第八百二十七話 探しものは、見つけにくいもの?
大体、女性を視線でオトすというのは、とんでもない男前だけに許された特権であって、並みの男がやるとむしろ、嫌われる要因ともなり得る。あのコ、ずっと私のことを見ているんだよね、とか、ずっとエロい目で私を見ている、とか言われて、女子たちのヒソヒソ話のネタになるのだ。あのバカ殿も、そうやってビオン王の侍女たちに笑われればよいのだ。ちなみにこの手法は、その昔の映画俳優が言っていた言葉だ。敢えて名前は伏せるが、その当時の写真をみると、それはそれは男前で、これなら、じっと見つめられた女性は恋に落ちるだろうと思わせる顔立ちだ。
話を元に戻す。その後、大上王に招かれた俺たちは、広いダイニングのような場所で食事を共にしながら酒を酌み交わした。最初は、ムーブの森についてなどの真面目な、政治的な内容だったのだが、酒が進み、興が乗ってくると、大上王とニケはメイの話題で盛り上がった。大上王は望めばすぐにメイに会えること、メイがいかに聡明で気立てがよい女性であることを滔々としゃべり、ニケはニケで、メイの外見がいかに美しいものであるかを切々と語っていた。俺はというと、その二人の話を苦笑いを浮かべながら聞いていた。確かに妻のことを誉められて悪い気はしないのだが、二人とも度が過ぎる。まるで完璧な女性であるかの言い方は、誇張という表現では済まないほどのものだった。メイはあれでも、おっちょこちょいな部分もあるし、苦手な部分ももちろんある。特に彼女は、一人で没頭することが好きなタイプで、多くの人と交わりながら何かを作り上げるというのが、実はあまり好きではないのだ。特に、集中して作業しているときに話しかけられると、むろん、嫌な顔をすることはないのだが、その後はかなり疲れてしまう。察するに、それまで保っていた集中力を一気に引き上げようとしているのだろう。屋敷に帰ってくると、顔色が悪くなっていることがままあるのだ。そういう点では、メイは時間をかけて完璧なものを作り上げるけれど、その分、自身の精神と肉体をすり減らしているために、あまり多くのことを頼みにくいのだ。
その点で、何もかもを最もそつなく、見事に仕上げるのはリコだ。彼女に任せておけば失敗はないと全幅の信頼を置くことができる。とはいえ彼女にも苦手な部分はあって、攻撃されると弱い、という点があるのだが。まあ、あまり妻たちのことを言うとあとで怒られそうなので、この辺でやめておくことにする。
メインティア王は気がつくと姿を消していた。少し嫌な予感はしたが、大上王とニケが盛り上がりすぎて、それを考える時間はなかった。帝都の屋敷に帰ったのは、夜も更けてからになった。
家族は皆、寝てしまっていた。部屋に入るとまだ明るかったが、ベッドにメイが眠っていた。そうだ、今日はメイの日だったのだ。どうやら待ちくたびれて眠ってしまったようだ。俺は彼女を起こさないようにライトを消して部屋を出て風呂に入り、再び戻ってきた。ベッドに入ると、メイが静かな寝息をたたえていた。
ふと、彼女の顔を見たくなった。悪いなと思いながらライトを出して周囲を明るくする。彼女を起こさないように、魔力は調整して明るさを暗めに設定する。
美しい寝顔だった。邪な感情など微塵もない、とてもきれいな寝顔だった。なるほど、聖女と呼ばれる理由がよくわかる気がした。こんな姿は大上王やニケがいかに頑張ろうとも、見ることは叶わない。俺だけに許された、特別な時間だ。そう思うと、何とも貴重な時間であるような気がしてきた。
そういえば、結婚以来、こうやってまじまじと寝顔を見るのは初めてな気がした。俺はしばらくの間、メイの美しい寝顔を眺めていた。
◆ ◆ ◆
「いない?」
