第八百五十二話 ケダカ王国その後
この戦いの後、ケダカ王国国王ビオンは変わった。自らの考えを至上とすることはなく、老臣たちとの対話を重視する姿勢を取るようになった。
また彼は、先の戦いで共同戦線を張ったアガルタ、フラディメ、サンダンジに対してさらなる同盟関係を求めなかった。それは老臣の一人が主張していた政策だが、ビオンはそれを採用せず、結果的に他の老臣たちも彼の考えに賛同したのだった。
その代り、ビオンが力を入れたのは、この三国に対しての人的交流であり、彼はケダカ王国のなかでも選りすぐりの者を、その国々に留学させた。とりわけアガルタには、アガルタ大学に若者を留学させただけでなく、アガルタ軍にも派遣した。これは、国軍総司令官のシュリの主張によるもので、佐官クラスの高級参謀から、まだ軍人になりたての者まで、幅広い軍歴を持つ者が選ばれていた。
アガルタ軍への派遣は当初、アガルタ側が難色を示すと考えていたが、アガルタは、マトカルは何の躊躇もなくその者たちを受け入れると返答してきた。これにはシュリが驚きを隠さなかった。
軍内部に他国の者を入れる、ということは、軍機密が漏れる可能性が高い。そんなリスクを伴う行為であるにもかかわらず、リノスとマトカルは易々と許可してきた。それは、アガルタ軍の自信の表れでもあるが、同時に、ケダカ側への信頼の現われであるとビオンらは理解した。後日になって知ることだが、アガルタにはそうした要請が各国から寄せられているが、それを受け入れている国はごく僅かであったのだ。
ビオンは周辺国に対して、心のつながりを作ろうと取り組む一方で、国の内部にもそれを作ろうと試みるようになった。
彼はまず、税を軽くして国民の負担を和らげるよう取り組んだ。そして、城内に備蓄してあった籠城用の兵糧の半分を高い値段で売り、それを国庫に充てた。反対する者はいなかった。皆、アガルタ、フラディメ、サンダンジとの友好関係を続けている限り、他国からの侵攻はないと信じていたのだ。
数年後、アガルタの留学を終えた者たちが帰国してきた。彼らは鉄の精製と溶接技術を学んでおり、ビオンに対して、鉄の船を作ることを提案した。それに対して彼は、溜めていた金を惜しげもなく彼らに使った。
彼らの技術は画期的だった。とりわけ、鉄と鉄を張り合わせる際の溶接技術は世界屈指と言え、かなり分厚い鋼鉄を完璧に溶接する技術を備えていた。
これまでは、熱い鉄を組み合わせるためには、鉄に穴を開け、そこに太い鉄の釘を打ち込んで潰すという手法が採られていた。これは確かに鉄は組み合わせることができるが、強度の問題があり、船での運用は避けられていた。だが、彼らがもたらした溶接技術は、その問題をたちまち解決させた。若者たちの技術と旺盛なチャレンジ精神で、数年後には、木と鉄を上手に組み合わせた船を作るに至った。彼らはそれを鉄張船と名付けた。
この船の登場に、これまで敵対してきた国、とりわけ、ダオラ帝国は驚愕した。弓矢や魔法の攻撃ではほとんどダメージを与えることができず、大砲での攻撃でさえ、大きなダメージを与えることはできないのだ。皇帝ガノブは大急ぎで同じ船の建造を命じたが、強度の問題と技術的な問題で、それはなかなか具現化しなかった。
たまらず皇帝ガノブは宗主国であるクリミアーナ教国に助けを求めた。そのとき、たまたまクリミアーナ教国では、木をある手法で蒸らし続けることで効率的に圧縮させられる方法を発見していた。これに目を付けたヴィエイユは、さらなる研究を命じたところ、その方法を突き詰めれば、鉄に匹敵する強度にまで木を圧縮させられることがわかった。ヴィエイユはその技術を法外な値段でダオラ帝国に売り飛ばした。代償としては高かったが、結果的に、ダオラ帝国は鉄よりも安価で鉄張船と同じ強度の船を作ることに成功した。
これを契機とした技術競争が世界中で巻き起こり、世界ではいわゆる産業革命がおこっていくのだが、それはまだ、先の話である。
