第九百六話 恋愛指南
確か、この辺はあのラースを母竜の許に帰した場所だ。懐かしいな。あのときのラースは可愛らしかった。その母竜に敵だとみなされて攻撃された場所が確か、あの辺りに……。あった。クレーターができている。すでにそこには緑が生い茂っているが、草原の中にいきなりでかいクレーターができているので、上空から改めて見てみると不自然だし、違和感しかない。それだけ、ママの力は凄まじかったということだ。
ふと視線を元に戻す。ママの攻撃程ではないが、森の一部がまるで大きな熊手で引っかかれたように抉られている。察するに、大勢のドラゴンが大挙してあの森に突撃したのだろう。木をなぎ倒し、さらには後ろから来た同胞たちに押される形で無理をして歩を進めたのだろう。ドラゴンの力の凄まじさと、ここまでせねばならんのかという、驚きと呆れる気持ちが一緒になった、何とも形容しがたい感情が胸の中に湧き上がった。
「あっ、あそこにいますよ」
ソレイユの声で我に帰る。見ると、ズタズタになった地面に黒い塊が見える。あれがあのベリアルなのか? 確か体表は黄色だったと記憶しているが……。
ソレイユはゆっくりと地上に降りていく。近づくにつれ、それは泥だらけになったベリアルであることがわかった。うつ伏せになった状態で、両手両足が折れているのだろう。手や足はそっちの方向には曲がらないだろうという方向にそれぞれが向いている。
「おい、大丈夫か?」
地面に降りたってすぐ、ベリアルの生死を確認する。苦しそうな表情を浮かべていて、俺の呼びかけにも反応を示さない。だが、口元に手をやると、かすかだが呼吸をしているのがわかった。どうやら生きているようだが、危険な状況であることはすぐに察しがついた。
回復魔法をかける。ベリアルの体が緑色の光に包まれる。この魔法では、あらぬ方向に向いている両手足はどのようにして治癒されるのか、少し興味をもって見ていたが、光が強くなり、目を開けていられない程になった。ようやく光が収まったときには、両手両足はもとに戻っていた。
このベリアルのこれまでの傾向と対策では、傷が治癒されると、すぐに起き上がり、元気いっぱいの姿を見せていたが、このときはさすがにすぐに起き上がっては来なかった。彼はゆっくりとした深呼吸を繰り返し、さも、疲れたと言わんばかりの様子だった。
「おい、大丈夫か?」
もう一度声をかける。ベリアルはゆっくりと目を開けた。
「……また、貴様、か」
まるで呻くように、力のない声で彼は答えた。そして、ゴロリと体勢を変えると、仰向けになった。
「……グモモ、死ぬかと、思った」
「まあ、俺の到着が遅れていれば、マジで死んでいただろうけどな」
「グモモ……」
「何があったのかは知らんが、ペーリスのことは諦めるんだな。そうだな……どこか遠いところがいいんじゃないか。失恋は俺も経験があるが、詰まるところこれは、時間が解決してくれるものだ。お前はいい経験をした。これで少し強くなるだろう。男たるもの、失恋の一つや二つ経験しておかないと、大きくなれないものだ。ベリアルにも女性はいるのだろう? なにもペーリスだけが女性じゃない。女性はたくさんいるんだ。その中からお前に合う……うん? どうした?」
ベリアルは両手で目を塞いでいる。先ほどまでとは打って変わって、はあはあと息を荒くしている。
「お前……もしかして……泣いているのか……」
このベリアルは泣いていた。声を殺して泣いていた。そんなにも、ペーリスのことが好きだったのか……。
「俺は……」
「え? 何か言ったかい?」
「俺はただ、好きな女性と一緒にいたいだけなのだ……。好きな女性に好きと言い、その人を幸せにして、一緒にいたいだけなのだ……」
「……」
かける言葉がなくて、絶句してしまう。気持ちはよくわかる。俺も前世の若い頃、そんな経験をしたことがある。同じことを思ったことがある。このベリアルを見ていると、あのときの俺と何だかリンクしてきてしまう。