翌朝、朝食を摂っているときに俺は頓狂な声を上げた。皆、一様にポカンとした表情で俺を見ている。普段あまり感情を露わにしないエリルも、キョトンとした表情を浮かべている。その理由は、ゴンが行方不明と聞いたからだ。
ゴンは魔物の言葉を解する能力を持っているために、魔物との交渉はヤツを伴って行こうと考えていたのだが、これでは俺の計画が頓挫してしまう。確かに最近、ヤツの姿を見ていないなとは思っていた。それは、ここ最近俺が忙しく、生活が不規則になっていたからだ。てっきり昼は懸命に働き、夜には家族と一緒に食卓を囲んでいるものだとばかり思っていた。だが、リコの話では、ここ三日間帰って来ていないのだと言う。
「どこにいったんだ?」
「大体察しは着くのですが、私の予想したところにはいませんでしたわ」
「まさか……アイツまた、大人の遊園地に……」
「ともかくこれからゴンを探しますわ。最悪の場合は、私が参りますわ」
「リコが? いや、それは止めてくれ。リコにもしものことがあったら……」
「きっと見つかりますわ。ただ、リノスと共にムーブの森に行けるかどうかが気になるのですわ」
「……どういう意味でしょうか」
「ともかく、参りますわ」
「どこへ?」
リコは目でついて来いと合図をしたので、俺は無言のまま彼女の後に付いて行った。リコは転移結界のある小屋に向かうと、何の躊躇もなくそれに乗った。そこは……おひいさまのお屋敷に通じる結界だった。
「ほほう。ゴンが行方不明とな。うむ、妾に任せておくがよい。眷属の分際で妾から逃れられる術はないわぇ」
おひいさまはそう言って目を閉じた。彼女に従う女官の千枝、左枝も、何の心配もないと言った表情を浮かべている。ちなみに、ちゃんとお土産は用意した。ありあわせのものだが、とにかく俺の持つ無限収納にあるお菓子類を皆、差し出したのだ。
「……捕らえたぞよ。ホッホッホ、しゃらくさい術を使いおって」
おひいさまの声と同時に、ゴンが天井から降ってきた。
「いっ、痛いでありますなー。吾輩を誰だと思ぇぇぇぇ、ヒック」
ヤツは酔っていた。強かに酔っていた。酒の匂いが辺りに立ち込めている。
「三日三晩も居続けで飲み続けるとは、そなたも偉くなったのう。……まだ酔っておると見ゆる。目を醒まさせてくれようぞ」
おひいさまがクイッと顎をしゃくると、側に控えていた千枝、左枝がスッと立ち上がり、音もなくゴンの傍に寄った。まさに一瞬の早業だった。千枝が片手で、まるで汚いモノを処理するかのようにゴンを掴むと、二人は音もなく部屋を出て行った。その様子を見てリコは、深々と頭を下げた。
その直後、部屋の外から叫び声が聞こえた。ギャーともウォーともつかぬ、腹の底から出された叫び声だった。しばらくするとその叫び声はゴメンナサイの声に変わり、それはいつまでも続いて、止むことがなかった。
「あっ、あの……。一体、何をやっているので?」
「心配ない。単に酒を抜いておるだけじゃ。ホッホッホ」
「さ、叫び声が、先ほどから止まりませんが……」
「叫び声? ハテ、妾には一向に聞こえぬ」
「う……」
「心配するな。程なくして帰宅させようほどに、そなたたちは先に戻りゃ」
「でっ、でも……」
「さ、リノス。帰りましょう」
「え? リコ……」
「帰りましょう」
ものすごい笑顔で言われてしまった。まるで、魂が抜けてしまったかのように俺は呆然と立ち上がる。するとリコはキュッと腕を組んで、まるで俺を引きずるようにおひいさまの屋敷から連れ出した。
それからしばらくしてゴンは帰ってきた。彼はうつ伏せのままずっと泣いていた。しばらくすると、アリリアが寄ってきて、ゴンの体に花から摂った絵具で落書きを始めた。それを咎める者は誰もおらず、程なくしてゴンは、虹色の狐となった……。




