第九百五十一話 怒鳴り合い
先ほど俺が起こした爆発と、ようやく聞こえてきた殿下の声で、集まった民衆たちは大人しくなっている。だが、殿下は、そんな民衆を睨みつけている。今、喋らないとそのうちまた、ざわざわと騒ぎ出すと思うので、今が喋るチャンスなのだけどな……。
ふと、前世のことを思い出した。中学生の頃、通っていた学校の校長がこんな感じだった。生徒が静まるまで待っていて、静まるとしばらくの間睨みつける。そして、そこから長いおしゃべりが始まるのだ。この殿下もそんな感じかなと思いきや、彼は気持ちよいくらいに、一言だけを発した。
「金は、払う!」
一気に民衆たちの気配が変わった。え、マジで? と皆が思っているのはよく伝わってきた。そんな空気を察したのか、殿下はさらに言葉と続ける。
「それゆえ、貴様たちはすぐさま家に帰るのだ!」
……アホか。と心の中で呟く。おそらく程度の問題はあるだろうが、ここに集まった者たちは全員、同じことを考えたはずだ。
民衆たちはノズミをはじめとした、貴族たちを一ミリも信用していない。例え殿下であろうとも、その言葉を信用できないのだ。俺だって、ホンマかいなと思っているのだ。
周囲は不気味なほどに静まり返っている。その反応が予想外だったのか、殿下はキョロキョロと周囲を見廻している。
「……金払うと言われてもな。具体的にいつ、いくら払うと言わないと、皆納得しないだろう」
俺は隣のホルムに向かって呟く。彼も、その通りと頷く。
「その金は、いつ、いくら払うのだ! もっと具体的に言わねば、わからぬ!」
突然、フィレット王女が叫んだ。周囲にいた者たち全員の視線が彼女に集まる。よく通る声だ。殿下にも聞こえたようで、彼はこちらを睨みつけている。
「黙っていろ!」
殿下が叫ぶ。だが、フィレット王女は黙らなかった。
「民衆は明日の糧にも困っているのだ! そんな中で金を返す、返さぬの話は今言うべき話ではないだろう! なぜ、まっさきに民衆に食料を配らぬのだ! 貴族として、皇帝の息子として、やらねばならぬのは、まずそれであろう!」
期せずして周囲から拍手が沸き起こる。それに背中を押されるようにして、フィレット王女はズンズン前に進んでいく。その彼女が進みやすいように、民衆たちが道を開けていく。まるで、モーゼみたいだ。
さすがに彼女一人を行かせるわけにはいかないので、俺たちも付いて行くことにする。気がつくと、あの殿下までの道ができていた。
「また貴様か!」
殿下は怒っているようにも見え、呆れているようにも見えた。その気持ちはよくわかる。単にそこいらのお姉さんならば、兵士に命じて排除することもできるだろうが、相手はネルフフ王国の息女なのだ。この人を傷つけでもしたら、この国とネルフフとは戦争になる可能性がある。そのネルフフにはアガルタとの関係もあることは、十分この殿下の頭の中に入っていることだろう。さすがにこの殿下もバカではない。アガルタと事を構えるのは不利と考えているのだろう。
「貴様が口を出すべきことではない」
殿下は吐き捨てるように言った。もう、関わらないでくれと言わんばかりの態度だった。だが、王女はそんなことでは怯まない。さらに言葉を続ける。
「で、どうするのだ。食料を与えるのか、与えないのか。むろん、ノズミが民衆から借りた金を返すのも重要だ。それをいつまでに、いくら返すのか。それを明らかにせねば、皆、納得することはない!」
「貴様の出る幕ではないといっているのがわからんのかぁ! これは、我がカイク帝国の問題である! 他国の者が口を出す問題では……」
そのとき、パチンと大きな音がした。フィレット王女が殿下の頬を強かに打ったのだ。あまりのことに、その場が一瞬、凍り付いた。
「きっ、貴様ぁ!」
