第九百二十六話 誰も得をしない話
結局、デウスローダ王国国王ブレイは、マトカルらに連行された。惨めな有様だった。親衛隊のヒョウに肩を借りながら彼は、ゆっくりと歩を進めた。そこには、つい数日前に、尊大な態度を取っていた王の面影はどこにもなかった。
同じように陣幕の張られた本陣で、リノスはブレイを引見した。連れて来られた一行を見てリノスは眉をひそめた。王に従う三人の結界師が、死に物狂いで結界を張り続けていたからだ。
全員が結界LV2のスキルだった。魔力総量も人並みだ。これでは、どれだけ頑張っても一時間もすれば魔力切れを起こして、今張っている結界は解除されてしまう。
彼は結界師たちに向かって、王の身の安全は保障するので、結界を解除して構わないと言ったが、彼らはその命令に従わず、結界を張り続けた。リノスは、ブレイ王に結界を解除するように命じたが、彼はその声に反応を示さなかった。
「一時間もすれば、魔力切れを起こして結界は解除されてしまいます。やるだけ無駄だと思います。それよりも、結界師たちがかわいそうです。見たところ皆まだ若い。……十代かな? 未来ある若者たちに、こんな無駄なことをさせるべきではありません」
「それは、余の首を討とうとてか」
「うん? なに?」
「結界を解除させて、余の首を討とうということであろう。よいだろう。余の首を討って、末代までの手柄とするがよい」
「いりませんよ、そんなもの」
「なっ……」
「あなたの首を貰ったところで、誰も得をしない。だから、いりません。しかし、どうして王様というのはこういう場面になると首を討てと言ってきますかね。そんなに首を討たれたいのなら、自分で討てばいい。その、腰に差している剣でね。まさかその剣は儀式用のものではないでしょう」
痛烈な言葉だった。確かに、陣所で腹を切るなり、喉を突くなりしていれば、このような縄目の辱めを受けずに済んだのだ。多くの兵を失った上に、このような恥辱を受けては、ブレイ王の名はデウスローダ王国の歴史に暗君として刻まれることは確定的であるという意味にとれた。
確かに、国王ブレイが腰に差している剣は、歴代の王が継承してきた宝剣で、その切れ味は抜群のものであった。ブレイの祖父がその切れ味を試すため、罪人の死体を使って試し切りをしたことがあったが、その際は、五人の死体を重ねたにもかかわらず、剣はそれらをあっさりと一刀両断し、さらには、それを置いてある台までも真っ二つにしてのけた。それ程の剣であるから、ブレイがその気になれば、己の首を落とすことなど、造作もないことと言えた。
国王ブレイはワナワナと震えながら立ち尽くしている。そんな彼に、リノスは傍にいた家来に椅子を持ってくるように促した。
足に傷を負っているためか、ブレイは椅子に掛けるまで五分の時間を要した。その様子を、リノスをはじめとした周囲の者たちは、一言も発することなく、見守っていた。
「さて、話し合いを始めましょうか」
リノスが口を開く。彼はスッと右手を挙げると、さらに言葉を続ける。
「まずは紹介しましょう。こちらに控えておいでなのが、ネルフフ王国軍を束ねる、フィレット王女です」
紹介を受けた彼女は小さく黙礼する。実際、ブレイ王とフィレット王女が出会うのは、これが初めてのことであった。ブレイは彼女の姿勢に対して、持っていた剣で自分の体を支えているだけで、何の反応も示さなかった。
「その隣に控えているのが、アルレの町衆の長、アワジ殿です」
アワジ、という言葉にブレイ王は反応した。彼はアワジにゆっくりと視線を向けた。まるで、よくもやってくれたなと言いたげな様子に見て取れた。そのブレイ王に対してアワジは逆に、何の反応も示さなかった。これは、デウスローダ王国に生きる者であれば不敬な行為であり、下手をすれば首を討たれかねないことであるが、アワジはそれを十分承知の上でそうした態度をとっていた。つまりは、彼の心は完全にデウスローダから離れていることを、無言のうちに示したのだ。
「さて、話し合いの件ですが……」
リノスが口を開くが、途中で絶句した。何事かと周囲の視線がリノスに集中する。彼はブレイ王に視線を向けていた。
「……リノス様?」
側に控えていたホルムが口を開く。だがリノスはその言葉には反応せずに、ゆっくりと立ち上がると、スタスタとブレイ王の許に向かって歩き出した。
彼は王の傍まで来ると、スッと腰を折り、片膝をついた姿勢となった。一見すれば、リノスがブレイ王に従う態勢を取っているようにも見え、あまりの予想外の光景に、周囲の者は目を丸くして驚いていた。だが、リノスの視線は王には向けられず、彼に結界を張っている結界師の一人に向けられていた。
「……大丈夫かい?」
唐突に話しかけるが、結界師は何も答えない。ただ、青白い顔で、必死で王に結界を張り続けている。
……パァン!
突然何かが炸裂するような音が響き渡った。一体何が起こったのかがわからず、その場に緊張が走る。ふと見ると、リノスの右手が、ブレイ王に向いていた。しかもそこには、先ほどまで王を守っていた結界が消え失せていた。
「とてもいい結界だけれども、君の魔力では、この結界を長く張り続けることはできないだろう。それよりも、どこか怪我でもしているんじゃないか?」
相変わらず結界師は何も答えない。ワナワナと震えながらうつろな視線を地面に向けている。
「とりあえず、回復魔法をかけておこう」
そう言ってリノスは右手を男にかざす。すぐに周囲が緑色の光に包まれる。
「……痛みが、消えた」
結界師の男は驚いた表情を浮かべながら呟く。リノスは満足そうな笑みを浮かべると、後ろに控えている家来に向かって声を上げた。
「彼をポーセハイの許に連れて行け。必要であれば治療などをしてもらえ」
彼の命令を受けて、黒い鎧を装備した兵士たちがやって来て、彼を立ちあがらせると、陣幕の外にそのまま連れだした。
その一連の様子をヒョウは信じられないと言った表情で眺めていた。彼の常識では、魔法は詠唱して発動するというものだったが、アガルタ王はそれをすることなく魔法を操っていた。加えて、今、彼が治癒した結界師は、戦いに巻き込まれた際に胸を強かに打ち、痛みをこらえていた。ヒョウ自身は、折れてはいないまでも、骨にヒビが入っているのではと見立てていたが、彼の反応を見る限りでは、それを一瞬のうちに治癒していたようだった。そんな芸当ができるのは、伝説級の大魔法使いくらいだが、王の結界をいとも簡単に破壊した点からも、この王はとんでもない魔力とスキルを持っていると認識した。
ここに至ってヒョウは、絶対に戦ってはならぬ相手と戦ったことを心の底から悔やんでいた。悔やんだところでどうにもならないことだが、悔やんでも悔やみきれないことであった。
「さて、話の続きだが、我々がお願いしたいのは、アルレの町に今後手を出さないことを、ここで約束してもらいたいのです。アルレの町に住まう方々は皆、デウスローダではなく、ネルフフ王国に従いたいと言っています。このままアルレをデウスローダ王国に返しても、民衆は抵抗し続けることでしょう。そうなれば、誰も得をしないことになります。ここはひとつ、アルレの町から手を引いていただきたい。俺のお願いはそれだけです」
リノスは淡々と語る。その一方でブレイ王の顔にはみるみる怒りの色が現れて、呼吸も早くなっていった。
「そ……そのようなことは、認められぬ」
ブレイは絞り出すようにして口を開いた。その言葉に対してリノスは、ゆっくりと首を左右に振った。