第八十三話 フェアリードラゴン
「森の中をこんなにゆっくり歩くなど、久しぶりでありますなー」
「おいおい、遊びで来てるんじゃないんだから。お前も探してくれよ」
俺はイリモに乗ってゴンと共に、クルムファルの森をゆっくりと移動している。
確かに、こんなにゆっくりと森を移動するのはいつ以来だろうか。しかもゴンと二人だけというのもかなり久しぶりのような気がする。
秋の収穫が終わっても、俺たちの忙しさは相変わらずだった。猫人族のウィリスに任せたスーパーが大繁盛だったのだ。当初は一週間程度手伝えば客足も落ち着くだろうと考えていたのだが、結局、開店から三か月たっても依然として客足は衰えず、むしろ増え続けているのだ。
毎日、押すな押すなの騒ぎで、当然ウィリスたち三人では客を捌けない。従って、俺、メイ、ゴン、フェリス、ルアラがレジに入り、ウィリスとシェーラは客対応、計算ができるユリエルもレジに入って、ようやく客を捌き切るという有様だった。
それだけでなく、帝都のホテルからは昆布とかつお節が大量に注文され、忙しい合間を縫って納品する。場合によっては、結界石の店の勤務が終わったソーニヤとアンジェにレジを頼み、納品に向かうこともよくあった。
当然、この母子には残業手当を支給している。ダーケ商会は、日本の労働基準法に準拠した経営を行っているのだ!
開店当初は無休で営業していたが、新年を迎え、正月休みを終えたのを機会に、一日だけ定休日を設けた。ウィリスは反対し、客からのクレームも多かったが、そうでもしないと俺たちの体がもたない。ウィリスと客には渋々納得してもらった。ただ、この忙しさを見かねたお客さんが接客を手伝ってくれるようになり、その中でも特に積極的で優秀な人には賃金を払って、アルバイトに来てもらっている。これがマジで大助かりなのだ。お蔭でここ最近は、俺たちが行かなくても、何とか店が回るようになっている。
そして、ようやく落ち着きを取り戻した俺は、クルムファム領を開発する際に、農業用水用に掘った湖を目指して進んでいた。どうやら、湖のほとりには、バニラの匂いがする木があるらしいのだ。
バニラがあれば、スィーツの幅が広がる。これは見過ごせないのだ。
きっかけは、ハーピーたちだった。たまたま彼女らの報告を聞いていた時に、翼からほのかにバニラの香りがしたのだ。聞いてみると、湖のほとりまで行ったときには、羽を休めるために大木の枝に止まっているのだという。俺にはその木に心当りがあった。確かに、湖の近くにはバカでかい木があった。それならば行ってみようという話になり、俺とゴンが散歩を兼ねて森の中を歩いているというわけだ。
その大木までは大して遠くはなく、イリモが飛ばせば30分ほどでついてしまう。しかし俺は素早くそこまで移動する気にはなれず、こうしてゆっくりと歩を進めているのだ。
森に入って一時間。魔物の気配はするが、全く襲われる気配がない。俺は魔物に嫌われているらしい。
「ああ、見えたでありますなー。あの木でありますー」
ようやくお目当ての大木についた。確かに、ほのかにバニラの香りがする。鑑定を発動させてみるが、どうやらバニラの木ではないらしい。
「おかしいでありますなー。これはただの木でありますー。どうしてこんな香りがするのか、吾輩にもわからないでありますー。ここはひとつ、メイ殿に見てもらってはいかがでありますかー」
そうだなと返事をして俺は、この木の枝を何本か折り、無限収納の中に入れる。
「そういえば、腹減らないか?」
「そうでありますなー。もうお昼を食べる時間でありますー」
「じゃあ俺が作ろう」
「ここででありますか?イリモ殿に乗れば、すぐに館に帰れるでありますー」
「いや、たまには森の中でメシを食うのも悪くないだろ?いい天気、美しい森、きれいな湖。こんな中でメシを食うのはとても贅沢じゃないか?」
「それはそうでありますなー。ご主人の手料理も久しぶりでありますからなー」
俺は早速、無限収納から米を取り出し、湖の水を使ってご飯を炊く。ここの水は良質で飲料水としても十分すぎるくらいの美味しさがある。そしておかずには鯖の切り身を取り出し、炭であぶる。ジュージューと煙と匂いが立ち込めるが、野外なので気にしない。鯖の塩焼きが出来上がった。
炊き立てのご飯と鯖の塩焼き。もうこれ以上は何もいらない。俺とゴンはガツガツと食っていく。
「うまいでありますなー」
「だろ?鯖は塩焼きに限る。美味いご飯があればもう、なにもいらんな」
「ぐるるるるー」
背後から妙な音がしたので振り返ると、何やら奇妙な生物が、木の陰から俺たちのことを窺っていた。
色は薄い水色で、小さいドラゴンのような体躯をしている。背中には極彩色に彩られた蝶のような大きな羽が生えており、大木の陰から俺たちの様子をうかがっている。
「あれは・・・フェアリードラゴンでありますか?」
「フェアリードラゴン?」
