第九百七話 気持ちはわかる
ゆっくりとソレイユに視線を向ける。表情に変わりはない。だが、雰囲気が変わっている。いや、むしろ、怖い……。
確かに、見方によっては、ソレイユはふくよかな印象を与えるかもしれない。ただそれは、着ている服が悪いのだ。今の彼女は、貫頭衣のような服を着ている。大きな乳房と大きなお尻……。だが、ちゃんと腰はくびれているのだ。いわゆる、ボンキュッボンの体型をちゃんと維持し続けている。ただ、衣装のせいで太って見えてしまうのだ。
ただ、よく見れば、この女性はそうではないことくらいはすぐにわかる。そういう意味で、このベリアルはデリカシーがないと同時に、注意力も散漫であると言える。これでは、女子に嫌われるべくして嫌われているようなものだ。
ソレイユは笑みを浮かべたまま、ゆっくりとベリアルに近づいた。その瞬間、彼女の体から黄金色に輝く太い糸が幾筋も立ち昇り、そして、ベリアルの体に巻き付いた。ゆっくりとその体が浮き上がっていく。ギリギリと何とも言えぬ音が聞こえてきた。察するに、ゆっくりと彼の体を締め上げているようだ。
「グモモ……くっ、苦しい……」
「ごめんなさいね。最近、少し耳の調子がおかしくて……。さっきは、何て言ったのかしら?」
「グッ、グッ、グモモ……」
「何て言ったのよ!」
「……ゴメンナサイ」
ソレイユはフンと鼻を鳴らす。と同時に、ベリアルを縛っていた金色の糸が消えた。俺に背中を向けているので、ソレイユの表情は伺い知れないが、ベリアルが彼女から視線を大きく外しているところを見ると、俺の知らない程の、相当に怖い顔をしているのかもしれない。まあ、女子が怒ると怖いよね……。
ちなみに、だが、この件は屋敷に帰るとすぐに、ソレイユから他の妻たちを含めた家族全員に共有された。そして彼のイメージは最悪なものとして妻たち家族に認知されるに至った。まさしく、口は禍の元、の典型と言える。
話を元に戻す。
ソレイユは、もうこのベリアルに話をすることはないと言わんばかりに、あらぬ方向に視線を向けている。俺は落ち込んでいる彼に向けて口を開く。
「ま……まあ、さっきソレイユが言った通り、世界中を旅して、自分の知識と経験を深めていくのがいいと思うぞ。こう言っては何だが、今の君に対するペーリスのイメージはとても悪い。今、君がペーリスにアプローチしても、結果は推して知るべし、だ。彼女の君に対する悪いイメージが薄れるのを待たねばならない。世界中を廻る旅は、一年やそこらでできるものじゃないだろう。数年かけてそれをすれば、君の知識と経験も増えるし、ペーリスの君に対するイメージも和らぐ……。一石二鳥だと思うけれど、どうだろうか?」
ベリアルはわかったようなわからないような表情を浮かべている。
「まあ、これはあくまで提案、アドバイスだ。やるかやらないかは君の自由だ。ただ、こう言っては何だが、妻は、ソレイユは、それはそれは男性にモテる。それだけモテる人のアドバイスは、的を射たものだと思うぞ? だから、そうだな……。君も、モテる人のところを訪ねて、教えを乞うといい。教えを乞うのが難しければ、その様子を観察するといい。どんな言葉を使っているのか、どんな振る舞いをしているのかを、見て学べばいいんじゃないかな。俺の知る限り、この世で一番女性にモテているのはポセイドン王だが……。あの人は海の底にいるから行けないな……。まあ、モテるモテないは別として、多くの女性を虜にしているは、フラディメ王国のメインティア王だな。まあ、女性の好みはなかなか評価が分かれるかもしれないが、とはいえ、女性の視線を自分に向けさせて、向けさせ続ける腕前はなかなかのものだと俺は評価している。家来は単に我慢強いだけだという者も多いが、俺は評価している」
……何だかベリアルの意識が俺に向いてきているように思える。もう一押しすれば、ペーリスを諦めてくれる、か?
