表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第二十六章 病か、狂気か、編
858/1107

第八百五十八話 重ねて四つ

ダオラ帝国皇帝、ガノブの書簡を持つ手が震えていた。見る見るうちに彼の顔色が蒼白になっていく。強き皇帝がこのような姿を見せるのは極めて珍しい。いや、自身の父が崩御したときも、母が薨去したときも、涙一つ見せずいつものように振舞った彼が、家来たちの前で、このように明らかに狼狽えた姿を見せるのは、初めてであると言えた。


彼の前には一人の男が、頭を地べたにこすりつけるようにして平伏している。そして男は泣いていた。必死で涙をこらえていたが、こらえきれずに折に触れて嗚咽を漏らしていた。


皇帝ガノブは、その手紙の内容を信じることができなかった。それは、愛娘サンジョの死を伝えるもので、しかもそれは、目を覆う程の残酷な死に様だった。


サンジョは何と、生きたまま剣の試し切りにされていた。ガノブに送られたその書簡には、サンジョの死に様が詳細に書かれていた。


サンジョは、夫である王太子・カルッツェの近習と不義の関係となり、夫・カルッツェ自らの手で処刑されていた。ただ、その処刑方法が残酷極まるものだった。


サンジョは密通の相手と共に全裸に剝かれ、庭先に引き出されたのだと言う。そして、大きな台に二人は重ねられるようにして仰向けに寝かされて縛られた。その二人にカルッツェは剣を抜いて一刀両断したのだと書かれてあった。しかも、斬った場所が首でもなく胴でもなく胸の部分だった。これは、余程剣の腕があり、よく切れる剣でなければなし得ないことだった。


多くの戦場で人を斬ってきたガノブにはわかる。カルッツェという男は、武人としてかなり修練を積んだということが。そして、剣の腕前も超一流であるということが。愛娘の死で狼狽えながらも、彼はそうした人の能力を把握する冷静さは失っていなかった。


二人の人間を二つ重ねて斬るだけでも相当の剣の腕が必要なのだ。しかも、そこいらのなまくら刀では重ねて四つにはできず、一人を両断するのがやっとのことだ。カルッツェはさらに、胸の部分を一刀両断したとあった。胸には肋骨がある。その骨は、背骨ほどはないにしても、それなりの太さを持っている。それらを切り裂き、両断したのだ。恐るべき腕前と言ってよかった。ガノブでさえ、宝物庫に眠る宝剣をもってしても、そんな芸当をやってのける自信はなかった。


庭に引き出されたサンジョは、見苦しいほどに取り乱し、まるで気が狂れているかの如く泣き叫んだと書かれている。一方で密通の相手は粛々と刑に服したとも書かれてあった。恐らくこれはかなりの誇張が含まれているとガノブは見た。むしろ、取り乱したのは相手の男なのではないか。娘・サンジョは自分に似て気の強い性格だ。もし、自分が同じ立場であったならば、堂々と刑に服すだろう。斬られる瞬間まで、笑みを浮かべていることだろう。おそらく娘も、そんな死を迎えたのではないか……。


◆ ◆ ◆


ガノブの想像は的を射ていた。実際、死に臨んだサンジョは堂々としていた。この世に一片の未練もないと言わんばかりの様子だった。そして、剣を構えたカルッツェに視線を向けると、薄ら笑いすら浮かべた程であった。


彼女の左の頬には青い痣があった。それは捕らえられる際に、カルッツェにつけられたものだった。彼女の白い顔に浮かび上がったその青い痣は、まるで蝶のような形となっていて、それが見方によっては、一つの化粧のようにも見えた。


気の狂れたように泣き叫んでいたのは男の方であり、彼は裸に剥かれた瞬間から腰を抜かし、その場に立っていることができなかった。両脇を兵士に抱えられながら庭先に引き出されると、彼は号泣し、母上、母上と何度も叫んだ。


哀れな光景だった。これまで忠義一筋に仕えてきた男だった。だが、サンジョの脅迫にも似た誘惑に逃れることができなかった。同僚たちは、色にふけったばっかりにという者もある一方で、何の悪魔に魅入られたのだと言って嘆き悲しむ者も多かった。


