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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第二十六章 病か、狂気か、編
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第八百五十五話 愛妾の死

タルカト王国王太子、タルカト・シクロウ・カルッツェは雨の中、墓の前でただひたすらに立ち尽くしていた。かなり長い時間、雨に打たれているのだろう。身に付けている服がずぶぬれになっている。


「王太子殿下……」


近習のブトが心配そうな面持ちで話しかける。彼もカルッツェに従っているため、ずぶ濡れの状態だ。だが、彼はそんなことに不快感はなかった。彼はただひたすら、主君であるカルッツェの体調を案じていた。


その墓には、カルッツェの愛妾であるコルイが眠っている。その最愛の女性は一昨日、突然の死を迎えたばかりだった。


不可解な死だった。カルッツェが一週間の軍事演習から帰ってくると、いつも笑顔で迎えてくれるコルイの姿がなかった。彼は軍装も解かずに、その足で正妃のサンジョの許に向かった。


「コルイをどこにやった」


夫の問いかけに妻は答えなかった。結婚以来、二人の間には情は通っていなかった。妻は相変わらず冷たい眼差しをカルッツェに向け、吐き捨てるように医師の許に送ったと告げたのだった。


「医師? 何か病気でも患ったのか」


「以前から申し上げておりますが、あの女は以前から患っております」


「医師でもないそなたに何がわかる!」


カルッツェは吐き捨てるように言うと、足早に妻の居室を後にした。そして、医師の許を訪ねると、コルイはつい二日前に亡くなり、すでに墓に葬ったと報告されたのだった。カルッツェは怒り、一体何の病気で亡くなったのだと医師に問うたが、男は話をはぐらかすばかりで、しかとした答えは得られなかった。


カルッツェはやり場のない怒りをひたすら耐えていた。つい一週間前には、元気な姿で見送ったコルイが、突然亡くなるとはどうしても思えなかった。彼女は殺されたのだ。その犯人はわかっている。正妃のサンジョだ。彼は物言わぬ墓の前に立ち尽くしながら、愛妾コルイの無念に思いを馳せた。そして、その命を奪ったであろう者に、激しい怒りを覚えていたのだった。


カルッツェは現在十九歳の若者であり、現王・シェングの四男として生まれた。四男であったため、王の後継者とはみなされず、十二歳のとき、タルカト王国の最北端にあるタカの領主となった。


母に似て細面の色白の少年で、長ずるに従って、すくすくと身長が伸びて、十六歳の頃には家来衆の誰にも負けない程の背丈になっていた。武芸が好きで、家来を相手に武芸の稽古に励んでいた。特に馬術に秀でていたのは、家来たちの、父シェングに負けないようにという意識的な慫慂があったからである。


十七歳のとき、長兄で王太子であったギノブが落馬によって死去した。父に似ず、武芸の鍛錬を嫌い、どちらかというと文化的な教養人としての振る舞いが目立つ男だった。武人として名高い王シェングはその死を嘆いた。息子を失った悲しみではない。騎士の息子が落馬によって命を失ったという事実に衝撃を受けたのである。


シェングは後継者を誰にするかをかなり長い間逡巡した。そして、悩み抜いた末、四男のカルッツェを指名した。家来衆からの反対は一切なかった。むしろ、遅きに失したとさえいう者すらあったほどだった。


直ちに、シェングの次男、三男は他国に養子に出された。そうして、後継者問題が起こらぬようにして、シェングは正式にカルッツェを王太子としたのだった。このとき、カルッツェは十八歳になっていた。


王太子となったカルッツェには、すぐさま結婚の話が持ち上がった。彼はそれまで、一切の色事に興味を示さなかった。遠乗りに出かけると町娘や農民の娘など、多くの女性と触れ合う機会があったし、タカという地が山の中であったため、若い女性が太ももを晒しながら野菜を洗う光景などもよく見られた。家来衆はいつ、カルッツェがあの女性が欲しいと言い出してもよいように、それなりの準備を整えていたが、彼はついに十八歳になるまで童貞を守り通した。


