第八百九十二話 再現された!
公王はピアを片手に抱いたまま、部屋の隅に向かって歩き出す。その先には小さなテーブルが置かれ、布がかぶせてあった。昨日にはなかった物だ。
「ピアが来ると聞いてな、じいじが腕によりをかけて作ったのだ」
そう言って彼はゆっくりと布を取る。そこに置かれていたのは、一匹の蛇だった。
……ロカーシナスという毒蛇だ。割合獰猛な性格で、己の縄張りに入って来る者を見境なく攻撃する。そのために、年に数人はこの蛇に襲われて命を落とす者がいる位だ。しかも、その毒は致死性が極めて高く、血清はあるにはあるが、噛まれてから三十分以内にそれを投与しないと死に至る。呼吸ができなくなるからだ。その精巧に作られたロカーシナスがとぐろを巻いてテーブルの上に佇んでいた。
ピアトリスは目の前に置かれているものが何であるのかがわからないのか、しばらくの間、彼女は目を点にしていたが、やがてそれが蛇であることがわかると、火が付いたように泣き出した。
「いやぁぁぁぁぁ~うわぁぁぁぁぁぁぁ~」
「おっ、なっ、ピア、どうしたのだ。どうしたのだ……」
孫がどうして泣いているのかがわからず、公王が狼狽える。普段、雄々しく振舞う王がこれほどまでの狼狽ぶりを見せるのは極めて珍しいと言えた。一方で、宰相ユーリは冷静にその状況を眺めていた。
……一体、公王様は何を考えておいでなのか。まだ年端もいかない幼子に蛇とは、どのような思考回路を通ったらそのような答えが導き出せるのだろうか。しかも、姫様は女性なのだ。蛇を好む女性の割合は、ドワーフ族の中でも一割にも満たない。これは大いなる選択のミスだ。公王様としたことが、何たる不手際。これで姫様の愛情は大いに失われることになるに違いない。
宰相の考えは正しかった。ピアは両手を突き出して、必死になって彼に助けを求めた。
「りーり! りーり!」
「はいはい、こちらにおいでなさいませ。……おお、姫様、随分重たくなられました~。偉ろうございます。素晴らしゅうございます。賢ぅございます」
ユーリはピアを抱きとると、そう言って笑顔を見せた。彼の腕の中が心地よいのか、安心したのか、彼女はピタリと泣き止んだ。だが、余ほど怖かったのか、まだしゃくりあげながら、肩を上下させている。そんな様子を公王は、まだ狼狽えながら眺めている。
「一体どうしたのだ、ピアは。どうして泣くのだ」
「お言葉ですが公王様、そのようなものを突然見せられては、誰でも多かれ少なかれ、こうした反応になるかと存じます」
「何を言うか! ロカーシナスだぞ! 鉄でロカーシナスを作り上げたのだぞ! 普通は目を見張るものではないのか。見ろ、この精巧さを。この動き……。口もちゃんと動く。あの特殊な牙の形も見事に再現されておる。これができるのは、儂しかおるまいて……」
「要は、公王様は自らの技術力を見せたいだけだった、というわけでございますね?」
「なっ……どういう意味だ!」
「姫様をご覧ください。怯えていらっしゃいます。つまりは、姫様の気に入るものではないと言うことでございます」
「ううっ。し、しかしだな。コンシディーがピアと同じ頃は、こうしたものを喜んでおったではないか」
「あのお方は……。確かに、蛇や鷹といったものをお好みでしたね。ただ、大姫様は少し変わっていらっしゃいましたからね。姫様と一緒にしてはなりません」
「で、では、何がよいのだ!」
「もっとかわいらしいものでないと、いけないのではないでしょうか」
「かわいらしいもの?」
「姫様は、どのようなものがお望みでしょうか。このりーりにお聞かせくださいませ」
ピアはしばらくの間何かを考えていたが、やがて飛びっきりの笑みを浮かべると、元気な声で口を開く。
「ふぇあり!」
「フェアリ? ああ……姫様のお屋敷で飼っておいでのファアリードラゴンでございますね? よろしゅうございます。では、近いうちに、フェアリを拵えて姫様のお手元に届けて御覧に入れましょう」
「わーい!」
「おい、そのふぇあり、とは何だ!」
「アガルタ王様が飼っておいでのドラゴンでございます」
