第八百五十一話 自分を出す
サトにあるケダカ王国の離宮での戦勝パーティーは、割とあっさり終わった。相変わらずニケはバーベキューの焼き方に徹していたし、俺は食べる専門といったところだった。それに、あろうことか、フラディメのメインティア王はその場を欠席し、代わりにその近習を勤めるパターソンがやって来ていた。
このパターソン、ついこの間まで大上王とメインティア王の間に挟まれて精神をすり減らしていたが、今ではこの二人からの信頼厚く、副宰相まで上り詰めていた。だが、腰の低さは相変わらずで、彼は会う人会う人にペコペコと頭を下げ続けていた。後で聞いみたが、やはり腰痛持ちだそうで、彼には内緒でコッソリ回復魔法をかけておいたが、あの調子だと再発するのは時間の問題と言えそうだ。
会場にはやはり、国王ビオンを中心に、ケダカ王国の主だった者たちが顔を揃えていた。マガタ、と名乗る宰相が頭を深々と下げて俺に礼を言ったのを皮切りに、ケダカの者たちが次々と俺の前で頭を下げ続けるのは、あまり気持ちの良いものではなかった。アガルタからは俺とマト、そしてホルムが参加したのだが、このホルムが実にいい働きをしてくれたのだ。
俺たちにはどうしても、あわよくばアガルタと関係を結ぼうとする者たちが多く訪れる。そうした者たちをホルムは上手くおだてて追い返してくれていた。さすがは年の功、といったところだ。
時間が経つにつれ、このホルムは何故かニケと連携を図り出して、最終的には、ビオン以下、ケダカの主だった者たち全員をニケの前に座らせるという離れ業をやってのけた。そのニケは、居並ぶ者たちを眺めながらご満悦の表情で、いわゆる鉄板焼きを始めた。
彼曰く、肉の部位によって焼き方、焼き加減を変えるとさらに美味くなるし、その部位も斬り方によって味が変わるのだと力説していた。要は口うるさい焼肉屋のオヤジで、客には一切焼かせず、自分が焼いて振舞うスタイルだ。
ただ、さすがにその料理の腕前は見事で、彼の料理を口にした者は一様にその美味さを絶賛していた。俺も味わったが、肉によってレア、ミデアム、ウエルダンと変えていて、しかもそれらが噛むと肉汁が口の中いっぱいに広がって結構なお味で、何とも美味しゅうございました。
と、このように、ほとんどがニケの独壇場でこの会はお開きになった。ビオンは最後に俺の前に来て丁寧に頭を下げた後、これからは宰相らと協力して国を復興させていくと言った。その彼の後ろで言葉を聞いていた宰相マガタやシュリらは、ホッとした表情を浮かべていた。一方で、マガタはさすがに宰相と言うだけあって、今度はケダカからお礼の使者をアガルタに送ると言ってきた。そうして俺たちと関係を築きたいのだろう。断るのも失礼なので、それはそれで頷いておいた。
そして翌日、いよいよヴィエイユが帝都の屋敷にやって来た。彼女は俺の予想とは裏腹に、完全に一人の女子となって供される料理を楽しんだ。子供たちとも遊び、しかも、子供の扱いが上手かった。体が弱く、結構人見知りなファルコなど、最後はずっとヴィエイユの膝の上に乗っていたほどだ。
政治的な生臭い話は一切出さず、世間話と美容の話が中心だった。リコたちとの会話にケラケラと開けっぴろげに笑い、出された料理を片っ端から食べ、アリリアとからあげの取り合いをし、そしてまた笑う。正直言って初めて見るヴィエイユの一面だった。これを前面に出していけばいいのに、とさえ思った程だ。
楽しく、賑やかな、でも穏やかなひと時だった。夜が更けてくると、ヴィエイユは子供たちから泊っていけと誘われ、かなり悩んでいた。やがて寂しそうな表情を浮かべると、やはり帰ると言って立ち上がった。その帰り際、見送る俺たちを名残惜しそうに何度も振り返りながら転移結界に乗って帰っていった。
