第八百三十話 森の仲間たち
オークキングはじっと俺たちを見下ろしたまま、微動だにしない。何となく、だが、俺の戦闘力をはかっている……。そんな気がする。だとすれば、この魔物はそれなりの知性を備えていると言える。
初見の相手に対して、その戦闘力を読み解く、というのは、戦いをする中での鉄則だ。己の力を過信してただやみくもに突っかかって来るような相手ならば御しやすいが、相手のスキルを読み解いた上で対策を立てて攻撃してくる相手は気を付けなければならない。
オークキング・マモは、ブウブウといびきのような鳴き声を上げながらひたすらに俺たちを眺め続けている。しかもその視線は、俺、ソレイユ、ゴンの三人に均等に向けられている気がする。どうやら、バカではないらしい。
マモは何故か、鎧のような防具を装備していた。他のオークらが布一枚巻きつけただけの、ほとんど裸と変わらない様子であるだけに、馬子にも衣裳というか、何とはない威厳を漂わせている。
彼は右手に太い丸太を持っていた。これを森の中で振り回されると厄介だなと考える。振り回したところで周囲の木々に当たって武器として役に立たないだろうという考えもよぎったが、その木々をへし折りながら攻撃してくる雰囲気がその体躯から満ち満ちていた。
「……中に入れと言っているでありますー」
ゴンの声と共に、オークキング・マモはクルリと踵を返した。
オークの集落は、洞窟の中にあると思っていたが、そこは、木や石で組み上げた高い壁に囲まれているだけだった。その内側にオークの住処と思われる掘っ立て小屋が犇めいていた。ふと頭上に視線を向けると、空が見えた。雨が降ってきたらどうするのだろうか。集落一帯が水浸しになるだろう。それに、排水はどうなっているのか。それを上手くやらないと、たちまちこの集落は冠水してしまう。それに、疫病なども流行りやすくなる。
そんなことを考えていると、オークキングの動きが止まった。彼の目の前には大きな焚火があった。火柱がまるで空に吸い寄せられているかのように揺らめいている。彼はその前にどっかりと腰を下ろした。どうやら、一応は俺たちの話を聞く気らしい。
「今回のこの森の騒動ですが、フラディメ、サンダンジの両国については、今もこれからも、この森を攻撃する意志はないとのことです。併せて、ジンの砦を所有するケダカ王国も、攻撃の意思はなく、現状のまま騒動を納めて欲しいと言っています」
俺は一気にそう言った。ゴンが通訳している。オークキングは微動だにしない。その顔からは、俺たちの話を聞いているようでもあり、一切聞く耳を持たないという雰囲気も感じられ、その心の中を図ることはできなかった。
「……あの建物は、我々のものだ、と言っているでありますー」
あの建物、とはジンの砦のことだろう。まあ、ビオン王の気持ちに寄り添えば、何とか頑張ってその砦を取り返すように交渉するべきなのだろうが、別にあの王に何か恩義があるわけでなし、正直なことを言えば、あまり好きなタイプではないので、特にその点は何も言わず、あなた方が所有してもらって結構ですとゴンに伝えさせた。
マモが何かを喋っている。それをゴンが言い返している。二人の会話の内容は全くわからない。おいゴン、通訳しなさいよ。
「……自分たちだけでなく、多くの森の仲間たちの領域が荒らされた。人間たちを許すことはできないと言っているでありますー」
「それじゃ、話は終わってしまうな。どうすれば許してもらえるんだ?」
俺の言葉をゴンが再び通訳する。マモはしばらく考える素振りをしていたが、やがて、ゴンに短い言葉を伝えた。
「……踏み荒らした森を元の形に戻せ、と言っているでありますー。……ちょっ、吾輩が喋っているときに喋るとわからなくなるでありますー。ええ? うん。うん。ええ。ええ。ええっ?」
ゴンは首だけをオークキングに向けてその話を聞いていたが、やがて俺に視線を向けると、困った表情を浮かべながら口を開いた。
「どうしましょ?」
……バカ野郎。マモが何を言っているのかを通訳しなさいよ。こっちはわからないよ。
どうやらオークキングは、人間たちの町や村を襲って、あらゆるものを強奪する意志を持っているようだ。そうしないと、森の仲間たちは納得しないと考えているらしい。そのとき、ソレイユが自分の腕を俺の腕に絡めてきて、耳元で小さな声で呟く。胸がひじに当たっている。……柔らかいなぁ。
「……森の魔物たちは、これ以上争いたくないと思っているようです。どうしてもオークが人間を襲うというのであれば、ハーピーたちが黙っていないと言えばいいと思います」
ソレイユの言葉をそのままゴンにオークキングに通訳させる。彼は少したじろぐと、俺に鋭い眼差しを向けてきた。……うん? 眼が合わないな。彼は……ソレイユを見ている、か?
