動してしばらくその場を動くことができなかったほどだ。傍にいたゴンが、腹が減ったから屋敷に入ろうでありますーと言ってきたのを懐かしく思い出す。
村人たちはこの山を蛇蝎のごとく嫌っているが、意外とこの絶景を上手にアピールしていけば、観光産業として成り立つ可能性もあるんじゃないか、などと考える。この山頂付近に、ホテルは無理かもしれないが、山小屋などを作って、宿泊場所と食事を提供するようにして、山頂までの山道を整備すれば、山男や山女などが来てくれるのではないか。そんなことを考えている俺の目には、ジワジワと涙が浮かんできていた。
後ろでは、メイとシディーがものすごいテンションで話をしている。もう、深夜になろうとしている時間帯だ。通常ならば、静かにしなさいと叱られる程の声量だ。専門用語が飛び交いまくっているので、話の内容はさっぱりわからないが、どうやらこの山の石は、相当貴重なものであるらしいことはわかった。
メイとシディーは、細い棒と金槌を手に持ちながら話をしている。彼女らはこれで地面を砕いて石の質を調べている。後でわかることだが、この山の石は相当に硬いらしく、砕くのにはかなりの技術が必要となるらしい。二人は簡単に砕いているので、そのときは何とも思わなかったのだが、二人の技術力は、俺の予想をはるかに超えて、世界でも指折りのものになるようだ。
……相変わらず二人は会話を続けている。途切れることがない。目がキラキラしていて、とてもかわいいと感じる。二人ともそれなりにきれいな女性であるけれど、嬉しそうに会話している姿は、その美しさとかわいらしさを何倍も増幅されている。本当に、写真があったら撮りたいくらいだ。
……正直、あの輪の中に俺も入りたい。そうだよねー、確かにー、などと言いながら、ワイワイキャッキャと話ができたら、どんなにいいだろうか。先ほどからずっと話が終わるのを待っているが、その雰囲気は微塵もない。本音を言うと、星も、景色も見飽きてきた。そろそろ家に帰りたいのだけれども、二人はまだまだ石を調べる気のようだ。
「あの……」
勇気をもって話しかけてみた。二人が少し驚いたような表情を浮かべる。何だお前、話の腰を折るんじゃねぇよと言わんばかりの顔だ。うわ……苦手だ。女子のその顔……。
「よっ、夜も更けてきたけれど、だっ、大丈夫、かい?」
「はい……大丈夫、です……」
めちゃくちゃ挙動不審な振る舞いをしてしまった。そのせいか、メイの返答も何やら遠慮がちだ。一応、メイもシディーも俺の妻なのだ。昨日今日、夫婦になったわけではない。それなりに愛情を深めて子供も授かり、十分気持ちは通じ合っているはずなのだ。そんな妻たちに、こんな顔をされてしまうのは、正直言って俺は心が傷ついてしまっていた。いつもの幸せそうな笑顔を取り戻すのには、どうすればいいのだろうか。そういえば、前にも同じような経験をした記憶があるけれど、気のせいだろうか。
「……でね、シディーちゃん」
メイは俺に遠慮しながらも、再び会話を続けた。シディーも、その直感力で俺の心境を察しているのだろうが、そんな素振りは微塵もない。ここは、リノス様が飽きているから、一旦お屋敷に帰ろうよ、とか何とか言うところじゃないかな。
心の中ではそんなことを思ってはいるが、絶対に口には出さない。それは言ってはいけないことだと、さすがの俺にもその点はわかっているのだ。
……少し、冷えてきた。相変わらず二人は盛り上がっている。手持無沙汰なので、火魔法で焚火を拵えようとしたそのとき、シディーの怒号が響き渡った。
「消してぇ!」
思わずゴメンナサイと言いながら火を消す。シディーが怒りの形相で俺を睨みつけている。メイもちょっと怒った表情を浮かべているの……か? どちらも……怖い。
「コレグラファルに炎を近づけたら、フェルニチリンが発生して大変なことになるでしょうが!」
ええと、つまりそれは、この石に炎を近づけると、有毒ガスが発生するという解釈でよろしゅうございますか?
俺の表情から察したのか、シディーは大きく頷いた。てゆうか、そんな有毒なものが含まれているこの石ってヤバくないか?
色々と話を聞いてみると、この山は想像を超える厄介さをはらんでいることがわかった。原因は言うまでもなく、この石だ。
この山を形成している石は、かなりの硬度があるのはもちろんのこと、それなりの毒性も持っているのだ。どうりで、草木も生えない裸山であるわけだ。毒性があるから、植物が育たないのだ。
ただし、この毒性は使い方によっては、医学に役に立つらしい。つまりは、この毒でもって、病原菌を死滅させることができるのだと言う。まさしく、毒をもって制すといったところか。
一方でシディーの方でも、この毒性は使い道がある。言わば、金属の腐食を食い止める働きが期待できるのだと言う。ただし、問題が一つあって、この石を砕く際にはおそらく、粉塵が周囲に舞うことになる。そのときに、その粉塵自体に毒性があり、ヘタをすると、周囲の村々に甚大な被害を生む可能性があることだ。このくらい噛み砕いてくれれば、俺にも十分に理解できるのだ。
当初俺は、単にこの石山を破壊するだけでいいと簡単に考えていたが、誰に相談もなく勝手にやっていたら、大惨事になるところだったし、ヘタをすると、俺自身も大きな健康被害を受けたかもしれなかった。今となっては、そんな俺を制して、シディーちゃんを呼んで調べましょうと言ったメイの慧眼に感謝するほかはない。
シディーは、この石を砕いた瞬間に転移結界で別の場所に移すことはできないか、などと無茶なことを言ってくるが、さすがにそれは無理だと答えると、彼女はうーんと唸りながら別の方法を考え始めた。
結局、この山を結界で覆って、粉塵を周囲にまき散らさないようにすることと、基本的には、結界の中で作業をするということ、石の切り出しは俺の風魔法でブッた斬っていくという手法で行うことで、何とかこの日の打ち合わせを終えることができた。
そのまま、転移結界を発動させて帝都の屋敷に帰る。夜はとっくに更けていた。三人で風呂に入って寝ようと促したが、メイとシディーは調べ物をすると言って、書庫に入っていった。
「リノス様こそお疲れでしょう。どうぞ、ゆっくりお風呂に入って、お休みください」
シディーが満面の笑みで口を開いて、そのまま部屋に入っていく。バタンと閉まるドアの音が、何とも寂しかった。
勧められるままに俺は風呂に入った。もしかすると、後で二人が入っては来やしないかと、少し長めに湯船に浸かっていたが、結局二人は入って来なかった。
寝室に行くと、誰もいなかった。まあ、遅くなるからそれぞれの部屋で寝るようにと妻たちに言ったのだが、本当に誰もいない光景を目にすると、何とも言えぬ寂しさが湧き上がってきた。
ベッドに体を横たえたが、中は寒く、いつまで経っても温まらなかった。結局俺は、朝まで眠ることができなかった……。