第九百二十二話 不格好な陣形
布陣が完了したとの報告を受けたデウスローダ王ブレイは、幕僚たちを集めて軍議を開いた。その場で彼は、アガルタ軍に総攻撃をかけると主張した。通常は、皆が賛同して軍議はお開きとなるのだが、このときばかりは違った。総司令官を勤めるウジョーが、王の意見に真っ向から反対した。
「アガルタには、アガルタ王様をはじめとして、マトカル、クノゲン、ホルムといった歴戦の将がおります。このうち最も勇将がマトカル、あとの者は知略が優れております。加えて、アガルタ軍の兵士が装備する鎧は魔法攻撃が効かず、弓、槍、剣の攻撃も効きにくいと聞いておりますれば、正面切ってアガルタと戦うべきではないと愚考します」
「何を言うのだ貴様は。余がこれほどに蔑ろにされたのだ。ここは、我が国の力を見せつけねばならない。兵糧はくれてやるから、アルレを諦めろ、などと、一体何様のつもりなのだ。そんなことをすれば末代までの笑い者だ。こちらは三万、アガルタは五千。総攻撃をかければ、アガルタなど物の数ではない。奴らにはそれをわからせねばならぬ」
ブレイはそう言ってウジョーを睨みつけた。それ以上に、アガルタ王リノスらの名前を聞いただけで、アガルタ軍との戦いが始まったように覚えた。矢の唸る音が聞こえ、鬨の声が聞こえ、軍馬の嘶く声が聞こえた。
「国王様の仰ることも道理ではありますが、アガルタを討つよりも、アルレのネルフフをたたいた方が有利と存じます。ネルフフとはしばしば矢合わせををしていますから、手の内はわかっております。戦えば必ず勝ちます。ネルフフをたたいてアルレの町より追い落とせば、アガルタ軍は戦う意義を失い、孤立することになります。そうなれば、アガルタ軍は自落することは必定であると愚考します」
ウジョーの戦法は正攻法だった。他の幕僚たちも、ウジョーの案に賛成した。
「ネルフフはいつでもたたける。数の上では圧倒的に我が軍が上回っているため、ネルフフはものの数ではない。今、我らにとって唯一の敵は、アガルタただひとりだ。我らを舐め切っているあ奴らは何としてもここで叩かねばならない。そうせねば、我が国は周辺国から舐められて、不要な戦いを強いられることになるかもしれません。ここはネルフフごときを相手にして時間をかけているより一気にアガルタの本陣を衝くのが、この戦いを終わらせる早道であるかと存じます」
幕僚の一人にして、王の親衛隊長であるブアリが言った。
同じく、王の親衛隊を勤めているヒョウがこれに賛同した。作戦会議は、ウジョーをはじめとする慎重派と、どちらかというと、王の傍近くに仕えてきた者たちとにはっきりと二分された。
国王ブレイは、軍議の尽きるのを待たずに口を開いた。
「我らはアガルタ軍を攻める。ヤツらに余の恐ろしさを骨の髄まで教えてやらねばならぬ。それぞれ準備にかかれ。我らが攻めてくるとなれば、アガルタ軍はこれまでの敵とは比較にならぬような厳しい抵抗を見せるであろうから、我が軍もその覚悟をせねばならぬ」
ブレイにはこの戦いに勝利する絶対の自信があった。
「この度の戦いは、我が軍にとって至極重大な戦いである。この戦いに勝てば、ネルフフは我が国の侵攻を諦めるであろうし、我が国の国威は大いに上昇することであろう。それ故、それぞれの功名手柄にふさわしい褒美を与える用意が余にはある。各諸将とも、武門の誉れにかけて戦うがよい」
ブレイはそう言って士気を鼓舞した。そのとき、一人の兵士がやって来て、国王らの前で片膝をついた。
「申し上げます。アガルタ軍が動き出しました。察するところ、我が軍の陣形を見て、敵も陣形を変えるようです」
ブレイは無言のまま立ち上がり、近くに設えてあった物見やぐらに上った。そこは急ごしらえのため小規模であり、上ることができるのは三人が限界であった。国王ブレイがそこに上ると、あとからウジョーとブアリが上ってきた。
