第九百四十七話 ノズミの屋敷へ
俺の目の前にいる全員が無言のまま、同じ方向を眺め続けている。これはこれで不気味な状況であると言える。俺も彼らに倣って視線を向けてみたが、そこには青空と高くそびえ立つ山が見えるだけだった。
「あの山じゃ。あの山さえなければ、このマツシレイはもっと肥沃な土地となるのに……」
ジジイがリンゴをかじりながらそんなことを呟いた。年寄りの割には丈夫な歯をしているなと思いながら俺は、その男の言葉に耳を傾ける。
聞けばこのマツシレイという土地は、目の前にそびえ立つバルラ山のせいで、日照時間が極端に短い土地なのだと言う。太陽の光が少なければ農作物が十分に育たたない。そんなことは俺でもわかる話だ。この土地に来て、どうも違和感があるなと思っていた理由がようやくわかった。畑の作り方がいびつなのだ。これは、少ない日照時間の中でも、最も多く陽があたる場所に畑を作っているからなのだ。
ジジイはリンゴをかじりながらそんなことを訥々と話している。他のジジイや子供たちは相変わらず無言のまま空を眺め続けている。普通だったら、ジジイの言葉に反応して、そうだそうだ、とか、あの山がすべて悪いんじゃ、とか、色々な反応があるはずなのだが、他の人は相変わらずまるで、人形のように固まったままだ。
ひょっとしてこれは芝居なんじゃないか。このジジイが主役で、コイツが喋っている間に動いたり喋ったりするとセリフの邪魔になるので、皆、こうやってじっとしているのでは……。などと詰まらないことを考えてしまう。
「皆であの山を削らなかったのか?」
俺の言葉に、ジジイは不思議そうな表情を浮かべる。
「その昔の話だ。同じように高い山のせいで日が差さない村があった。村人たちは、生まれた場所が悪かったと言って諦めていたんだが、一人の少年だけは違った。彼は毎日山に登り、一握りの砂を持って降りてきて、それを湖に捨てた。そんなことを毎日毎日繰り返していたんだ。最初、村人はそんな少年を嘲笑ったんだが、そのうち、その少年の行動に心を動かされた村人が一人、また一人と手伝うようになった。そして最後には村人全員で山の土を湖に移していくようになったんだ。それを繰り返すこと数年、ついに山は削られてその村には太陽の光が降り注ぐようになったのでした、というお話しだ」
……一気にしゃべったので少し喉が渇いた。ジジイたちはさぞ俺の話に感銘を受けているだろうと思いきや、そこにいる全員がキョトンとした表情を浮かべている。お前、何を言ってんの? と言わんばかりの顔だ。
「バルラ山は石山じゃ。人の手で削るのは無理じゃ」
ジジイが残念そうに呟く。それを早く言わんかい。
「ま、とりあえず、だ。炊き出しをするから、まあ、食べたいヤツは食べて行ってくれ」
そう言って俺は踵を返した。
◆ ◆ ◆
炊き出しと言っても、俺たちが用意したのはおむすびと野菜炒めという、いわゆる男メシだった。カレーなども考えたのだが、正直言うと面倒くさかった。野菜と肉を適当な大きさに切り、それを炒める。調味料は塩とコショウのみというシンプルなのか手抜きなのかわからないものだ。しかし、村人はうめえうめえと言って食べてくれていた。
飯を炊くのはフィレット王女だ。彼女はコメという食べ物を見るのも初めてだったし、いわゆる飯盒炊飯というのも初めてだったのだが、ホルムが丁寧に教えたおかげで、すぐにそれを覚えて、次々とご飯を作っていった。それをホルムがおむすびにして皆に与えていた。
皆、余程腹が減っていたのだろう。こんなに村人がいるのかと思う程に、最後は大人数での食事会となった。ちなみに、リンゴをかじっていたあのジジイは、三度もおかわりをした挙句、肉だけを焼いてくれと言ってきた。もちろん無視したが。
村に住む老婆がせめてものお礼にと、薬草でお茶を作ってくれた。なかなか特徴のある味だが、飲めないわけではない。ちょっと苦みがあるが、体にはよさそうだ。俺はそれを飲みながら村人たちを眺める。
