第九百三十四話 アガルタの国歌
正直なところ、俺はショックを隠し切れないでいた。まさか、リコが俺の書いた歌詞に全ボツを食らわせるとは、思ってもみなかったからだ。
別に自信があったわけではないが、あれだけの案を書いたのだ。どれか一つくらいは採用されるだろうと思っていたのだが、まさか一つも気に入らないとは……。リコが固すぎるのか、俺に破壊的に才能がないのかのどちらかだが、まあ、きっと後者の方だろう。
「う~ん。あの、アガルタを連呼する歌詞なんか、盛り上がっていいと思うんだけれどもな。サッカーのことはよく知らないけれど、ロ〇テの応援みたいに、皆で声を合わせて連呼するの、あれ、格好がいいと思うんだけれどもな」
俺はそんなことを言いながら、執務室で椅子に座りながら腕を頭の後ろで組んだ。
どういうわけか、昼から出勤しているのにもかかわらず、仕事量が少ない。いつもは出勤してくると書類が山と積まれていることが多く、今日は午前中を休んでしまったので、机の上がとんでもないことになっているものと覚悟をしてきたのだが、意外にも、そこは昨夜俺が部屋を出たままの状態になっていて、思わず頬をつねってしまったのだった。
席についてからも、持ってこられる書類は数枚程度で、すぐに仕事は済んでしまう。いつものあの、怒涛のように持ってこられる書類の山はどうしたのだろうか。もしかすると、アガルタのスタッフがその気になれば、俺の仕事などは、この程度で済むのではないかと、変な勘繰りをしてしまった程だ。
ぼんやりと天を仰ぎながら、国歌というものを考えてみる。とはいえ、俺が知っている国歌は日本のそれとアメリカ、フランス、イギリスのそれくらいだ。ただ、それらを思い浮かべてみると、やはり外国のそれは、明るいメロディーが多いような気がする。どうも俺は日本のそれに触発されてしまっていた気がしてならなかった。
「明るいメロディー、ねぇ……。例えば、こんな感じかな?」
俺はオホンと咳払いをすると、鼻歌を歌った。
「チャチャチャラーラー♪ チャチャチャ―ラーラーラ♪ チャチャチャラーラーララララララ♪」
突然ノックもなく扉が開き、警備兵が険しい表情を浮かべながら睨みつけてきた。俺は思わず、スミマセンと言って謝る。男は無言のまま静かにドアを閉めた。
「……ダメかな、今の。まあ、パクっている段階で、ダメだよね」
そう言って自虐的に笑ってみる。そして再び椅子の背もたれに体を預け頭の後ろで両手を組みながら、ぼんやりと天を仰ぐ。思わず唯一歌詞とメロディーが一緒に出てきた国歌案が口をついて出た。
「すっ進め進めアッガルタ~♪ すっ進め進めアガルタ~♪ 敵を討つぞ敵を討つぞ♪ ラ~イト……じゃない、おわっ!」
再び外を警備している兵士が、ノックもせずに扉を開けて俺を睨みつけた。さすがに二度目は予想していなかったために、思いっきり焦ってしまう。
「……なっ、何か?」
「……先ほども今も、何か、不気味な音が聞こえてきましたが、異常はありませんか」
「異常は……ない、と、思い、ます、よ」
「であればよろしいのですが。もし、何か不穏な音をお聞きになりましたら、すぐ私どもをお呼びください」
男はそう言って一礼して扉を閉めた。
「……不気味な音って、ひどくない?」
何故か涙があふれてきた。
◆ ◆ ◆
リコが募集した国歌は、ひと月経つ頃には、かなりの数が集まるようになっていた。彼女は、アガルタのスタッフたちと共に応募されたものに全て目を通していた。愚にもつかない内容がある一方で、かなり考え込まれたものも数多くあった。リコらはそれらをもとに議論を重ねていった。
そのなかで、最も説得的な意見を述べたのは、ソレイユだった。
彼女は、ともすれば議論の方向が迷走しがちな会議を上手くまとめ、皆が同意できる案を出し続けた。そうしたこともあり、予想を超える速さで国歌案はまとまっていった。
募集からひと月半で、一つの国歌案が示された。その内容は、このようなものだった。
