第九百二話 追放、ふたたび
帝都の屋敷に帰ってくると、ハーピーたちが集まっていた。ひときわ大きなジェネハを中心に、数十羽のハーピーが円を描くようにして集まっている。これだけのハーピーが揃うのは久しぶりで、何とも壮観な光景だ。
近づいてみるが、誰も俺の存在に気づかない。気づいているのだろうが、俺に構っている暇などないという感じだ。軽く殺気のようなものが流れている。
一体何を囲んでいるのか。大体の察しはつく。俺の結界に異物が紛れ込んでいる気配を感じた。この気配は、アウバウトとかいうペーリスのストーカーのものだ。
一瞬、俺の結界が破られたのかと思ったが、感覚的にはいきなり中に入ってきたという感じだ。これは初めて覚える感覚だった。
あのベリアルが帝都の屋敷に突然やって来たのだ。ペーリスの身に危険が及ぶのはもちろん、屋敷にいるリコや子供たちも危ないと直感的に感じた俺は、慌てて執務室からアガルタに転移したというわけだ。
「おかえりなさいませ」
ソレイユが柔和な笑みを浮かべながら近づいてきた。その後ろにはアリリアも付いてきている。彼女の体からは金色の細い紐のようなものが漂っている。これは、神龍様の力を開放している証拠だ。
「リノス様も危機を察知して戻られたのですね。でも、大丈夫です。ジェネハたちが見事に抑えてくれました」
彼女は俺の背後に廻ると、後ろから俺を抱きしめて、そのまま上空に舞い上がった。アリリアが下から何かを言ってきている。お父さんだけズルい、とか何とか言っているのだろう。
ジェネハを中心に、パーピーたちがきれいな円陣を作っている。その中心には……。いた。あのベリアルだ。
不思議なことにベリアルは正座をして項垂れていた。その彼にジェネハが何やら話しかけている。彼の左右からは別のハーピーたちが、その顔を覗き込むようにして睨みつけている。
「……黙ってねぇで、何とか言ったらどうだ、コラ」
「……いいえ。別に、そんなことは」
「そんなことはって、何だよ」
「いえ……いきなり……ここに……」
「あ? いきなり何だ? もう来るなって言っただろ?」
「いや、別に、来るつもりは……」
「あのときのヤキの味が忘れられなくて、リクエストに来たのか?」
「いいえ、別に……あれ~おかしいな……」
俺はそこまで言うと、後ろを振り返った。
「……って感じの会話が交わされているのかな?」
「ウフフ。当たらずとも遠からずといったところではないでしょうか」
ソレイユはそう言って笑みを浮かべる。
ゆっくりと地上に降りてくる。リコとペーリスは屋敷の中にいるという。中に入ると、リコがファルコを、ペーリスがセイサムを抱っこしながら二人で何やら会話を交わしていた。
「あ、リノス様」
俺に気づいたペーリスが子供を抱っこしながらこちらに向かってきた。ソレイユがセイサムを抱きとってあやしている。ペーリスは泣きそうな顔をしながら、俺に向かってペコリと頭を下げた。
「別にペーリスが謝る必要はありませんわ」
リコが呆れた表情を浮かべながら口を開く。彼女は俺とペーリスに交互に視線を向けながら、言葉を続ける。
「あのお方を故意に連れてきた訳ではないそうですわ。偶然が重なってこの屋敷に来てしまったということで、不可抗力ですわ」
聞けば、ロウサナとかいう小さな町であの男に出会ったのだと言う。驚いて転移結界を発動させたら、ヤツも一緒に付いてきてしまったとのことだ。ということは、俺の張った転移結界に触れていれば一緒に転移できてしまうことになる。これは俺のミスだ。結界の張り方が甘かったという外はない。逆に、結界と言う魔法にはそういう効果もあることがわかって、とても勉強にはなった。今回は結界石でこのような現象が起こったということは、転移結界に乗る際も、その人の体に触れていれば転移できてしまうことになる。では、そうならないためには、どのようにするのか……。
