第九百五十四話 本当に大丈夫?
こんな場所で藪から棒に求婚する方も求婚する方だが、それを即座に断る方も断る方だ。意外にこの二人、結婚すれば上手くいくんじゃないかと下らぬことを考えてしまう。
「俺と一緒に居れば、面白い夢がみられるぞ、どうだ?」
「断る、と私は言った」
殿下は諦めずに口説いているが、フィレット王女の決意は固いようだ。俺が言うのも何だが、女性というのは現実的な生き物だ。夢だ何だというものに食いついてくる女性は少数だ。これが、十代の若い女性ならば考えられなくもないが、すでに大人の女性に成長してしまっているフィレット王女には響かないだろう。もし、どうしても、と言うのであれば、結婚するメリットを語るべきだ。彼女はある意味で国を背負っている立場だ。その彼女の国がさらに発展していくメリットを述べた方が、その心には届きやすい。
……と、殿下に伝えてもよかったのだが、この男は俺の話など聞く気はないらしい。目を輝かせながら王女を眺めている。ということは、この話題で、このペースでイケると踏んでいるのだ。こう言っては何だが、この殿下は女性の対応はヘタクソだ。もしかして、童貞か?
「貴殿も王族の一人であるならば知っているだろう。我々王族の婚姻は本人同士で決められるものではないということを。もし、本気で私と結婚したいというのであれば、しかるべき使者を立てて要請するべきであると考えるが、ケンシン殿、いかがだろうか?」
いきなり話を振られたので、体が震える。俺は、そうですね、と言って頷く。殿下はそんな俺に怪訝そうな視線を向けている。
フィレット王女の言うことはもっともだ。何を隠そう俺も、リコとの結婚は、自分で決めたことではなく、ヒーデータの陛下の勧めによるものだった。それまでは、この女性との結婚など微塵も考えていなかった。いや、今では、俺のお嫁さんになるのは、リコをおいて他にはいないと思っている。これは、嘘偽りではない。本心だ。もし、リコにそのたぐいの話を聞かれたのなら、俺がそう言っていたと言って欲しい。
……あれ? 何の話だ? 話を元に戻そう。
俺の言葉を聞いた殿下は、さも残念そうな表情を浮かべた。
「ハッ、俺は貴族の、王族のそういう格式めいたことが嫌いなのだ。興味を持った女と結婚するのに、なぜにこうもややこしい段階を踏まねばならぬのだ。男がお前が欲しいと言い、女がそれを受け入れれば、それで済む話ではないか」
……いや、女性の方は受け入れていませんが。はっきりと断ると言ったのは俺の空耳だろうか。もしかしてこの殿下は、かなりイタイ人なのかしら?
「それよりも殿下、大丈夫でしょうか?」
「何がだ!」
とりあえず話の流れを変えた方がいいと思い、二人の間に口を挟む。殿下は、さも不満そうな表情を浮かべた。
「色々なことをお決めになりましたが、皇帝陛下……お父上は大丈夫なのですか? ご理解はいただけているのでしょうか?」
「フッ、つまらぬことを考えるヤツだ。まあ、いいだろう。貴様の懸念も俺は理解できる。まあ、あと数日もすればわかることだが、父上はお倒れになったのだ」
「え?」
「今、父上の意識はなく、意思の疎通も困難な状態だ。医師の話では、もって数日らしい。我が国では、皇帝が人事不省となった場合、王太子が職務を代行するという決まりがある。この国の王太子は俺だ。だが、俺が政治をするにあたって邪魔者がいる。ノズミらだ。奴らは互いに賂を送り合い、己の都合の良いように政治を行ってきていた。俺はその悪しき慣習を排したい。そして、皇帝がすべてを決める、本来あるべき国の姿に戻したかった。そのために、ノズミを捕えようとしたのだ。あ、言っておくが、父上に毒などは盛っておらんから、変な勘繰りをするなよ。ノズミを捕えて、ヤツが賂を送った相手と贈られた者の名を調べようとしたのだ。むろん、素直に吐くとは思えんから、それなりの手段も考えてきたが、それを使わずして俺の知りたいものの名が知れた。すでに、ヤツの口から名前が出た者たちは捕らえるように追手を差し向けた。俺が城に帰る頃には、牢獄は満員になっているであろう。この国の膿を出し切ることができる。大いに満足だ」
思わずウッという言葉が出そうになった。そんなことは微塵も考えていなかったが、いきなり毒など盛ってはいないと言い出したので、変なことを言うなと思った俺は、この男に鑑定スキルを発動させた。これがヴィエイユならばそれが通じないのだが、この殿下はいとも簡単にそれを見ることができた。その中で映し出されたのが、この男が部下とみられる男に、何やら小さい包み紙を渡している場面だ。殿下はニヤリと笑みを浮かべている一方で、男の方は緊張で顔が強張っている。これは、つまり、もしかして……?
