第九百二十一話 共闘
アワジはリノスとマトカルに伴われてアルレの町に帰還した。彼は町に入ると真っすぐにネルフフ王国のフィレットの許に赴いた。
見慣れぬ一組の男女を見たフィレットは訝しそうな表情を浮かべたが、二人が装備している鎧が通常の兵士のそれとは全く異なるために、彼女はデウスローダ軍の高官がやってきたと解釈していた。だが、アワジから二人がアガルタ王リノスとその妃であるマトカルであると紹介されると、椅子から転がり落ちる程に動揺した。
「ほ……本人、か?」
「はい。ご本人様でございます。私の命を救っていただきました」
彼女は動揺を隠そうともせずにおずおずと立ち上がると、二人の前に歩を進めた。
「ネルフフ王、ネルフフ・ガング・ツアールトの息女、ネルフフ・エリサ・フィレットでございます。アガルタ王様のお話しは承っております。お会いできまして、光栄でございます」
彼女はそう言って片膝をついて一礼した。
「頭をお上げください。アガルタのリノスです。こちらは妻のマトカルです」
「マトカルだ」
二人のやり取りを見ながらアワジは、マトカルの方が王らしいと感じた。どう見ても、男の振る舞いは、女性の従者のそれであった。だが、男の装備している銀色の鎧から発せられる雰囲気が尋常ではない。それだけに、男の振る舞いは強い違和感があった。
フィレットは、アワジがデウスローダの陣に向かおうとしたこと、そこで、兵士に打擲されたことなどをリノスらから聞いて驚愕した。そして、どうして命を粗末にするのだと言って、アワジを詰った。
そうしておいて彼女は、リノスとマトカルに深々と礼を言った。彼女の常識では、町衆の長とは言え、アワジは平民だ。そんな男を王自ら送り届けるなどと言うことは、前代未聞であった。
「こう言っては何だが……。私も型破りだが、アガルタ王様とマトカル王妃も、かなり型破りな御方なのだな。どうやら、話が合いそうだ」
「同感です」
フィレットの言葉に、リノスは笑顔で応える。ややあって彼女は真剣な表情となり、リノスらに視線を向けた。
「ところで……これから貴国はどうなさるのだ。このままでは、デウスローダから攻撃を受ける可能性がある」
「まあ、そうですね」
「何か、作戦はおありなのか」
「特に何も考えていません。妻のマトカルには、何か腹案があるようですが」
そう言ってリノスはマトカルに視線を向けた。だが、彼女はゆっくりと頭を左右に振った。
「今は状況が違う。今のところ、私にも作戦らしいものはない」
部屋の中に沈黙が訪れる。その光景を見ながら、フィレットの副官を勤めるアーネリフは、あまりにも危機感のないリノスとマトカルに、不思議な感覚を覚えていた。
「申し上げます!」
雰囲気を一変させるような大声が響き渡る。見ると、一人の兵士が肩で息をしながら部屋に飛び込んできた。
「どうした」
「デウスローダの陣形が変わっております!」
「なに!」
フィレットはそう言うと、リノスらを残して部屋を出て行った。続々と彼女に続いて人々が出て行く。二人は顔を見合わせたが、やがて、皆の後ろを付いて部屋を出て行った。
フィレットらは城壁に向かっていた。実際に上ってみると、それはかなりの高さがあるもので、頂上まで登ると、アルレの町が一望できた。
視線を外に移すと、草原の中にデウスローダ軍の姿が見えた。三万の大軍勢がゾロゾロと移動を開始している。ただ、全体が戸惑っているのか、その動きは緩慢そのもので、それを見たマトカルは瞬時に、この軍勢が訓練不足であることを看破した。
デウスローダ軍は、およそ三十分をかけて陣形の変更を完了した。彼らは明らかに南に陣を張るアガルタに向けて矛を向けていた。いわゆる鶴翼の陣で、数を頼んでアガルタを押し包もうと意図しているように見えた。
