第九百五十三話 儂を斬るのか!
ノズミはハアハアと肩で息をしながら、後ろに控えていた男に水を持って来いと命じた。程なく男はコップに水を入れて持ってきた。ノズミはそれをグイッと一気に煽った。
「私には、どの領地を、いただけるのでしょうか!」
目が血走っている。まさに凶相と称して差し支えない顔立ちだ。そんな彼に殿下は一切の感情を込めない声で、静かに口を開く。
「貴様は、追放といたす」
「は?」
「この国から出て行け」
「そんなことは……許されません!」
「許されん? では、この場で首を刎ねようか」
「なっ……」
おお……この殿下、意外にやるじゃないか。と心の中で呟く。ただの暴れん坊ではなさそうだ。さすがに、スキルに「天下布武」が付いているのはダテではないということか。だが、当のノズミは、今の状況がわかっていないらしい。血走った目のまま、下卑た笑みを浮かべている。
「私の首を刎ねれば、宰相・タイロ様が黙っておりませんぞ! あなた様を廃嫡し……」
「おい、お前!」
ノズミの話しを途中で遮り、殿下は俺に話しかけてきた。
「俺の体を動けるようにしろ」
「何をなさるおつもりで」
「ノズミの首を刎ねる」
「左様ですか」
俺はそう言って結界を解除する。いきなり体が自由になった殿下は、足を延ばしたり縮めたりして、屈伸をしている。何だかその光景がかわいい。
ちょっとほっこりしている中、殿下は腰に差している剣を抜いた。殺気を放っているので、この男、本気でノズミを斬る気だ。
「貴様を斬ったらどうなるのか、試してみようではないか」
「わっ、私を斬ると言われるのですか! そんなことは許されません! 許されません!」
ノズミが首をものすごい勢いで左右に振っている。
「おっ、お待ちくださいませ!」
そう言って一人の男が二人の間に割って入ってきた。
「何だ、貴様は」
「私は、ノズミ家の家宰を勤めます、クラパトと申す者でございます」
「その、クラパトが何の用だ」
「畏れながら殿下、今のお話しは、私共は承服いたしかねます」
「お前が承服するかしないかは、俺の知ったことではない」
「畏れながら、今、ここで主人を斬れば、殿下は末代までの汚名を被ることとなります」
「ほう、末代まで汚名を被るか……。どこまでそうなるのか、やってみようではないか」
殿下の言葉で、クラパトと名乗る男の顔がサッと青ざめた。この男にも、殿下が本気であることがようやく認識できたようだ。殿下の手に持つ剣がギラリと光ったような気がした。
殿下が一歩、また一歩とノズミに近づいていく。民衆も俺も、固唾を飲んで見守る。ノズミは、アワアワと口元を動かしながら、ペタンと尻もちをついた。
「殿下! 本気でございますか! 私はこれまで、この国にどれだけ尽くしてきたとお思いですか! あなた様がお生まれになる前から、私はこの国に、私のすべてを捧げて参ったのです! それをおわかりにならないあなた様ではありますまい!」
ノズミは尻もちをつきながら後ずさりをしているが、殿下はそんなことは構わず、彼を一歩、また一歩と追い詰めていく。
「お待ちください! お待ちください! 待ってくれ! 待ってくれ! 待ってくれ! 儂を殺すというのか! これまでどれだけの金を使ったと思っているのだ! 儂を舐めるなよ! 儂は……儂は……。儂を殺せば、宰相のタイロ様が黙ってはおらぬ! 王族とて同じだ! クレア様! ホフフ様! エルナ様! あなた様の叔父にあたるお方たちが、必ずあなた様を死に追いやりまずぞ!」
「……ほう、叔父御たちにも、お前の賂を受けていたというのか」
「その通りだ! あのお方たちは儂の賂がなければ、生活することすらままならぬ。あのお方たちの生活の面倒を見ているのは、この儂だ! もし、儂が殺されたと知ったら、あのお方たちは殿下を憎むでしょう! 全力を挙げてあなた様を潰しにかかることでしょう!」
