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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
間 話 タルカト王国のその後
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第八百九十話  復讐

サミが癌を発症したのはおよそ、一年前と考えられた。恐らくその頃から体の不調を感じてはいたが、彼女は持ち前の我慢強さを発揮して、その症状を隠し通していたと考えられた。


だが、病が進むにつれて、それは難しくなった。いよいよ我慢の限界が近づいたとき、彼女に寄り添ったのがあの、カワバだった。


カワバはサミにコヨウという薬を与えた。いわゆる鎮静剤の一種であり、強い鎮静作用がある代わりに、その依存性も高く、処方するにはかなりの注意を要する薬だった。メイの所属するアガルタ大学においても、この薬はごく一部の医師にしか扱うことは許されず、それは厳重に保管されていた。しかも、そのためには学長たるメイの許可が必要とされている薬だった。


遺体を検分してメイたちは、サミの命を縮めたのは、このコヨウの過剰摂取が原因であると断じた。カワバは通常処方するおよそ十倍のコヨウをサミに与えていた。ただでさえ弱った体に、そのような強い薬を与えられては、サミの体が耐えられるわけはなかったのだ。


「つ……つまりは、余が、サミを、あのカワバに預けたのがすべての間違いであったと言うのか! カワバになどに預けず、メイリアス殿に診せていれば、サミは……」


カルッツェはそう言って溢れ出る涙を何度も拭った。


彼はすぐさまカワバを牢に繋ぎ、彼女を厳しく取り調べた。だが、カワバは、姫様のお苦しみを取り除きたかっただけで、薬が命を縮めるようなものであるとは知らなかったと言い切った。自身が所有しているコヨウは、片頭痛を和らげるためにダオラ帝国から取り寄せたもので、姫様の命を奪うつもりは毛頭なかったと言って胸を張った。


しかし、コヨウの薬の強さは、それを服用するものは大抵、その依存性の高さを知っているものであって、サミの乳母を勤めたカワバ程の者であれば、それを知らぬはずはなかった。彼女は折に触れて、いかに自分がサミを手塩にかけて育てたのかを周囲の者に語っていた。そこでは、まだ乳飲み子であった彼女を病気にせぬように、食べるものにも細心の注意を払っていたことを自慢げに語っていたのだった。そこからは、食べ物に関して相当の知識を備えていることは明白であった。そのカワバが、コヨウの薬の効能を知らないとは理屈に合わないことであった。


さらには、カルッツェとサミの寝室からは、サミが記した日記が見つかっていた。それは毎日付けられたものではなく、彼女が気が向いたときにつけられた、ある意味ではメモ書きのようなものであった。そこには子供のことを気遣う内容や、カルッツェからの頼まれごとに関することなど、多岐に渡る内容が記されていた。その中には、カワバとの関係に苦悩する内容も描かれていた。


カワバは子供たちに惜しみなく金を使っていた。必要ないであろうと思われる物にまで金を使っていた。さすがにそれを見咎めたサミに対して、カワバは何も反論しなかったが、それは、子供たちを通じてこのタルカト王国の財政をひっ迫させる狙いがあると彼女は見抜いていた。日記の中で彼女はカワバを「哀れな婆」と切って捨てていた。


確かに、嫁いだ当初のタルカトの財政状況は芳しいものではなかった。だが、今やタルカト王国は周辺国の中でも一頭図抜けた存在であり、その財政規模はサミが嫁いできたときよりも、飛躍的に増大していたのだ。


カワバが弄した策は、タルカト王国には何の影響も与えていなかった。


彼女はあくまで父・ガノブへの忠誠を貫き通し続けていた。それはある意味では美談ではあるが、目の前の現実と鑑みると、それは相容れないものであった。


サミはカワバが異常なまでに子供たちを可愛がる理由を見抜いていた。カワバは子供たちを通して、サミの心を掴もう、もう一度自分の許に取り戻そうとしていたのだ。サミとしても、カワバのことは嫌いではない。幼い頃から自分を育ててくれた、言わば育ての母だ。だが、聡明なサミは、カワバの意図を完全に把握していた。自分の心を取り戻して、父・ガノブの命令を共に遂行――タルカト王国の弱体化――させようとしているのだ。だが、よしんば彼女がそれをしたところで、タルカト王国の屋台骨が揺らぐことはまずないと言ってよかった。


