第八百九十六話 お帰り下さい
……イヤイヤ、キレてはいけない。彼はかわいそうな男なのだ。つい今しがたも、ハーピーたちにフルボッコにされたところだ。それに、彼は気付いているのかどうかは知らないが、馬小屋の方から殺気が流れてきている。言うまでもなくジェネハだ。ハーピーたちに抵抗らしい抵抗もしなかったお蔭で、彼は彼女からの攻撃を受けずに済んでいる。もし、ハーピーの一人でも傷つけていたならば、間違いなくジェネハに八つ裂きにされていただろう。ある意味で、その弱さが彼の命を助けていると言える。
そんな俺の心情など知ったことはないとばかりに、彼は怒りを俺たちにぶちまけてきた。よく見ると、体が赤くなってきている。
「大体、お前たちは何なのだ! 俺とペーリスの間に割って入ってきて、ゴチャゴチャと!」
「ペーリスは私たちの屋敷で暮らしているのですわ」
「その通りだ。俺たちは言わば、ペーリスの親代わりだ」
「何ッ! ペーリスの父親は、先代のベリアル王だ! お前たちではない! 嘘を言うな!」
「……人の話を聞けないのか。だから、親代わりと言っているんだ。先代のベリアル王が亡くなった後、ペーリスは俺たちの屋敷で暮らしているんだ。彼女は俺たちの家族も同然だ」
俺の言葉に、ペーリスは大きく頷く。
「ならば、お前を倒せばペーリスは俺の嫁になる、そういうわけだな?」
「何で話がそうなるんだ?」
「あなたじゃ絶対にリノス様には勝てないと思いますっ!」
……いらんことを言うな、ペーリス。ほら見ろ、彼の体がさらに赤くなってきているじゃないか。
「人族などに俺が負けるわけはないだろう!」
ベリアルはそう言うと、右手に魔力を集中し始めた。こんなものをぶっ放されては、こちらが大いに迷惑をする。俺は素早く彼に結界を張った。
「グモッ? グモモモモっ? な……体が……」
「すまないがお前には結界を張らせてもらった。神級の結界だ。破ることはできない」
「グモッ! グモッ! グモッ!」
ベリアルは必死に抵抗を試みている。どうやら頭突きで結界を破ろうとしているが、体が全く動かせないためにそれもできていない。というより、先ほどの攻撃を見ている限り、それが可能になったとしても、おそらく気絶するまで頭をぶつけ続けるのだろう。となれば、結構重大な怪我を負うなどして後々面倒なことになる可能性がある。まあ、しばらくはこのままでいてもらって、体力が尽きた頃にお引き取りを願おうか、そんなことを考えていたとき、俺のすぐ近くに巨大な戦闘力を持った者が現れた。
「どうやら苦戦しているようだな。助けてやろうか?」
「……これのどこが苦戦をしているように見えるんだ? あ、ベリアルが苦戦しているということか、龍王?」
「ウワッハッハッハッハ。強がりを言うな。素直に我に助けを求めるのだ。お前が敵う相手ではない」
「おい、どこを見て行っているんだ? 目の前のベリアルは完封しているじゃないか。まさか、このベリアルの手助けをすると言っているんじゃないだろうな?」
「ワッハッハッハ。何をわけのわからんこと言っているのだ。先ほどからお前に話しかけているのだ。さあ、我に助けを求めるのだ」
「結構です」
「……」
「どうぞ引き取っておくれやす」
「ワッハッハ。強情なヤツめ。仕方がない。我が手助けをしてやろう」
「いや、だからいらないって。どうして今日はこうもバカな奴らが揃うんだ?」
龍王は俺の嘆きなど知ったことはないとばかりに、ベリアルに近づいていく。そのベリアルは龍王に対し、憤怒の表情を浮かべながら睨みつけている。
「うん? ……貴様、このベリアルに結界を張っているな? 戦うのに邪魔ではないか! 我の邪魔をするな!」
「いや、だから、必要ないんだって龍王。お前は早く帰れよ」
「ワッハッハ。遠慮するには及ばん」
「……どうしてこうも話がわからないんだ」