今のビオンにはそんな未来は見えてはいなかったが、彼は力による支配ではなく、信頼関係をもって国を運営していく方向性が、この国に大きな利益をもたらすことを確信していた。彼は後宮の女性たちとも信頼回復に努めたが、結局それは果たせず、正妃を除いた多くの妃が後宮を去ることになった。だが一方で、新しく迎えた妃と信頼関係を築くことに徹した結果、彼は家庭的にも大きな幸せを得ることになる。そして、妃の一人との間に二人の男の子を授かり、彼は幸せの絶頂を迎えることになるのだが、後年、この二人の息子が国王の座を争い、ケダカ王国は再びきな臭い状況に陥るのだが……。それもまた、後の話である。
一方、アガルタのリノスの許には、複数の国から調査依頼が寄せられ、彼はメイと共にその対応に忙殺されようとしていた。
それは一見すると風邪に似た症状だった。しかし、その回復は遅く、一旦回復したかのように見えても、またぶり返すということを繰り返していた。しかもそれは、他人に感染するが、爆発的な感染力はなく、だが、徐々にではあるが、病人の周辺の者たちに、確実に同じ症状を発症させていた。
「……どう思う、メイ?」
「……そうですね。患者を診ないと何とも言えませんが」
メイはリノスから手渡された手紙を丁寧に読んでいる。さすがの彼女をもってしても、手紙の内容だけを見て、その病名を断じることはできなかった。
「何なら、病人の血液を送ってもらおうか」
「……」
リノスの問いかけにメイは何も答えなかった。彼女は直感的に、これは現場に赴いて直接患者を診察した方がよいと感じていた。だが、問い合わせをして来ている国々に赴くのには、片道で十日近くかかる。十日の間、アガルタ大学を空けることは、今の彼女には難しかった。
「チワンかローニに行ってもらってもいいかもしれないな」
「そう、ですね……」
メイはそう返答してみたものの、医師としての血が騒いで仕方がなかった。できれば、自分が行って直接病状を見たい。触診して、患者の様子を見たいという思いが強かった。
むろん、リノス自身もメイのその気持ちは十分に理解していた。ただ、彼としても、イリモの翼を使ってその国に赴き、転移結界を張って来るような時間は今はなかった。
「とりあえず、俺たちだけで考えていても仕方がない。チワンに相談に乗ってもらおうか」
「は……い」
メイはそう言って頭を下げた。
しばらくすると、メイの部屋の扉がノックされ、チワンとローニが入室してきた。二人はリノスとメイの前で一礼すると、勧められるままに応接室のソファーに腰かけた。
「……単なる風邪ではなさそうですね」
チワンが口を開く。その言葉にメイが大きく頷く。
「感染速度が遅い、というのが私には気にかかります。体内に潜伏する期間が長いということですね。ということは、抵抗力が弱まったときに発症してくるということです。かなり厄介な病気であるような気がします」
ローニがゆっくりと頷きながら答える。メイが思わず口を開く。
「今の段階ではそれが周囲に、世界に重大な影響を及ぼすものであるのかはわかりません。ただ、早いうちに一度、その症状を確認しておくべきだと思います。私も、ローニさんと同じく、かなり厄介な病気であるような気がしてなりません」
「では、内々に私とローニが参りましょう。そして、我々が現場に到着次第、メイ様に転移いただくようにしましょう」
「……お願いします」
「ではローニ、すぐに立ってくれ」
「私一人、ですか!?」
「一人で十分だろう」
「……私、これでも夫ある身なのですよ?」
「何を言っているんだ。夜は家に帰ればいいだろう」
「じゃあローニ、旅の間、晩飯は俺の屋敷でだそうじゃないか」
「行きます、喜んで」
ローニはそう言って立ち上がった。その様子をリノスは苦笑いを浮かべながら見ていた。一方のメイは、不安そうな表情を浮かべながらローニに向かって一礼した……。
若者の情熱編、これにて終了です。また間話を数話挟みまして、新章突入です。
次はメイちゃんが活躍……かな?