それに、子供たちはカワバに懐いているが、一方で父であるカルッツェも尊敬していることをカワバはわかっていないと記されていた。例え彼女がいかにしようとも、子供たちはカルッツェの命令が下れば、易々と彼女の許を離れるのだ。それがわかっていないカワバは、己の状況が見えていない哀れな老婆だと彼女は断じていた。


日記を一読したあと、カルッツェは大きなため息をついた。そこまで見抜いていながら、妻は、サミはどうしてカワバにその世話を任せたのだろうか。単に体調を崩して心が弱っていたというわけではあるまい。もしかして、彼女はカワバに今、置かれている状況を理解させるために敢えてカワバに世話を任せたのではないか。あのサミならやりかねないことだ。


……まずは、カワバにもう一度話を聞いてみよう。


そう思い、二人の部屋を出ると、家来が血相を変えて走ってきた。彼は早口でカワバが牢で舌を噛み切って死んだことを告げた。


そこは凄まじい状況だった。牢の床は血に染まっていたが、何より不気味であったのは、壁に血で文字が殴り書きをされていたことだ。カワバは舌を噛み切って死ぬ間に、溢れ出る血を自らの手に塗りたくり、壁に文字をかいたのだ。そこには、こんな言葉が書かれていた。


「ようやく娘を取り戻した」


おそらく、サミを取り戻したいがために、カワバはサミに過剰に薬を与えたのだ。それは、毒を盛ったと等しい行為であった。


吐き気と憤怒の感情が同時に湧き上がってきた。カルッツェは踵を返すと、足早にその場を後にした。


ふと、目の前に樽が積まれているのが見えた。あれは何かと尋ねると、中には酒が入っているという答えが返ってきた。


「カワバの死体を、あの酒樽の中に入れて埋めよ」


「は?」


「山の中に埋めてしまえ」


そう言ってカルッツェは踵を返した。


しばらくすると、カルッツェの住む王宮に妙な噂が立つようになった。深夜、手洗いに不気味な老婆が出るという噂だった。カルッツェは気にも留めなかったが、その噂の出どころが長男のブカツであると聞き、彼は眉をひそめた。


「夜、手洗いに参りますと、皺だらけの婆が、鏡の中から手招きをするのです」


ブカツの顔は青ざめていた。その不気味な婆を見たのは自分だけではない、弟、妹たちも見たのだと訴えた。そして、夜中には手洗いに行くことはできないと言って泣いた。


もとより豪胆で鳴らしたカルッツェである。子息ブカツの言葉を鼻で笑い、お前はタルカト王国を継ぐ器ではないとさえ言ってのけた。さすがに近習ブト――その頃には彼は侍従長に就任していた――がその場を収めたが、その後も不気味な婆を見たという報告がなくなることはなかった。


カルッツェにはその都度報告がなされていたが、彼は笑って取り合おうとはしなかった。しかし、王子、王女らが恐怖のあまり手洗いに行くことができず、部屋の中で粗相をすることが続くと、さすがにこれは看過できない問題となった。


ブトはカルッツェの許可を得ずに、独断で動いた。彼は、その婆の特徴から、それはあの、カワバではないかと予想した。そして彼は部下を伴ってカワバが埋められている山中に足を踏み入れた。


鬱蒼とした森の中に、その樽は埋められていた。ようやくのことでそれを掘り出して、中を検めてみると、不思議なことに、中には葬られたままの姿をしたカワバの亡骸があった。


ブトは改めて亡骸を土の中に埋め、簡単な墓を作った。その際、そこにはサミの形見の櫛が一緒に埋められた。


婆の姿はそれ以降ぷっつりと見られなくなった。だが、深夜に手洗いの鑑に映る婆は、長くカルッツェの一族の記憶に残り、折に触れて悪夢と言う形で表れて、皆を苦しめるのだった……。

comicブースト様にて、コミカライズ最新話、公開されました。

是非、チェック下さい!


https://comic-boost.com/content/00390001

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新有り難う御座います。 ……ホラー展開。
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