第九百三十九話 食堂にて
コリタがアガルタの都を去って二週間が経った。その間俺は、ひたすらに政務に勤しんでいた。
別にコリタのことを忘れたわけではなかったし、サクという土地について興味を失ったわけではないが、そこに赴くためには、早めに仕事を終わらせておかねばならなかったのだ。
ようやく、仕事もある程度の目途が立った頃、ふと窓の外を見ると、フェアリードラゴンがこちらを窺っているのが見えた。サダキチではない。
フェアリードラゴンは一見するとどれも同じに見えるが、付き合いが長いためか、一匹ずつ見分けられるようになった。微妙に模様が違ったり、それぞれに癖があったりするのだ。アリリアなどは、一瞬でそれを覚えた。さすが、ドラオタだけある。
この外にいるドラゴンは、折に触れて首を傾げる癖がある。俺は秘かにコイツにタケシ、と名前を付けていた。
窓を開けると、タケシはギャアと一声鳴いた。いかにも面倒くさいと言わんばかりの面構えだ。コイツには、コリタ一行を監視する役目を担わせていた。ただひたすら上空から二週間もの間、彼らの動きを見張っているという任務は、退屈そのものだっただろう。彼の表情はそれを如実に物語っている。
もう一つ、タケシには任務が与えられていた。コリタが住むサクに結界石を置いてくるという役割だ。俺は窓を開けてタケシをねぎらう。
『任務は完了したようだな。ご苦労だった』
『へーい』
『ずいぶん退屈な任務だったみたいだな』
『へい』
『……結界石は置いてきただろうな?』
『ヘェイ』
『ちゃんと人目のつかない場所に置いてきただろうな?』
『ヘイッ!』
『……隣の家に垣根ができた』
『ハ?』
……そこは「ヘイ」とちゃうんかい。という言葉を飲み込む。俺は引き出しから干し肉を九枚取り出してタケシに渡す。彼はまるでお札を数えるように一枚一枚数え、数え終わるとスッとその姿を消した。
「一枚足りなぁい~と言えば、もう一枚やらないこともなかったんだけれどもな。まあ、さすがにフェアリードラゴンはお菊さんのことは知らないわな」
俺はそう言って苦笑いを浮かべた。
すぐにマトカル、クノゲン、ホルム、ルファナちゃんを呼び出す。ちょうど昼食の時間なので、皆で昼飯を食べることにして、食堂に向かう。いつもはここから食事を届けてもらうのだが、せっかくなので、皆で食べに行くことにする。
俺たちが入室しても、そこにいる連中は視線を向けるか、軽く会釈するくらいで、特に気遣ってくることはない。これは、俺たちの姿を見ても、いや、ここでは上官に会っても立ち上がったり、挙手の礼を取ったりすることを禁じている。ここができた当初は、俺が入室すると全員が立ち上がって挙手の礼を取ったので、しばらくはそれがトラウマとなり、結構長い間食堂に行くことができなかったのだ。
ちなみに、ここでの食事はいわゆるビュッフェスタイルで、料金も無料だ。つまりは、食べたいものを食べたいだけ食べることができる。ここには軍関係者だけでなく、アガルタで働くスタッフたちも食べにくる。俺は一般人にもここを開放してもよいと考えているのだが、さすがに機密云々がうるさく、それは実現できないでいる。
何故ここをビュッフェ形式としたのか、と問われれば、それはひとえに、フェリスとシャリオのためだと言える。この二人の食事量は尋常ではない。十人前をペロリと平らげるのだ。シェフとしては、いきなり十人前の料理を頼まれると面食らうし、それに、それを作る間、他の人の注文が滞る。そうしたこともあって、ここではこの形式が取られているのだ。提供される料理はペーリスのプロデュースのため、どれも抜群の味だ。今も今とて、ちょうどフェリスが昼食を摂りにやって来た。彼女は皿を二枚持つと、パスタ料理が置かれている場所に向かう。そこで、フォークを使ってカルボナーラを皿に山盛りに盛る。それだけで足りるかと思ってみていると、彼女はその皿をテーブルの上に置き、カルボナーラが入っている容器を軽々と取り上げた。大の大人の男がようやく抱えられる程の量が入っているのにもかかわらず、彼女は平然とそれを片手で持っている。そしてそのまま肉が置かれている場所に向かい、先ほどと同じく持っていた皿に肉を入れると、その容器ごと持ち上げて自席に戻っていった。俺も最初この光景を見たときは、驚き呆れたものだったが、慣れとは恐ろしいもので、今ではそんなに驚かなくなったし、ある意味で彼女の食いっぷりは、この食堂の名物となっている。あれを見ると何だか、元気が湧いて来るらしい。
対するシャリオの食事は普通だ。ちまちまと料理を皿に盛り、ゆっくりと食べる。これも一見すると、普通の女子の食事のようだが、彼女は長い時間をかけて料理を楽しむというスタイルだ。そのため何度もおかわりをするし、食事の時間が優に三時間近くかける。フェリスのように一度に食べられるだけの料理をテーブルに置くのではなく、一品一品味わって食べる。サラダが終わればパスタ、それが終われば肉、魚、スープ、デザートという流れだ。俺には到底できる食事方法ではない。
こうして見ていると、食事のスタイルも人それぞれで面白い。マトカルは肉食中心で、どちらかというと筋肉を鍛えるために食事を摂っているように見えるし、ホルムは意外とバランスよく食べているという印象だ。面白いのはクノゲンで、彼の食事は必ず妻のルファナちゃんが選んで持ってくる。野菜と魚多めで肉は少なめだ。もちろんクノゲンの体を気遣ってのことだが、俺などは肉が少ないと物足りないのだが、クノゲンは一つの文句も言うことなくそれらを口に運ぶのだった。
「さて、集まってもらった件だけれども、俺は一度、サクという土地を見に行こうと思う。別に何か手助けをするつもりはないことはないのだけれど、ナノルという領主を見てみたくなった。今後、アガルタの政治にも生きるかもしれないと思ってね。あと、できれば、そこにやってくる予定の、ノズミという男も見てみたい。というより、その男が治めていた土地の状況もみたいと思っているんだ」
俺の話に反対するものはいなかった。皆、あのコリタという男のことが心配だったようだ。アガルタとして表立って協力することは難しいが、何らかの手助けをしてやりたいという思いは共通していたようだった。それだけの人徳があのコリタには備わっていたし、もし、アガルタの協力を引き出すために敢えてあの男に直訴させたというのであれば、ナノルという領主はとんでもない知恵者だとは思うが、さすがにそれは俺の考えすぎのようだ。
「とはいえ、リノス様一人で行かせるわけにはいかない。そうだな……ホルムを連れて行くのがいいと思うが、ホルム、貴様はどうだ」
マトカルが口を開く。その声に対してホルムは喜んでお供しますと言って笑顔を見せた。
「では、ホルムを連れて行くことにしよう。今回は視察だ。さらっとサクという町とナノルという領主を見て、ノズミの領地を見て帰ってくることにしよう。まあ、サクは一日あればなんとかなりそうだけれど、ノズミの治める領地がどこにあるのかがわからないな。まあ、サクで聞けば何とかなるだろう。そこを調べて赴いて様子を見る……。一日あればなんとかなりそうだが、余裕を見てそこは二日をかけることにしよう。都合三日間、留守にすることになると思うけれど、皆よろしく。何かあれば連絡しますので……」
「なにやら面白そうだな。ぜひ、私も一緒に連れて行ってもらいたい」
突然後ろから声が聞こえた。振り返ってみると、軍服を着た女性が立っていた。あれ? この人……。記憶にあるぞ……?