第八十九話 公女からのお願い
目が覚めると、リコがいた。夢かと思ったが、正真正銘のリコがそこにいた。
現実を認識できず、じっとリコを見る。リコはゆっくりと俺のベッドに近づいて来る。
「朝ですわ。起きてくださいまし」
「・・・リコ?どうしてここに?」
「リノスが作った転移結界を使って、朝食を届けに来たのですわ。ニザの食事はお口に合わないのでしょう?ですから、朝食を作って持ってきたのですわ。今日はドワーフ王との謁見でしょう?謁見の最中にお腹が鳴って恥ずかしい思いをしないようにしませんと」
「ああ、ありがとう」
リコが持ってきたバスケットの中には、数種類のサンドイッチが入っていた。しかもまだ温かい。きっとリコは早起きしてこれを作ってくれたのだろう。そう考えると、うれしさがこみあげてきて、思わずリコを抱きしめる。
このまま押し倒したい衝動に駆られるが、ここは自制する。
「頑張ってくださいませね」
「リコのおかげで頑張れそうだ。ありがとう。助かったよ」
リコのおでこにキスをしてやる。嬉しそうな顔をするリコ。その笑顔のまま転移魔法陣に乗り、帝都へ帰っていった。
予想に反して、ニザの朝食は美味しいものだった。何でも俺が持ってきた救援物資を使って料理したのだという。クルムファルは水も土も肥料も、かなりいいものが使用されている。必然的に食材の味にも影響しており、クルムファル産の食材は帝都でも大人気なのだ。それらを使って料理すれば、大抵のものは美味しく出来上がるのかもしれない。リコの作ってくれたサンドイッチを食べていなければ、いくらかお代わりをしたかもしれなかった。
その後、ユーリーがやってきて、俺たちをドワーフ王のもとに案内する。小さいながらも贅をつくした謁見の間に現れた王は、小柄であるが、髭を蓄えた威厳のある厳めしい顔つきの男性だった。
「ニザ公国王、ニザ・デューク・エイモンである。バーサーム侯爵に置かれてははるばるよく参られた。そして膨大な物資についても礼を言わせてもらう。わが国もこれで持ち直すであろう」
「ハハッ。我が義兄であります、ヒーデータ帝国皇帝陛下は、貴国のこの度の惨状に心を痛めておいでです。何か他に出来ることがあれば、何なりと申されよとの言伝でございます」
「うむ、心強い。バーサーム侯においてはしばらく我が国に逗留されると聞いた。その間はゆるりと過ごされるとよい。また日を改めて、侯爵をもてなす宴を催したい。詳細については、追って沙汰をすることとする。この度は大儀であった」
それだけを言うと、ドワーフ王はさっさと退出してしまった。そして俺は、再び与えられた部屋に戻ってきた。
「何だか随分とのんびりしているな。早くシカを追い払えとか言われるかと思っていたんだがな」
「そうでありますなー。吾輩が見たところ、シカの被害は一刻も早く対処した方がいいと思うのでありますがー」
そんな話をしている間に昼になり、俺たちは部屋で昼食を取った。あらかた食事も終わり、イリモの様子を見に行こうとしていた時、一人の女性が俺たちの部屋を訪れた。
「お初にお目にかかります。私、ニザ公国国王の息女、ニザ・コンシディーと申します。父が内々に侯爵様にご相談申し上げたいと申しております。誠に恐れ入りますが、父の部屋までお越しいただくことはできますでしょうか?」
見たところ、完全に中学2年生くらいの女の子だ。俺もドワーフ王にはいろいろと相談したいことがあったので、二つ返事でOKする。そして、コンシディーと名乗る女性に先導されて、俺たちはドワーフ王の部屋に向かった。
案内された部屋にいたのは、赤紫色の顔色をした国王だった。
「ふっ・・・驚いたであろうな?」
「これは一体・・・先ほどとは別人のようなお姿ですね」
「先ほど、謁見の間にいたのは儂の影武者だ。さすがに、ヒーデータ帝国の使いに影武者を会わせる訳にもいかんからな。ご足労願った次第だ」
「ここ一年、父上は病に侵されています。バーサーム候にご相談申し上げたいことは、父の病のことです」
「と、おっしゃると?」
「父の発病と時を同じくして、王族に病に倒れるものが続出しているのです。しかも、同じ症状で」
「どのような症状なのでしょう?」
「まず、体のだるさを覚えます。その後、体中に激痛が走るようになり、それが収まると、歩行が困難になり、手が震えるなどの症状が出てまいります。そして、徐々に衰弱していくという症状です」
「回復魔法では治癒できないのでしょうか」
「無論それは試しました。エクストラヒールをかければ、症状は改善します。しかし、しばらくするとまた、同じような症状を発症するのです。父には既に5回も回復魔法をかけておりますが、一向に症状が治癒される気配がありません。それどころか、回復魔法も今ではほとんど効かない状態なのです」
「なるほど・・・。で、私に相談というのは?」
「我々は、父をはじめとする王族たちのこの病は、何者かに毒を盛られたと考えています。バーサーム侯爵様におかれては、父に結界を張っていただきたいのです」