リノスとマトカルは、言葉は交わさないが、考えていることは一致していた。点数を付けるとすれば、ゼロ点の陣形だった。
この陣形で最も致命的であるのが、アルレに対する備えが全くなされていない点だった。彼らは頭からアルレからの攻撃はないと考えているようだった。もし、デウスローダがアガルタに攻撃を仕掛けた場合、背後からネルフフ軍を先頭に、アルレの町に住まう者二万が襲い掛かれば、デウスローダは挟撃される形となる。
それはフィレット王女も考えているようだが、さすがに、彼女の口からアガルタに対して、デウスローダ三万の軍勢の攻撃を食い止めてくれとは言えなかった。
「アガルタ王様」
フィレットがリノスの前までやって来て、片膝をついた。リノスは少し驚いた表情を見せたが、すぐに元の表情に戻り、彼女に優しい眼差しを向けた。
「デウスローダ軍の矛先は明らかにアガルタに向いているように見受けられます。いかがでしょう。このアルレの町に陣をお移しになりませんか?」
彼女はそう言いながら、隣に控えているアワジに視線を向ける。アワジは大きく頷く。
「アガルタ軍がこの町においでになるのでしたら、我らは歓迎申し上げます」
「このアルレにはこれだけの城壁を備えている。我らネルフフ軍五千と、アガルタ軍を合わせれば、それなりの戦いができるだろう。我らには兵糧は十分にあります。いかがでしょうか」
フィレットはそう言ったものの、アガルタがアルレの町に入る動きを見せたならば、デウスローダ軍は黙ってはいないと考えていた。おそらく、アガルタが動けば、敵は攻撃に移るだろう。アガルタをアルレに入れるためには、ネルフフ軍が盾になることも彼女は考えていた。だが、リノスの返答は、彼女の予想を大きく超えるものだった。
「そうですね……。その提案は、選択肢の一つとして考えておきましょう。ただ……ここは、あの王様にキツイお灸を据えるべきだと俺は思います。こう言っては失礼だが、あの程度の軍勢ならば、俺たち五千の軍勢でも、何とか勝てそうな気がするのです」
「ま……まさか、アガルタ軍単独で、デウスローダ軍三万に対峙しようと言われるのか……。いや、それは、自殺行為だ。ここは、我らと共闘されるのがよろしいかと思うが……」
「共闘、か。いい言葉だ」
マトカルがニコリと微笑む。フィレットは正直に言って、このマトカルの笑みの意味がわからなかった。
「リノス様、機会が来れば、ネルフフ軍にも参戦してもらうというのは、どうだろうか」
「ああ、もちろんだ。そのときは、合図を出すことにしよう。ただ、デウスローダがアガルタだけでなく、同時にアルレの町も攻撃した場合、その火の粉は自分たちで払ってもらう必要がある。それは、問題ないですね?」
「そ……それは、覚悟の上だ」
「可能性として、デウスローダ軍が全軍でアルレに総攻撃をかけることはないと考えていますが、別動隊が町を襲う可能性は低くないと考えています。ネルフフ軍においては、敵の動きから目を離さないようにしていただくのと、町の治安の維持に全力を挙げていただきたいと思います」
「し……承知した」
「ではマト、アガルタの陣に帰ろうか。俺たちがいない間にデウスローダの攻撃が始まってしまっては、俺たちは帰る場所が無くなってしまう」
「そんなに性急に攻撃を仕掛けて来るとは思えないが、早く帰るに越したことはない」
「では、俺たちはここで失礼します。後ほど、使者を遣わします」
そう言ってリノスとマトカルは足早に城壁を下っていった。
「じ……自軍の敗北など、微塵も考えていないように見受けられましたが……」
アワジは誰に言うともなく呟いた。その言葉に、フィレットは大きなため息をついた。彼女も、根拠はまるでなかったが、アガルタ軍がデウスローダ軍を打ち破るような気がして、ならなかった……。