「ドラゴンの一種でありますが、そんなに強くないでありますなー。力はありますが、ブレスは吐かないでありますし、強いて言えば、飛行の速さだけはあるでありますー。花を食べるドラゴンとして有名でありますなー」
「ふーん、害はないのか?」
「基本的に臆病なドラゴンでありますから、人を襲ったという話は聞かないでありますなー」
「ぐるるるるるー」
木の陰からとても興味深そうに俺たちを見ている。どうやらお腹が鳴っているようだ。
「お前もしかして腹減ってんのか?よかったらこの鯖食うか?」
俺は焼きあがった鯖の塩焼きを放り投げてやる。フェアリードラゴンはしばらくじっとそれを見ていたが、やがて意を決してそれを口に入れた。
「アキャッ、きゅあっ、きゅあっ!」
「おー食ってんな?遠慮するな、どんどん食え」
俺はさらに鯖を焼いてやり、ご飯で丸いおにぎりを作って投げてやる。フェアリードラゴンは美味そうに食べている。
「ほーれ、デザートのおはぎだ、ついでに食え」
「きゅあっ!きゅあっ!」
喜んでいるようだ。これだけ喜んでくれると作った甲斐があったという物だ。しかしよく見ると、フェアリードラゴンの背中の羽が一枚しかない。
「あれ?アイツ羽が一枚しかないぞ?」
「あれでは飛ぶことは出来ないでありますなー。珍しいでありますー」
「そうか、じゃあ治しておいてやるか」
フェアリードラゴンに結界を張り、そのまま俺のところまで移動させる。さすがにドラゴンは驚いて逃げようとするが、俺の結界に阻まれて身動きが取れない。
「あきゃっ、きゅあぁぁぁぁ・・・」
かなりおびえているが気にすることなく、エクストラヒールをかけてやる。すると、失われていた羽が復活し、頭にもあったのであろう角が二本生えて来ていた。
「ずいぶん傷ついていたんだなー。これで大丈夫だぞ。・・・てゆうかこいつ、メチャメチャかわいいな」
よく見ると、つぶらな瞳でとっても愛嬌がある顔をしている。
「そらっ。俺たちはもう帰るから、お前も気を付けて帰れよー」
結界を解除してやる。ドラゴンはキョトンとした顔をしているので、復活した羽をつまんでやる。ピクッと体を震わせ、思わず振り向くドラゴン。そして、自分の失われたはずの羽が復活したのを確認して目を丸くしている。
恐る恐る翼をパタパタと動かすと、ふわりとその体が浮きあがった。キョロキョロと辺りを見回しながら自分が飛んでいることを確認しているようだ。そしてハッとした顔をして頭に手をやって角を確認する。
「きゅわぁぁぁーん。きゅわぁぁぁぁーん」
泣き出してしまった。どうやら相当嬉しかったようだ。しかしさっきからこのドラゴンと全く会話できない。そもそもこのドラゴンは喋れないのだろうか。
「基本的にドラゴンは念話で会話するのが一般的でありますなー。フェリス殿のクルルカンのような知能の高いドラゴンは言葉を操るでありますが、このドラゴンは言葉を操ることは出来ないのでありましょうなー」
「そっかー。まあ、俺たちはもう帰るから、お前も群れに帰りな。今度は怪我するんじゃないぞ」
そう言って俺たちは館へと帰った。
「まあ、どうしたのです、リノス?」
「うーん、どう説明しようかな」
クルムファルの館に帰ると、出迎えてくれたリコが驚いている。それはそうだろう。俺の胸に極彩色の羽を持った小さなドラゴンがしがみついているのだから。
あの後しばらく歩いていると、いきなり胸が重たくなった。ふっと見てみると、さっき別れたフェアリードラゴンが俺の胸にしがみついていた。俺の気配探知に全く引っかからずに移動してきているのである。ある意味恐ろしい。
そのまま結界内に閉じ込めて倒してしまうこともできたのだが、このフェアリードラゴンがとにかくかわいいのである。じっと目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う、目を見つめ合う・・・としている間に、館についてしまったというわけだ。
ドラゴンだけにものすごい力で抱きついているので、離れない。服を破れば離せそうだが、さすがにそれをするとリコが怒るだろうと思い、先ほどの会話と相成ったのである。
ゆらゆらと羽を揺らせながら、気持ちよさそうに俺に抱っこされているドラゴン。しかしその光景を見て
「ぎゃうあー!きゅぁぁぁぁぁ!!」
館の姫であるイトラが怒ってしまった。パタパタと羽を動かして俺の周りを飛び、ドラゴンを威嚇している。こちらも負けておらず、あぎゃ!あぎゃ!と威嚇し返している。どうやら俺に抱っこされる権利を互いに主張しているようだ。
「ハイハイハイ、二人ともおやめなさいな」
パンパンパンと手を叩きながらリコが近づいてくる。そして、うしろからフェアリードラゴンを抱き、すっと俺の所から離して、テーブルの上に置く。
「この際だから二人に言っておきます」
リコは俺の隣にやってきて腕を組み、
「リノスは、私だけのものですわ」
「きゅぁぁ・・・」
「あゃあ・・・」
三人の視線から火花が散っている。あの~皆さん、怖いから、やめませんか?