色々と頭の中で考えていると、ハーピーの鳴き声が聞こえてきた。外に出てみると、数十羽のハーピーたちが飛び立つところだった。ちょっとした暴風が吹き荒れる。ふと見ると、側にアリリアが立っていた。彼女は俺たちに視線を向けると、みんな行っちゃったよ、と言って屋敷に入っていった。彼女からは一体何が起きているのかはわからなかったようで、珍しくジェネハを中心にハーピーたちが集まっているのを何事かとワクワクしながら見ていたところに、突然皆が飛び立ってしまってつまらない、という感じだ。
先ほどまでの緊張感は一切なくなっていた。むろん、あのベリアルの姿も、そこにはなかった。
◆ ◆ ◆
それは突然の出来事だった。アウバウトが屋敷に踏み込もうとしたそのとき、目の前が真っ暗になった。一体何事だと周囲を見廻すと、巨大なハーピーが自分を踏みつけていた。一体何なのだと考える暇もなく、気がつけば数十羽のハーピーたちに囲まれてしまっていた。
到底勝てる相手ではなかった。ハーピー一羽ならば、それなりのダメージは負うだろうが、勝つ自信はあった。だが、これだけの数のハーピーを相手に戦うのは自殺行為であった。しかも、自分を足の下に敷いている巨大なハーピーから発せられる禍々しい雰囲気が半端ではない。アウバウトは直感的に、この化け物に殺されると感じた。
どうやら彼女らは、前回と同様、アウバウトが森の中の巣を攻撃しに来たと思ったらしい。彼は必死になってその意思はないと伝え続けたが、言えば言うほど、踏みつけている足に力が入った。
もうこれ以上は踏みつぶされてしまう……。骨がギシギシと不気味な音を立てて軋んでいる。体が震えてきた。おそらく骨が折れる一歩手前まで来ているのだろう。凄まじい痛みが走っている。声すら出すことができない。
「では、何をしに来た」
巨大なハーピーが話しかけてきた。アウバウトは必死に声を振り絞りながら、ペーリスを嫁にするために来たのだと伝えた。
「妾も聞いておったが、ペーリスはお前の嫁にはならぬと言っておったではないか。にもかかわらず、なぜやって来た」
それは自分が聞きたいことだった。別に来たくて来たわけではない。突然この場所に来てしまったのだ。
巨大なハーピーがようやく足をどかせてくれた。体が自由にはなったが、周囲には立錐の地もなくハーピーたちで埋め尽くされている。彼は足を折る形で座る他はなかった。その直後から、ハーピーたちの質問攻めに晒された。
「そなたはリノスが遥か彼方まで飛ばしたはずじゃ。にもかかわらず舞い戻って来おるとは、不埒者めっ!」
今度こそ殺されるとアウバウトは思った。そのとき、ふっと彼の体が軽くなった。ゆっくりと目を開けてみると、彼は空を飛んでいた。
一体どうしたことか、と訝ってみる。だが、その直後に全身に斬られるような痛みを覚える。見ると、巨大な爪が体にめり込んでいた。見上げると、自分を踏みつけていた巨大なハーピーがその足でアウバウトの体を掴んで空に舞い上がっていた。
一体何をするつもりだと心の中で思う、かなり締め付けられているので声が出ない。何度見てもこのハーピーから発せられる禍々しい雰囲気に体がすくむ。思わず地上に視線を向けると、屋敷の傍にペーリスの姿が見えた。心配そうな表情でじっとこちらに視線を向けている。
……やはり、俺は、何としても、あのペーリスを嫁にするのだ!
ハーピーはその巨大な翼を大きくはためかせた。その瞬間、恐ろしい速度で飛行を始めた。一瞬にして風景が変わる。
「……そうじゃ。ジュカ山には多くのドラゴンが生息しておる。お前をそのエサにしてやろうほどに」
ドラゴン、と聞いて、ついこの間仔竜に襲われたことを思い出す。多くのドラゴンということは、今度はあんな仔竜単体との戦いではないということだ。アウバウトは吐きそうになった。
そんなアウバウトの心境など知ったことではないと言わんばかりに、ハーピーの翼は見る間に大きな山に近づいていった……。