「まあ、次に来る領主は名君と誉れ高い人みたいだし、これまでよりはマシになるんじゃないか」
ホルムが村人たちとそんな会話を交わしている。だが、村人たちは何やら怒っている。
彼は村人たちと色々と話し込んでいたが、やがて俺の許にやってくると、さも困ったと言わんばかりの表情を浮かべながら口を開いた。
「ここの領主であるノズミは、村人たちの金を踏み倒そうとしています」
「どういうことだ?」
「ノズミは定められた以上の年貢を徴収しています。その余剰に徴収した分は、金を払うと民衆に約束していたのですが、未だもってその支払いはなされていないようです」
「何と……酷い話だ! まだノズミは出立していないのだろう? それならば、支払いを要求しに行こうではないか!」
フィレット王女がそんなことを言いながら剣を腰に差そうとしている。今からそんなことを言ったところで、支払うとは思えないが、彼女は思い込んだら即行動のタイプらしい。今からノズミの屋敷に向かう勢いだ。
「ノズミは領主である前に貴族なのだろう! 貴族というのは、その国の王、皇帝に連なる者だ。貴族とは民衆の手本となる存在でなければならない。民衆から作物を搾取するだけ搾取しておいて、そのまま逃げるなどとは、貴族の風上にも置けぬ所業だ。そんなことをすれば、ノズミの一族は元より、この国の皇帝陛下の御名も汚すことになる! 国は違えど、同じ王族として、これは見過ごすわけにはいかん。私が行って意見してやる!」
やめなさいよ、そんなことをしたところで、言うことを聞くヤツじゃない。下手をすれば、捕らえられてしまいますよと言おうとしたが、彼女はジジイどもに、ノズミの屋敷はどこだと聞いている。ジジイたちも彼女を止めるかと思いきや、何やら大いに盛り上がっている。儂も行く儂も行くと、言う声が上がり、気が付けば、皆が右手を振り上げて大盛り上がりになっていた。
オヤオヤと思っていると、ジジイがまるで飛び出すようにして走り始めた。その後をフィレット王女たち一行が進み始めた。
「おいおい、ちょっと」
俺の声など聞こえないとばかりに、皆、村を出て行こうとする。ホルムに視線を向けるが、彼も目をキョロキョロさせるばかりで、どうしていいのかがわからないようだった。
仕方なく俺たちも付いて行くことにした。止めようと思えば止められる。魔法で大爆発を起こせばこの者たちは足を止めるだろう。ただ、それはそれで後々ややこしくなる可能性がある。というより、何だか俺もちょっと、楽しくなってしまっていたのだ。
この村からノズミの屋敷までは徒歩三十分の距離なのだと言う。俺も、ノズミという男には少し灸を据えた方がいいと思うし、最悪、この人たちが攻撃を加えられるようであれば、結界を張って守ってやればいい。どうせノズミは出て行くのだ。最後の最後に困ったことに遭遇すればいい。
歩き始めて十五分ほど経った頃だろうか。突然男の絶叫が聞こえた。
「止まれ! 止まれぇ!」
その声のためか、人々の動きがピタリと止まった。俺はホルムを伴って列の前に出る。
そこには、白馬に跨った若い青年が、数騎を従えて道の真ん中に立っていた。その手には槍が握られている。
「邪魔をするな、どけい!」
フィレット王女はそう言って歩を進めた。そのとき、列を止めた男が手に持っていた槍を王女に突き出した。まさに彼女を殺そうとしていた。だが彼女はその槍を素手でつかみ取った。
男はニヤリと笑うと、槍から手を放して馬から飛び降りた。そして、素早い動きで王女の腹に当て身を当て、背後から腕で彼女の首を締め上げた。
「……ほう、女か。なかなかやるようだな。どこの者だ。名は何と申す? ……だんまりか? よいわ。そなたはこの儂が夜、褥で吐かせてやるわ」
……仕方ないな。
俺は心の中でそう呟きながら、歩を進めた。