アガルタの陣形は理解に苦しむものだった。敵は部隊を五つに分けていた。単純に計算すればそれぞれが一千の規模だ。その部隊を敵は、アルレの方向に向かって斜めに配置していた。そして、一部隊だけ、アルレとは逆の方向に、まるでせり出すような形で配置されていた。
見方によっては鶴翼の陣と見えなくはないが、ブレイらの眼からは東側に異様に伸びた陣形に強い違和感があった。
「……もしや、アガルタはアルレに入ろうとしているのではありませんか?」
親衛隊長のブアリが誰に言うともなく呟く。ブレイは彼に視線を向けると、目で言葉を続けるように促した。
「……あの伸びきった陣形。その先頭に本陣を置き、アルレに向かって突撃をかけます。そうなれば我が軍はアガルタ軍を包囲しにかかることでしょう。敵は王をアルレに入れるべく必死で戦う……。アガルタの残りの四部隊は、その囮や盾であろうかと存じます」
ブレイは膝を打った。まさしく、その通りであると心の中で呟いた。一方で、総司令官であるウジョーは腹の中で嗤っていた。アガルタがそのような愚策を採るわけはない。軍勢の規模は我が軍の三分の一だが、戦力的には我が軍と拮抗、場合によっては我が軍を上回っているのだ。そのような軍勢がわざわざアルレになりふり構わず逃げ込むものか。彼らは、我が軍が攻撃を仕掛けてきたらば、真正面から受けて立つつもりなのだ。
しかし、ウジョーの経験をもってしても、このアガルタの雁行陣のような、鶴翼の陣のような、どちらかと言えば不格好な陣形で、彼らが何をしようとしているのかが、わかりかねていた。
「アガルタ軍の方から気構えを見せるのであれば、もっけの幸いだ。敵を殲滅して二度と立つことのできないようにしてやろう」
ブレイはこれから起こるであろう戦いの趨勢を見ていた。おそらく戦闘は半日で決着する。三万の軍勢で押し包まれたアガルタ軍は、抵抗らしい抵抗はできずに潰走することだろう。あのアガルタ王はきっと、真っ先に逃げるに違いない。そんな男の首はどうでもいい。まずやらねばならぬのは、彼らが持ってきた兵糧を確保することだ。戦いに巻き込まれて兵糧が使い物にならなくなることだけは、避けねばならない。
彼は斥候を放って、敵の兵糧の場所を探るように部下に命令を下した。
彼はこの戦いを楽観視していた。一旦思考がその方向に傾きだすと、それは止めることができなかった。彼はすでにこの戦いに勝利した後のことを考えていた。アガルタ王の妻であるマトカルを生け捕りにし、人質としてこの国に留め置く。そしてその体を心ゆくまで堪能する。彼の頭の中には、ベッドの上で、あの冷静な顔が苦悶に歪む姿が映し出されていた。
呼吸が荒くなっているのが自分でもよくわかった。そうした興奮を家来に悟られまいと、彼は無言のまま物見櫓から下りた。
自席に戻ると、さらに新しい情報が入った。
「敵の諸将は黒い鎧兜に身を包み、抜剣して臨戦態勢に入っております。加えて、イシ山の麓に陣を張っている隊が、アガルタの本陣であることが判明しました。また、我が軍の周囲に伏兵らしき者は見えません」
ブレイ王はその報告に満足そうに頷いたが、総司令官のウジョーは、アガルタがデウスローダと戦う覚悟を見せたことに、少なからず恐怖感を覚えていた。
……イシ山の麓の陣がアガルタ王の本陣ということは、あの陣形の真ん中に本陣が置かれたことになる。ということは、アガルタ軍は我が軍と真っ向から戦うということだ。寡兵にもかかわらず、陣形を広げると言うことは、我が軍に勝つ自信があると言うことだ。
ウジョーは無意識に体が震えていることに気がついた。それが単なる武者震いなのか、恐怖によるものなのかは、彼自身にもわからなかった……。