龍王がここまでこだわる理由はわかっている。アリリアにかけた結界を解除して欲しいのだ。
今、彼女には龍王が触れた瞬間に高圧の電流が流れる効果を付与している。汚い手で娘に触らせたくないという理由ももちろんあるが、結界を付与している最大の理由は、このバカ龍はアリリアを背中に乗せて空を飛ぼうとしたのだ。いや別に、空を飛ぶくらいなら問題はないのだが、コイツは力加減と言うのを知らない。全速力で空を飛ぼうとした。そんなことをされた日には、アリリアは空に投げ出されてしまう。となると、アリリアは……。考えただけでも恐ろしい。
実はそうした事件がついこの間あったばかりなのだ。幸い、ソレイユが気がついて空中でアリリアをキャッチしてくれて事なきを得たが、ヘタをすると娘は死ぬ可能性すらあった。
まあ、空を飛べとお願いしたのはアリリアなのだが、とはいえ、幼い子供を乗せて全力で飛ぼうとした方もした方であるということで、こんなことが二度と起きないようにと、腕によりをかけて結界を張ったというわけだ。今の俺にはこの結界は破られない自信がある。
「グモモー。グモモー。さっきから何なのだお前は! いいだろう、相手になってやる! かかって来い!」
「ウワッハッハッハ」
ベリアルは俺の張った結界の中でイキり倒している。片や龍王は絶対の自信があるのだろう。腕を組みながら首を傾けている。
……リコが俺を見つめている。何とかこの場を治めて欲しいと言っているようだ。わかっている。任せなさい。
「じゃあ、結界を解くぞ。……ファイっ!」
「グモォ!」
ベリアルが右手に魔力を集中させる。彼の攻撃パターンはこれしかないのだろうか。そんなことはいい。問題は龍王だが……。
「ウワッハッハッハ」
彼はスッと右手の人差し指を天に向けた。その瞬間、ベリアルの右腕が宙を舞った。
「グモッ!? グモォォォォォ!」
腕が飛んだ瞬間は痛みがないが、後から激痛が襲ってくるというやつだ。だんだん声が小さくなっていく。あまりの激痛に声が出ないのだ。そうそう、エリルと剣の修行をし始めた頃がこんな感じだった。頭に衝撃を受けて蹲った後から激痛が襲ってくるのだ。本当の痛みというのは、声すらも出ないものなのだ。
勝負は一瞬にしてついた。だが龍王はそれで満足しなかった。彼は天に向けた人差し指に魔力を集中し始めた。
「龍王それまで」
「……なぜ邪魔をする」
「もう勝負はついた。そのくらいにしておいてやれ」
「ウワッハッハッハ。貴様らしくない物言いだな。まあ、いいだろう。では……」
「もう十分だろう。そのまま帰ってくれ」
「なっ! 我はお前を助けてやったのだ。相応の礼というのを……」
「アリリアに言いつけられたくなかったら、このまま帰るんだな。これ以上何か言うのであれば、アリリアに、りゅーおーくんが乱暴なことをしましたと言うが、それでもいいのか。確か言われていたよな? 乱暴はダメよって」
「……」
「さ、今日のところは大人しく帰れ」
龍王は不敵な笑みを浮かべたままその場から消えた。その瞬間、一気に緊張感が緩んでいくのを肌で感じた。やはりアイツの雰囲気が禍々しすぎるのだ。
俺は腕を押さえながら蹲っているベリアルに近づくと、LV5の回復魔法をかけてやる。見る見るうちに欠損した腕が再生されていく。
「……」
一体何が起こったのかがわからないと言った様子で彼は固まっている。再生された腕の動きを確かめるように、拳を握ったり開いたりしている。
「さ、お前も今日のところは帰りな」
「グモモー!」
突然大声と共にベリアルが立ち上がった。
「この俺の鍛え上げた体は腕をも……」
「エアバズーカ」
俺は右手に魔力を集中させると、凝縮した風魔法を発動させた。ベリアルは一瞬で空の彼方に消えていった。
「……さ、夕食にしようか」
そう言ってリコたちに視線を向ける。だが彼女たちはポカンとした表情で俺を眺め続けていた……。