そのとき、マモがグルルルルと何とも言えない呻き声を上げた。よく見ると、彼の顔はやけどの跡だろうか、頬のあたりにケロイドのような傷跡があった。腕や足にも深い傷を負った形跡が見られる。彼もそれなりに苦労して今の地位に上り、一族を率いているのだろう。
「ハーピーがいかに動こうとも、我々は人間を許すことはできないと言っているでありますー」
「……強情ねぇ。嫌いだわぁ」
ソレイユが誰に言うともなく呟く。彼女は右手の掌をスッと天に向ける。するとその手から金色の光が起こり、一瞬だけ周囲を明るくした。それに驚いたのか、俺たちを囲んでいたオークたちが持っていた木や斧などを握り締めていた。彼らからは殺気が放たれている。
「ソレイユ、何をしたんだ?」
「……オークキングも同じことを聞いているでありますー」
俺たちの話に、ソレイユは愛嬌のある笑みを浮かべながら口を開く。
「森の精霊たちに命じて、ケダカ軍が踏み荒らした場所を元に戻させました。おそらく一日あれば、大抵のところは元に戻っているはずです。それに、森を踏み荒らしたのは人間だけではなくて、あなたたちもかなりの部分を踏み荒らしているわ。奪われた砦を奪還するために行動を起こしたことは理解できるけれど、それでも、やりすぎじゃない?」
俺と腕を組みながらソレイユの気配がどんどん変わっていく。これは……殺気か。何だか怖いな。女子が怒ると、やっぱり怖いな……。
それはオークキングにも伝わったようで、彼はさらに鋭い眼差しを俺に向けた。ソレイユは全くひるまずにさらに言葉を続ける。
「踏み荒らされた森は再生させました。あなたの条件はこれで叶えられたはずよ。失われた砦はあなた方の手に戻り、森も再生された……。これ以上あなた方が戦う、というのであれば、今度は森の魔物たちが黙っていないはずよ。あなた方オークらは人間だけじゃなく、森の魔物たちとも戦わなくてはならなくなるわ。そうなっては、あなた方が勝てる要素は何もなくなるんじゃないかしら?」
ソレイユの言葉をゴンが一生懸命通訳している。マモが右手に握る丸太への力が強くなっているのがわかる。怒りにまかせて俺たちを襲う可能性がある。今の結界の硬度でも十分対応可能だが、一応張っている結界の硬度を上げた。
「グッ、グフゥゥゥゥゥ~」
突然マモが大きく息を吐き出した。彼は頭を左右に振っている。
「わかった。これ以上人間を攻撃するのはやめる、と言っているでありますー」
「おお……」
どうやら交渉成立のようだ。ソレイユを連れてきてよかった。彼女かいなければ、交渉はもっと難航していただろう。
さあ、帰ろうかと思っていると、オークキングはゴンに何かを言っている。ゴンはしばらく無言のまま俯いている。
「おいゴン、どうしたんだ。オークキングは何て言っているんだ?」
俺の言葉にゴンは、さも言いにくそうに口を開いた。
「……人間への攻撃は止めるが、一つ条件がある。……その女をここに置いていけ、と言っているでありますー」