「何、ドラゴン? ドラゴンが好みなのか。それを早く言わんか。うむ、ドラゴンだな。それは儂が作ろう。そうだな……半年もあれば、雄々しいドラゴンを拵えられるだろう。儂の生涯の中でも最も大作となるであろうな」
「お待ちください。まさか、本物のドラゴンを作ろうとなさっているわけではありませんよね?」
「知れたことだ! ドラゴンの中でも最も大きいレッドドラゴンを作ってみるつもりだ! おお、で、あれば、レッドドラゴンを捕らえに行かねば。うむむ……。あのドラゴンを生きたまま捕らえるとなると、相当に骨が折れるな。討伐隊を組織して……」
「お待ちください、お待ちください公王様。姫様が求めておいでなのは、そのような雄々しいものではございません。先ほどから申し上げているように、もっとかわいらしいものでございます」
「ぬぅぅぅぅ」
「公王様はフェアリードラゴンをご覧になったことがないので、作ることはできませんね。それは……アガルタに居るナンブツやリンショックたちに作らせましょうか。公王様と比べると技術力は劣りますが、本物そっくりに仕上げることくらいはできるでしょう」
「なっ、ならば、儂は蝶を作ろうではないか!」
「蝶?」
「かわいい物がよいのであろうが! ならば女子たちが好む蝶を儂が作る。任せておけ、優雅に飛ぶ蝶を作って見せようではないか」
……まさか本当に飛ぶ蝶を鉄で作る気ではないでしょうね、という言葉を飲み込む。公王の様子はそれほどの勢いがあった。まさかそんなことはできはしまいが、もし出来たら、色んな意味で面白いことになるな、とユーリは心の中で呟いた。
ピアの機嫌も直り、しばらく公王の部屋で遊んだ彼女は、退室する際に元気な声で挨拶をする。
「ぴあ、もう、ひとりでこれる!」
「おおそうか! もう一人でこの部屋に来られるのか! 偉い、偉いぞピアは。宰相、次回からはそなたが案内するには及ばぬ。ピア一人で来させるのだ」
公王はそう言って笑みを浮かべた。
部屋から出ると再びユーリはピアの手を取って母の部屋まで連れて行く。意外にも早く、その時が来てしまった。もう次からはこうして手を引いて案内することはないのだろう。彼はピアトリスとの最後のひと時を、一分一秒でも長く伸ばしたいと考えたが、二人はすぐに部屋に着いてしまった。
「かぁたーん」
ピアはユーリの手からするりと抜け出して、コンシディーに抱き着いた。彼はしばらくの間、手に残る温もりを感じながら、その場に立ち尽くした。
◆ ◆ ◆
それから長い時間が経った。ニザ公国の宮殿ではその日、公国で最も権威のある勲章である、タオカ勲章の授与式が行われた。勲章を授与されたのは、ユーリだった。彼は長年の功績を讃えられて、その勲章を贈られることになったのだ。
そのときの彼はすでに老境に達しており、一人で歩行もままならなかった。そんな彼に公王は杖を使うことを許したが、生真面目な彼はそれを断り、不自由さを押して、歩いて王の前まで進み出た。
四股に全力を込めて一歩ずつ進む彼……。そのとき、彼の傍に人影が見えた。そこには見目麗しい美女が、彼に向かって手を差し出していた。
「ひ……姫様!?」
それはピアトリスだった。美しく成長し、すでに嫁いでいる彼女が目の前にいた。信じられないことであった。彼女は皇后として国の職務に忙殺されているはずだった。その方がニザ公国にいることは、あり得ないことだった。
「あなたがタオカ勲章を受けると聞いて、いても立っていられずにやってきました。さ、一緒に行きましょう」
「姫様……そのような……」
「いいのよ。子供の頃、よくあなたには手を引いてもらったじゃない。今度は私の番よ。さ、行きましょう、りーり」
彼は震えながら手を差し出した。ピアトリスはその手をやさしく握った。その手は、あの時と同じとても優しい温かさを持っていた。
「ううっ、グスッ」
ユーリは泣きながら歩を進める。勿体ない、畏れ多い、嬉しい……いろいろな感情が渦巻いていた。その一方で、彼の脳裏には、幼い頃に手を引いていたあの姫様との思い出が鮮やかに蘇っていた。まさかそれが再現されるとは、彼自身も思ってみないことだった。
……生きていて、本当によかった。
彼は心の中で、そう呟いていた……。