「なあ、今日のヴィエイユって、どう思った?」
ベッドに横たわりながら俺はリコの背中越しに声をかける。彼女は鏡の前で髪をといていた。櫛が当たるたびに美しい金髪が優しげに揺れている。
「……きっと、あの姿が本来のヴィエイユさんなのではないでしょうか」
そう言うとリコは櫛をおいて立ち上がり、静々とベッドに入ってきた。俺の前にはイデアが大の字になって静かな寝息を立てている。ママが来るまで待っていると言っていたのだが、今日のヴィエイユとの交流で遊び疲れてしまったようだ。
リコはそのイデアの隣に体を横たえた。ちょうど親子川の字になって寝ている形だ。
「教皇と言う立場ですから、虚勢を張らねばならないことも多いと思いますわ。いえ、それが日々の大半であると言っても過言ではないのではないかしら」
「まあ、ね。ヴィエイユの地位を狙う者もゼロではなさそうだしね」
「そんな中で、なかなか自分を出すのは難しいですわ。たまには本当の自分を開放して、日々のことを忘れることも大切ですわ。ヴィエイユさんは久しぶりに自分らしくいられたので、今夜はよく眠れてかもしれませんわ」
「そういうものかな。俺も割と虚勢を張る方だと思うけれど、それとはレベルが違うってか……?」
「そうですわね……」
ふとリコを見ると、彼女は眠っているイデアを愛おしそうに眺めている。まさに母親の顔になっている。その様子は、何とも幸福感に溢れたものだった……。
◆ ◆ ◆
「ふう……」
迎賓館に帰ってきたヴィエイユは、大きなため息をつきながら、ベッドに腰を下ろした。その表情はリノス家で見せていたそれとは打って変わって、いつものヴィエイユの表情に戻っていた。
自ら敵の懐に入り込み、その弱みを握るというのは、ヴィエイユの特技であり、最も自信のある事柄の一つだった。だが、今回のアガルタ王宅訪問は、正直言って失敗と言わざるを得なかった。リノス一家は平穏そのものであり、一切の問題がないように見えた。
相手が相手だけに、ヴィエイユは下手な小細工は一切抜きにして、完全に自分をさらけ出し、その場を愉しむことに徹した。正直言って、楽しすぎて途中から当初の目的を忘れてしまった程だ。
ベッドにゴロンと横になりながら、彼女はああいう幸せの形もあるのだなと心の中で呟いていた。大体、側室を持つ家は大なり小なりの問題を抱えている。女性が一人の男性を共有しているのだ。そこには恨みや嫉妬が必ず発生する。そこが狙い目で、ヴィエイユが付け込むべきところだったのだ。
しかし、リノス家はそうした負の感情を一切感じなかった。妻たち子どもたちは互いを尊敬し合っているのがよく感じ取れた。こんな家庭は前代未聞と言ってよかった。
できれば、自分もあんな家庭に生まれたかった。いや、正しく言えば、あんな家庭に生まれていた。亡くなった両親は仲が良く、互いが互いを認め合い、尊敬し合っていた。
でも……。と彼女は心の中で呟く。さすがのヴィエイユをもってしても、そんな家庭を自ら作ることはできないと考えていたし、そんなことをするつもりは毛頭なかった。今の地位を保ちながら平穏な家庭を持つなど、贅沢すぎることだ。その希望を周囲に知られた瞬間、ヴィエイユは教皇の地位を奪われることになることは、よく理解していた。
……まあ、アガルタ王様のご家庭に、一切の隙がないということがわかっただけでも、大きな成果だわ。
彼女は心の中でそう呟くと、う~んと背伸びをして、大きなあくびをした。いけないいけない、なんてはしたない……。そんなことを考えているうちに、強い眠気を催した。まだ、風呂にも入っていないのに……。だが彼女はその眠りには勝てず、着の身着のままの状態で、眠りに落ちたのだった。