「結界、ですか。」
「父に悪意を持ったものを遠ざけ、なおかつ、悪意あるものが加えた毒を通さない結界をかけていただけないでしょうか。聞けば侯爵様は、ヒーデータ帝国の皇帝陛下の結界を担当されていると聞きました。その強力な結界をぜひ、父にもお願いをしたいのです」
「わかりました。結界についてはすぐに張ることにしましょう」
俺は、王に悪意を持つものを近づけず、なおかつ悪意を持って盛られた毒物を遮断する結界を張った。
「取りあえず結界は張っておきました。これで暗殺の類は防げると思います」
「ありがとうございます」
「ところで、シカの件なのですが・・・」
「それについては・・・、我々に任せてもらいたい」
国王が弱々しく呟く。
「何か、対策があるのでしょうか?」
「対策は、ない」
「では、どうするのでしょうか?」
「・・・この度の作物の被害は、おそらく鹿神様がお怒りになられているのであろう。我々ドワーフは鹿神様にお仕えしてきたという自負はあるが、なにかのお怒りに触れたのだろう。今は、ただ静かに、お怒りが解けるのを待ちたいと思う」
「父上!」
「コンシディー。シカたちは長年にわたり森に住み、我々を魔物の脅威から守ってくれていた。今、こうして作物を食い荒らしているからと言って、そなたの言うようにシカを殺しては、ドワーフ族は未来永劫、魔物の脅威に怯えて暮らさねばならなくなる。数年前に隣国のジュカ王国の如く、復活した大魔王のこともある。我らは鹿神様のお怒りを鎮めることを第一に考えるのだ」
「そんなことをしていては、国が・・・」
「大丈夫だ。そのことについては考えている。お主は心配するな」
「父上!もう一度お考え直してください」
「皆、ご苦労であった。下がってよい」
有無を言わせず会見を打ち切られる。よく見ると、王の手が震えている。体調はかなり悪いようだ。
王の部屋を退出した俺たちは再び、コンシディー公女の案内で城内を移動する。てっきり自分たちの部屋に案内されるのかと思いきや、公女は別の部屋に俺たちを案内した。そこにはユーリー宰相と、フードを目深にかぶった魔法使いらしき人間がいた。
「ここにご案内したのは、侯爵様にもう一つのお願いがあるからなのです」
コンシディー公女が口を開く。その言葉を待っていたかのようにユーリー宰相が口を開く。
「貴殿も我が国の惨状をご覧になられたかと思います。シカの被害は最早看過できない所まで来ています。王はシカの討伐には反対されていますが、私もコンシディー様も、一刻も早くシカを討伐するべきであると考えているのです」
「俺にシカを討伐せよと仰るのですか?」
「いえ、侯爵様にそのようなことはさせられません。あくまでシカ討伐は、我々でやりたいと思います。侯爵様には、村の畑に、結界を張っていただきたいのです」
「畑に結界、ですか?」
「この王宮の裏手に、広大な畑があります。ここは王族、特に王が口にされる食物を育てている畑です。今のところシカの被害はありませんが、ここが襲われるのも時間の問題です。ここが壊滅すると、ニザ公国の田畑は本当に壊滅します。この最後の砦だけは守らねばならないのです」
「その畑に毒物がまかれた可能性は?」
「それはない」
フードを被った者が答える。声からすると男性のようだ。
「紹介が遅れて申し訳ありませんでした。この方はレコルナイ博士です。数年前から我が国に部下の方々と共に逗留していただいているのです。博士は、わが国の水を浄化する水を開発していただいた大恩人なのです」
「水を浄化する水、ですか?」
「我が国は鉱物資源が豊富です。それに、手前味噌にはなりますが優れた精製技術を持っています。鉱物を精製し、剣や鎧を作るのにはどうしても水が必要になります。これまでは精製に使用し、汚れた水は池や川などにまとめて捨てていたのですが、そのために我が国の水は汚れていました。しかし、博士の水を使えば、水が浄化されるのです。それどころか、匂いもしなくなるのです。お蔭で町や国の水辺が実に美しくなりました。感謝してもしきれないお方なのです」
「もともと我々は流浪の民だった。その我々を保護し、研究する場所まで提供いただいたこの国に貢献するのは当然のことだ。バーサーム侯爵、私は貴族が嫌いだ。しかし、この国を救うというのであれば話は別だ。侯爵様はクルムファル領を荒廃から救われたと聞く。是非、そのお力を借りたい。そして、シカが駆逐された後、我々と共に、ニザ公国を荒廃から救う手立てを一緒に考えていただきたい。厚かましいお願いであることは重々承知している。しかし、我々はやりたいのだ。伏してお願いしたい」
「いえ、大丈夫ですよ。俺も陛下から公国の復興に尽力せよとの命令を受けていますから」
「ありがたい!」
早速皆で、王宮の裏の畑に向かう。ちょっとした家庭菜園のような畑だが、ここだけは作物の被害はなさそうだ。俺は、指定された通り結界を張った。そして、しばらくの間様子を見ることにしたのだが、すぐに問題は発生したのだった。