「どうなのだ、答えろ!」
「ひゃい!?」
俺が鑑定スキルを発動している間に、何やら話が進んでいたらしい。怒鳴られて現実に還ると、殿下が恐ろしい表情で俺を睨んでいた。
「どうなのだ?」
「どう、と言われましても……」
「どうしてアガルタが動くのだ!」
……一体、どういう流れでアガルタの名前が出たのだろうか。話を聞いていなかったので、何と答えていいのかがわからない。思わずホルムに視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべた。いや、笑っていないで、何かアドバイスをくださいよ。
「答えろ!」
うわ、どうしよう。ええと、アガルタ……。アガルタ……。
「アガルタが動く、動かないにかかわらず、この、マツシレイの土地は、根本的に、見直す、必要があると考えます」
「うん? 何を言っているのだ、貴様は」
「まず、一番問題なのが、このマツシレイにそびえる山です。あれをどうにかしないと、マツシレイは未来永劫苦労し続けることになります」
俺の言葉に殿下は腕を組んで天を仰いだ。何とか、話の流れを変えられた、か?
「確かに、あの土地は日照時間が極端に短い。聞けばあの山は石山であると言う。あの山を削るのは途方もない時間がかかるかもしれないが、本気でマツシレイを復活させるのであれば、それはやらねばならぬ事柄だろう。もし、貴殿が、貴国が本気でそれを望むのであれば、私は、アガルタに支援要請を行ってもいい」
「アガルタ王と会うことはできぬか?」
「……」
フィレット王女とホルムの二人が黙り込む。目の前にいますが、俺は腹の中で呟く。後から気づいたことだが、通常であれば多少は動揺するものだが、ホルムはこのとき、一切気配を変化させなかった。俺はしばらくして、彼に褒美を与えたが、彼自身はどうして俺から褒美が貰えたのかがわからず、戸惑っていた。
「会ってどうなさるおつもりか」
「決まっている。アガルタ王という男が、どんな男であるのかに俺は興味がある。一度、語り合ってみたいものだ」
「まあ、機会があれば、というところでしょうか」
俺が口を開くと、殿下は鋭い視線を向けてきた。
「どういうことだ?」
「機会があれば、会うこともある。私どもが言えるのはそこまでです」
「フフフ。それは、戦場で相まみえることもある、ということだな」
「……」
天下布武の称号はダテじゃないなと俺は心の中で呟いていた。このマツシレイの土地が本来の姿に戻れば、ここは大きな穀倉地帯となる。となれば、この国の懐は大いに潤うはずだ。その額は相当の額になる。その金をこの殿下は、もちろん民衆のために使うのだろうが、一方で軍備にも使い、やがて周辺国に侵攻を始めるつもりなのだろう。そして最後は、アガルタやその同盟国に攻撃を加えて、俺たちと全面戦争に持ち込む……。
大言壮語ではある。だが、この殿下の雰囲気からはそれを現実にするのではないかと言う期待感と言うか、説得力があった。
「よい。これからは、面白くなりそうだ。ハッハッハッハッハ!」
殿下はそう言うと立ち上がり、部屋から出て行った。