「それで? あとは、宰相のタイロも黙ってはおらぬと言ったな? ということは、タイロにも多くの賂が渡っているのだな。それだけか? その他にも、お前を殺せば困る者たちもいるのか?」
「ああ……タイロ様だけではない。クロソ様、アンベルサ様、カギナ様、ベラルイシ様なども、黙ってはおらぬだろう!」
「……いずれも、国の中枢を預かる者たちだな」
「その通りだ! そのお方々が皆、あなた様の敵となるのだ! 私を殺せばどうなるか、思い知ったか!」
そう言うとノズミは下卑た笑いを浮かべた。自分の命が助かることを確信したかのような顔だ。イヤな面構えだ。
殿下は剣を構えたまましばらく動かずにいたが、やがて剣を下ろすと、後ろに控えている部下に向かって口を開いた。
「今の話、聞いたな?」
「ハッ!」
「……行け」
「ハッ!」
家来は短い返答をするとすぐに馬に跨り、どこかに駆けていった。その姿を見送ると殿下は、手に持っていた剣をゆっくりと鞘にしまった。
「貴様のお蔭で、聞きたい話がすべて聞けたわ。ハッハッハッハッハ!」
殿下は俺に視線を向けるとそんなことを言い、仰け反るようにして笑った。彼の喉仏が上下に揺れていた。
「ノズミ、大儀であった」
殿下はクルリと踵を返すとノズミに向き直り、そんな言葉をかけた。ノズミはピクピクと頬を震わせている。助かったと心の中で呟いているのが、容易にわかる。
「お前のお蔭で、この国に巣食う腐った者たちが明らかになった。褒めてとらす。その功に免じ、命は取らずに置いてやる」
「……な……どういう」
「そなたのような、賂で国政を司る者が決められる悪しき慣習は廃さねばならぬ。色々調べてみたが、一体誰がそなたから賂を受けておるのか、調べるのが困難であったのだ。そなたは悪い男だな。賂を送るに際しても直接に送らずに、色々なところを介して、送っていて、わかりにくくしておった。その才覚をもっと他のところに使えば、歴史に名を遺す政治家になれたであろうに……惜しいことだな」
殿下はそこまで言うと、側に控えていた兵士たちに向き直ると、大きな声で命令を下した。
「ノズミは、国外追放とする。ツネ、貴様、ノズミをどこかに捨てて参れ」
ツネ、と呼ばれた男はハッと畏まって立ち上がると、スタスタとノズミの傍まで近づき、暴れる老人の首根っこを掴むと、ズルズルと引きずっていった。
「オイ、やめろ! 放せ! 儂に触るな! オイ、やめろ! やめろ!」
ノズミの声がどんどん遠ざかっている。先ほど割って入ってきた家宰のクラパトが大慌てでノズミたちを追いかけていった。その彼らに向かって殿下はさらに言葉を続ける。
「ノズミは老体だ! 馬車を使うことを許す。目隠しをしてな、どこか遠いところに捨ててくるのだ。場所はツネ、そなたに……任せる」
殿下はそう言うと、剣を少し抜いてすぐに鞘に戻した。チンと鉄と鉄がぶつかる音がした。これは、つまり、アレ、ってこと、か?
「運が良ければ生き残れるだろう。おいお前たち、主人を追いかけぬのか?」
殿下はノズミの家来たちに視線を向けるが、彼らは一様に血の気の引いた顔をしていて、誰一人、動き出そうとする者はなかった。
「追っ付け、ナノルの手の者たちがここに参り、その後のことは決めるであろう。皆の者は、その指示に従うのだ!」
殿下はまるで宣言するかのように、民衆に向けて命令を下した。
「さて、マツシレイの仕置きはこれで済んだ。あとは……お前たちに少し話がある。参れ」
殿下はそう言ってノズミの屋敷に向かって歩き出す。仕方がないので、俺たちも殿下に付いて行く。
「……まずは、貴様らの素性を聞こうか」
高価そうな椅子に腰を掛けた殿下は、出し抜けにそんなことを言い出した。さてどうしようかと考えていると、殿下はさらに言葉を続けた。
「こちらにおわすフィレット王女の家来ということで、よいかな?」
「……ええ。いや、あの」
「……まあよい。まずは先に俺の存念を伝える。俺は正式にフィレット王女に求婚したい。王女、俺の妻になっていただけぬか」
「断る」
一瞬にして、その場が凍り付いた……。