妻に迎えられたのは、ダオラ帝国皇帝ガノブの娘だった。カルッツェはその妻を気に入らなかった。父ガノブに似た、目じりがピッと上がり、鼻の高いその女性はいかにも高慢そうであったし、胸と尻の大きいその体は、いかにも不健康そうに見えた。また、妻サンジョの、折に触れてこの山深い田舎に嫁に来てやったのだという態度が、さらに彼の心を離れさせた。


一方、彼はその妻がダオラ帝国から連れてきた侍女に目を止めた。コルイと名乗るその女性は、スッキリと痩せた体をしていて、午後になると顔が赤らんで目が潤んでくるのだった。彼はその女性に興味を持った。少し紅潮した顔で潤んだ瞳を向けられると、何とも言えぬ色気を感じたのだ。


程なくして彼はこのコルイを愛妾として迎えると宣言した。妻サンジョは何も言わなかったが、その心の底には激しい嫉妬の炎が立ち昇っていたのは、誰の目から見ても明らかだった。一方のコルイは主人の手前もあり、最後の最後までカルッツェの愛を受け入れることを拒否した。だが、腕を取られ、力づくで彼の部屋に連れ込まれてしまっては、彼女はその愛を拒否することはできなかった。


「コルイ……俺はそなたが好きだ」


「……お許しくださいませ」


「いや、許さん。そなたは、俺が嫌いか」


「……嫌い……では、ございません。でも」


「でも、何だ」


「怖ぅございます」


「では、怖くないようにしてやろう」


そう言ってカルッツェはコルイの唇を吸った。


コルイと関係を持った直後から、カルッツェは彼女の傍から離れなくなり、昼となく夜となく彼女を愛するようになった。むろん、正妃サンジョは嫉妬を隠そうともしなかったが、家来衆はカルッツェの行動を鷹揚にとらえていた。十八歳まで禁欲していたカルッツェの前に好みの女性が現れたのだ。しかも、相思相愛の関係なのだ。そういうことになるのは自然なことであると考えていたのだった。


このコルイという女性は夕方になると決まって顔を赤らめ、軽い咳をした。体調を心配してみたが、本人は何ともないと言い、また、病の傾向は見られなかった。そして彼女は夜、同衾すると、興奮するにしたがって、異常に体に熱を帯び、お許しくださいませ、と言いながら、カルッツェの求めに積極的に応じるのだった。彼はそんな彼女を愛し、火照った体を抱きしめながら眠りに落ちるのだった。


コルイとの関係が半年近くになろうとしたとき、ようやくカルッツェの生活も元の通りに戻り始めた。昼にコルイの部屋に行くことは少なくなり、武芸に励むようになった。家来たちはその傾向を喜んだ。


あるとき、隣のイナルまで遠乗りに出かけた際、イナルの領主であるノブトはカルッツェを館に迎えてささやかな食事会を催した。その折、カルッツェは熱でもあるのか、赤い顔をしていた。ノブトはカルッツェが帰るとき傅役のウエモに、王太子殿下は風邪でも召しているのかと聞いた。ウエモは、そのときは、いい加減にあしらっていたが、実はカルッツェがそのころ午後になると赤い顔になり、同時に興奮してくることに気づいていた。それが彼だけの気のせいではなく、他人のノブトまで認められたとなると捨てはおけないと思った。悪い予感が走った。その症状は父・国王シェングが苦しんでいる病気の兆候によく似ていた。


それは正妻であるサンジョも承知していた。彼女はずっとカルッツェを観察し続けていた。そして、最近になってコルイと同じ兆候が彼にも表れていることに気がついた。


病は兆候が出たらすぐに対策を施すべきである、父・ガノブの言葉が彼女の脳裏に呼び起された。このまま進めば夫は国王と同様、重篤な病に進む可能性がある。その前に対策を打つのだ。


サンジョは近習に命令を下した……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新有り難う御座います。 ……絶対に揉めるヤツ……。
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