殿下の従者の一人が絶叫して抜剣した。その直後、民衆に槍を向けていた兵士たちが、今度は俺たちに槍を向けた。マジかぁ~。こうなってしまっては、収拾がつかなくなる。暴力は、いけないよね……。
殿下はショックだったのか、頬を押さえたまま固まっていたが、やがて、目だけをジロリと王女に向けると、不敵な笑みを浮かべた。
「俺の頬を打ったのは、貴様が初めてだ」
「ちょっ、なっ」
殿下は王女の腰に手を廻すと、力強く彼女を抱き寄せた。彼女は手で殿下の頬を掴もうとするが、その手は男に握られて動きを封じられてしまった。
「貴様は俺の妾にしてやる。その強気な性格、気に入ったぞ!」
「お断りだ! 貴様何ぞ、誰が!」
「今からコイツを城に連れて行く! 皆の者、引き揚げだ!」
そう言って殿下は王女を引きずりながらその場を去ろうとする。ホルムが止めに入ろうとするが、俺はその彼を右手で制した。
「なっ……何だ……体が……」
殿下の動きが止まる。俺は彼に結界を張っていた。足元から腹のあたりまで、少し強めに張ったので、少々のことでは破られない。
自分の体が動かなくなったことに焦ったのか、王女を抱きしめていた腕の力が抜けたのだろう。王女は腕からスルリと抜けると、こちらに向かって駆け寄ってきた。まるで、汚いものに触れたかのように、鎧の上から胸や腕を手でゴシゴシとこすっている。それ、意外と男子は傷つくので、止めた方がいいんだけれどもね……。
一方の男の方は、体が動かないことに焦り倒している。家来たちも殿下、殿下と言って集まってきて。何とか彼の体を動かそうと足にしがみついているが、そんな程度で俺の結界を破ることはできない。
「おい、何をした。俺に何をしたぁ!」
男はそう言って叫ぶ。恐らくこれは、俺たちに向けて行っているのだろうが、こちらに背中を向けたままの状態で固まっているので、彼はあらぬ方向を向きながら叫んでいる状態だ。あ、必死で首だけをこちらに向けているな……。
「……どけ」
俺はそう言いながら男に近づく。兵士たちが殺気を込めた目で睨んでくるが、そんなことはお構いなしにその間を進み、男の前に出る。
「一つ確認です。本当に、民衆に、金を返すつもりですか?」
「何だ、貴様はっ!」
「まずは、俺に質問に答えてもらおう」
そう言って俺は結界を少しずつ縮小していく。徐々に殿下の下半身は圧迫感を感じていき、同時に痛みも感じているはずだ。
「きっ、貴様……」
「早く答えないと、両足が砕けることになる」
「……金は、返す」
その言葉を聞いて、結界の縮小を止める。止めはしたが、彼の下半身は相変わらず圧迫と痛みに苛まれているはずだ。
「あなたには、その権限が、あると」
「ああ。民衆の惨状は見るに忍びない。ノズミが借りた金に関しては、国庫から支払う」
「そうですか。それを聞いて安心しました。では、先ほどフィレット王女が言っていた、食糧支援については、どうでしょうか」
「それも、近日中に行う」
「明日、できますか?」
「……可能だ」
「ノズミは、どうしますか?」
「そこまでは……考えておらぬ。今、ヤツとは事実確認を行っただけだ」
「事実確認……聞いて、どう思われました?」
「……」
「ひどい領主ですよ。私も色々な領主を見てきましたが、ここまで酷いのは、記憶がありません」
「……」
「俺にいい考えがある」
俺はそう言うと、殿下の周囲に従っていた者たちを下がらせて、彼の背後に回り込んだ。
「今から俺の言うことを正確に、大声で繰り返せ。心配はいらん。それさえ言えば、このマツシレイの土地は復興するし、あなたも、名君として名声を得ることにつながる。ただし、一つでも間違えば、下半身は砕けることになる。いいな?」
俺の言葉に、殿下はゆっくりと頷いた……。