「あとは、これはあんまりお勧めしないが、出会った男性をすべからく惚れさせてしまう女性もいる。君も、出会ってしまうと心を奪われてしまう可能性があるので、繰り返しになるけれど、あまりお勧めはしないんだ。ただ、人の心を掴む、その意識を自分の方向に向ける、そして、向け続けることにかけては天才的な才能を持った女性だ。クリミアーナ教国の教皇をしているヴィエイユという女性だ」
「ヴ……ヴィエイユ……」
「そうだ、ヴィエイユだ。メインティア王もヴィエイユも、俺からの紹介だと言えば会ってくれるだろう。世界を放浪するなら、この二人を訪ねてみるといい。色々と勉強になることだろう」
「ぐっ、グモモ……」
「あ、ちなみに、もしヴィエイユを訪ねるなら、一つ覚えておくといい。あの娘は変態だ。見てくれで騙される可能性があるから伝えておく。あの小娘は、単なるスケベなことが大好きな変態だ。嘘だと思うなら、色々な人に聞いてみるといい」
「……」
「ま、やるかやらないかは、君の自由だ。選択権は君にある」
俺はそう言うと踵を返してソレイユに視線を向け、帰ろうかと促す。彼女はニコリと微笑むと、ゆっくりと頷いた。
俺はその場で転移結界を発動させる。ベリアルはじっと俺たちに視線を向け続けていた。俺は心の中で頑張れよと呟いた。
◆ ◆ ◆
「……で、そのお方はどうなさったのです?」
その夜、寝室でリコに報告する。彼女は心配そうな表情を浮かべている。
「これはあくまで俺の予想だけれど、彼は旅に出たんじゃないかな」
「まあ、そうですの……」
「だからもう、彼がペーリスに付きまとうことはないと思うよ」
「そのようなものかしら……」
「ああ。失恋の痛手を癒すには、新しい恋をするか、一切その人と会わないかが一番だ。時間が解決してくれるよ。そのうち彼も別の場所で新しい恋をして、別の人と家庭を築くんじゃないかな」
「まあ、まるで失恋をしたことのあるような言い方ですわ。リノスが失恋をしたお相手はどういうお方でして?」
……リコの目が怖い。ああ、地雷を踏みそうになっている。俺は慌てて口を開く。
「き、聞いた話だよ。メ……メインティア王の話だよ。ほら、あの王は、ね? いろいろな女性を口説いているから、フラれる、失恋することも多いんだよ。それに、その、あれですよ。ええ、あれです。あの、エリルお嬢様、エリルお嬢様も、そんなことを言っていらした。うん、そういうことなのですよ」
「……」
「ただ、今回の件で俺は自分の幸せを実感したよ」
「幸せ? 何ですの?」
「あのベリアルの彼が言っていたんだ。自分はただ、好きな人に好きだと言い、一緒にいたいただけだと。彼はペーリスと一緒にいることはおろか、好きとさえ言わせてもらえない。そう考えると俺は、好きな女性と一緒にいられるし、目の前にいるリコに好きだということもできる」
「ええ。私もリノスのことが好きですわ」
「好きな人から好きと言ってもらえるのは、本当に幸せなことだよ」
「でも、不思議ですわね」
「不思議? 何が?」
「どうしてリノスが、あのベリアルにそこまで力を貸すのか……。私はてっきり追い払うだけかと思っていましたら、彼に助言までして助けるとは思いませんでしたわ」
「まあね、最初は俺も追い払ったからなぁ。でも、彼の苦しみはわかる気がするんだ。好きな女性に好きだと伝えて、それが拒否されたときは、本当に落ち込むものだからね」
「まあ、それはいつ、どなたになさったのです?」
リコが顔を至近距離に近づけてきた。しまった、いらぬこと言ってしまった。俺はリコの目をじっと見つめたまま、口を開く。
「忘れた」
「え?」
「リコと結婚した瞬間に、それは忘れた。一番好きな人から好きだと言われると、そんなことは忘れてしまうものだよ」
俺は優しくリコを抱きしめた。心臓の鼓動が伝わってきた。これは俺のものか、それともリコのものか……。そんなことを考えながら、俺は彼女を抱きしめている腕に少し力を込めた……。
第二十七章これにて終了です。併せて、2023年最後の投稿となります。今年も大変お世話になりました。どうぞ皆さま、よいお年をお迎えください。
年明けから新章突入です。あ、もしかしたら、間話を数話挟むかもしれません。また、2024年もよろしくお願いします!