悪いのはすべてあの奥方の悋気のせいであるというのが、近習たちの一致した意見だった。とはいえ、不義密通は許される罪ではない。王太子殿下の正妃と関係を持った事実は、死を持って償うしかなかった。だが、せめて彼には穏やかな死をという皆の希望はついに容れられなかった。


カルッツェは赤い顔をしながら、はあはあと苦しそうな呼吸をしていた。それは怒りに打ち震えているようであったが、彼の体調を知る者たちは、それが高熱のせいであることを知っていた。


いよいよ刑が執行される段階になり、カルッツェが静かに剣を抜いた。そのとき、側に控えていた近習のブトが、小さな声で彼に進言した。


「ご覧の通り、二人をこのように縛りましたが……」


「が?」


「もう、このくらいでよいかと愚考いたします。周囲の目もございます。もし、このまま殿下が二人をお斬り遊ばしましたら、ダオラ帝国は黙ってはいないでしょう。もう、お妃さまは十分な罰を受けたかと存じます。二人には何卒、名誉ある死を賜りたく、お願い申し上げます」


「ならぬ」


「殿下……」


「ダオラ帝国には、この女の死を詳細に伝えてやるのだ。泣き叫び、取り乱し、見るも醜い死に様であったとな」


「ホホホホホ」


サンジョが笑い声を上げた。それは侮蔑の笑い声であることは、誰の目にもよくわかった。


「そのようなことを父上に送られても、父上はお信じにはなりませぬ。ですが、父上にはどうぞ書簡をお送り下さいませ。父上でございます。私の父上は、きっと、すべてをわかって下さいます」


サンジョの顔は自信に満ち溢れていた。ダオラ帝国皇帝の娘という矜持は、最後の最後まで折れていなかった。


「さあ、早くお斬りあそばせ。このままでは寒うございます。妾の上に乗る男が冷めとうて、寒くてしかたがございませんわ。さあ、すっぱりとお斬りくださいませ」


そこまで言うとサンジョは真面目な顔になり、さらに言葉を続けた。


「これ以上、恥の上塗りをなさいますな」


「ぬうん!」


その瞬間、サンジョら二人の体は胴から離れていた。実に見事な腕前だった。あまりの腕前に、周囲は静寂包まれていた。カルッツェは二人を切り裂いた剣をじっと眺めていたが、やがてトロンとした目つきになり、恍惚の表情を浮かべた。


「……この剣はよく、斬れるなぁ」


そう呟きながら彼はブルッと体を震わせた。そのあまりの妖鬼さに、周囲は水を打ったように静まり返った。


カルッツェは懐から布を取り出すと、丁寧に剣についた血を拭い、静かにそれを鞘に納めた。そして、周囲を見廻すと、側に控えていたブトに静かな声で命じた。


「サンジョの侍女たちは、奴婢とせよ」


あまりの命令にブトは思わず顔を上げて、カルッツェの顔をまじまじと見た。相変わらず恍惚の表情を浮かべたままで、心ここにあらずといった様子だった。


「奴らを一列に並べるのだ。気に入ったものがあれば、一人金貨一枚で引き取ることを許す。男どもは引っ立てて銀山にでも送るがいい。そこで死ぬまで働かせよ」


「……」


「よいな?」


「……はっ、ははっ」


そう言ってブトは平伏した。……お熱が下がらぬうちは何を申し上げても。彼は心の中でそう呟いていた。そんな命令を実行するつもりはなかったし、それはしてはならぬことだった。彼はすぐにでも王都に戻り、国王に裁可を仰ごうと考えていた。カルッツェがそんな命令を下したことを知った国王はひどく落胆することだろう。そして、小康を得ていた体調も悪化するかもしれない。しかし、それでもこの命令を実行することはできないことであった……。


◆ ◆ ◆


「軍議を開く。諸将を集めよ」


ダオラ帝国皇帝ガノブが家来たちに向かって命令した。その声は落ち着いており、その眼には冷たい光が差していた……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] あわわ、戦争じゃ…
[一言] 更新有り難う御座います。泥沼やん……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