だが、こう言っては何だが、俺も目から見ても、ペーリスの気持ちが彼に向くことはないと言えた。女子に一度でもキライだと認識されてしまうと、そこからリカバリーするのは至難の業だ。それは人間だけでなく、ベリアルの世界でも同じだろう。しかも彼は、ペーリスから嫌われている上に、キモイとさえ思われている。どう考えても、彼の思いが彼女に届くことはない。
思わずソレイユに視線を向ける。彼女はさも残念、と言わんばかりの表情を浮かべながら首をゆっくりと左右に振った。
ソレイユがベリアルに近づき、彼の傍で膝を折る形で座る。
「ペーリスさんのことを本当に愛しているのであれば、もっと自分を磨いて、魅力的な男性になってからいらっしゃい。今のままのあなたでは、ペーリスさんに嫌われるだけだわ」
「……魅力的な男? ……例えば?」
「今までのやり取りを見ていますと、あなたはこれまで、ずっとあなたの思いだけをペーリスさんに伝えていたでしょ? 結婚してくれ、一緒に来るんだ……。あなたはそれで満たされるかもしれませんが、それでは、ペーリスさんの望むものは、何も満たされていないわ」
「ペーリスの望むもの? 何だ?」
ベリアルがムクリと上半身を起こしてソレイユを睨みつけた。だが、彼女はいささかも怯むことなく、さらに言葉を続ける。
「知識と教養、かしら」
「知識と教養ぉ? そんなものはすでに俺は身に付けている。これでもベリアル族の中では……」
「料理はできるの?」
「料理ィ? なんだそれは」
「ペーリスさんは色々な食材を探してきて、煮たり焼いたりして食材の味を引き出し、さらにそこに調味料を加えて美味しく仕上げて皆に振舞うのが好きなお方です。そうして、自分が作った料理を美味しいと食べてくれることに喜びを感じているのです。あなたは、自分で料理をなさらないのでしょ? それでは、ペーリスさんと話が合わないわ。彼女の望む知識や教養を身に付けているとは言えないわ」
「ぐっ……グモモー」
「本当にペーリスさんと一緒になりたいのなら、ペーリスさんの心を自分の方向に向けたければ、世界中を旅してらっしゃいな。そして、世界中のあらゆる料理を食べ、その料理方法を身に付けてくるのです。そうすれば、ペーリスさんの気持ちは、少しはあなたに向くと思うわよ」
そこまで言うとソレイユは、ふう、とため息をつき、まるで諭すように言葉を続ける。
「人族であれ、ベリアルであれ、サイリュースであれ、知性のある生き物の女性は、優秀な雄を好むのです。女性は子を宿し、子孫を残すことができます。その子供には、優秀な能力をもって生まれてきて欲しいと願うものだわ。その優秀さというのは何で見分けると思う? それは、自分が望むものを提供してくれるかどうかという点だわ。そして……女性たちから好かれる男性を好むわ。私がリノス様に惹かれたのも、私が望むものを提供してくれる人だったのと同時に、とても優秀な女性たちから好かれていたからなの。あなたは優秀? そして、他のベリアルの女性から好かれているのかしら?」
「優秀だ! 優秀なベリアルに決まっているだろう! そして、女性にも……すっ、すっ、好かれ……好かれて……いる。いや、むしろ、女は……」
「だったら、あとは、世界中を廻って来るだけね? アナタは優秀な雄なのでしょう? さっき自分でそう言っていたわよね? だったら、私の話は、わかるわよね?」
「グモモ……。わっ、わっ、わっ、わかった……」
ベリアルがたじたじになっている。ソレイユが少し、怖い……。
ふと、ベリアルと目が合った。彼はソレイユを指さしながら、少し怒気を込めた声で話しかけてきた。
「この女は、お前の妻か!」
「ああ。そうだが」
「こんな女とよく一緒にいられるな! それに、どうしてお前は、こんな太った女と一緒にいるのだ!」
……おい、それ、言っちゃいけないセリフだぞ?