『集まる者たち 希望に燃えて 真理を仰ぎ 正義の道を 誠を込めて 未来へ進まん』
短い詩だが、ソレイユが曲をつけた。それは壮大で荘厳な曲調で、この詩に実によく合うものだった。
「……もう、これでいいんじゃないか?」
歌を聞いたとき俺は、思わずそう言った。何だか、そこに口を挟むのは畏れ多いと思ったし、センスのない俺が意見を言ったところでまた、リコらにドン引きされるのもイヤだった。ただ、ここだから言うが、俺はもっと歌いやすい、ポップな歌にした方がいいと思った。誰もが簡単に覚えられて口ずさめるのがいいと思うが、リコらの雰囲気はそんな俺の意見を受け入れるような様子は微塵もなかった。
いいと思うんだけれどもな。あの「アガルタ」連呼。絶対に盛り上がると思うんだ。この、〇 Japanやラ〇クみたいな壮大なバラードの曲調から一転しての「アガルタ」連呼。いきなりそれをすると驚く人もいるだろうから、歌い終わった後に手拍子をしてアガルタコールにつなげるのはどうだろうか。……ダメかね? ……ダメか。
ソレイユの作った曲はかなり好評で、聞く人は皆、それを絶賛した。まあ、ソレイユの歌唱力もあるのだろうけれど、やはり壮大なバラード調は国家のイメージとぴったりとマッチしているようだった。
結果的に、この曲と歌詞が国歌としてほぼ、採用されることになった。歌詞は応募された中から一部のフレーズを抜粋して組み合わせているので、採用者は数名に上った。そして、歌詞が採用された者には、賞金として金10枚が授与されることになった。
その授賞式において国歌が披露されることになり、その前日に、家族の前で、リハーサルではないが、国歌がソレイユの歌によって披露された。
結果は大好評だった。子供たちは口々に良い歌だとか、カッコイイと言い、妻たちも顔を見合わせて頷いていた。その中で一人、手を挙げる者がいた。アリリアだ。彼女は立ち上がると、ソレイユに真っすぐな視線を向けた。
「マミーの歌に、アガルタがないよ。アガルタの歌なんだから、アガルタがないとおかしいよ」
言われてみればその通りで、リコらにしては珍しい手落ちだった。俺などは日本の国歌に慣れているので、別に国名がなくても何の違和感もないが、リコらはそれを厳粛に受け止めた。そして、すぐにその場を切り上げて、彼女は部屋に籠って歌詞の修正にかかった。
リコは部屋にこもったまま、食事も摂らなかった。ソレイユが様子を見に行ったが、彼女もそこから出て来なくなった。今度はメイが様子を見に行ったが、すぐに部屋から出てきていった。
「心配ない、すぐに終わると言っていらっしゃいます」
結局、リコもソレイユも部屋から出て来なかった。さすがに深夜になるに及んで、俺も心配になり、リコの部屋に向かった。彼女は目を真っ赤にしながら歌詞と格闘していた。
「リコ……」
俺の言葉に彼女はやっと顔を上げて、俺を見た。その瞬間、彼女の目から涙が溢れていた。
「リノス……私は……何が正解なのか、わからなくなってしまいましたわ」
「そうだろう。よくわかるよ。俺もそうだった。少し休め。考えすぎるのはよくない」
そう言って俺は彼女をベッドに座らせる。ふと机を見ると、彼女は歌詞のあらゆる場所に「アガルタ」というフレーズを入れ込んで考えていた。ソレイユもその都度歌を歌って協力していたようだった。彼女もまた、疲労困憊の状態だった。
「もう、歌詞の最後にアガルタを入れるだけでいいんじゃないか。シンプルが一番だと思うよ」
「……私も、そう思いますわ」
「最後のアガルタの歌詞を入れた歌をソレイユ、作れるか?」
「はい、大丈夫です」
翌日、授賞式で披露された国歌は、こんな風に修正されていた。
『集まる者たち 希望に燃えて 真理を仰ぎ 正義の道を 誠を込めて 未来へ進まん ああアガルタ アガルタ アガルタ』
ソレイユが歌い終わると、会場から万雷の拍手が起こった。だが、俺はその光景を見ながら、心の中でこうつぶやいていた。
……これは、国歌と言うより、学校の校歌みたいだ。