第八十一話 見事なる手腕
唇に柔らかい感触を感じて目を覚ます。しばらくこのままでいたいと思いつつ、目を閉じたままその感触を楽しむ。ゆっくりと口の中に柔らかいものが入ってくる。俺はそれを存分に堪能し、目を開ける。美しいメイの顔がそこにあった。
「朝です。ご主人様・・・」
メイの体は温かい。少々肌寒くなってきたこの季節の朝にはちょうどいい。俺はメイを抱きしめ、もう一度唇の感触を楽しんでから、ベッドから起き上がった。メイも起き上がり、テキパキと服を身に付けていく。
「ああ、残念だ」
「どうされました?」
「メイのキレイな体が見られなくなった」
彼女はクスッと笑みを浮かべたまま無言で、再び一糸まとわぬ生まれたままの姿になった。朝日に映し出されたその姿は、芸術品のように美しい。思わず見とれてしまう。
「ご主人様・・・もう、朝です・・・」
困ったようなメイの顔。俺ははっと我に返り、メイを抱きしめて服を着替え、一緒にダイニングに降りた。
ペーリスの用意してくれた朝食に舌鼓を打ち、イリモに乗って宮城に向かう。到着すると、城門を入ったところで100名ほどの騎士が整列している。その傍らには、軍服を着た老将軍が馬に乗って佇んでいた。ラファイエンスだ。
「朝早くからすまないな。では、行こうか」
整った隊列を崩すことなく騎士団は進んでいく。俺はラファイエンスの隣でイリモを走らせる。
「馬を操るのが上手だな」
「いや、この馬が優秀なのですよ」
「見たところ小柄だが、なるほど、賢そうな馬だ」
イリモの角と羽は見えないようにしているのだが、それでも、この将軍にはイリモの良さが感じ取れるようだ。
「一つ聞いてもよいかな?」
「何でしょう?」
「オーシェたちはどのように敗北したのかな?」
「なぜそのようなことを?」
「いや、勝利から学ぶことは少ないが、敗北から学ぶことは多いのだ。今後の軍略に活きると思ってね」
「まあ、いいですが・・・」
俺は昨日の戦闘について説明する。ゲュリオンについては、たまたま襲われたということにしておいた。
「・・・なるほど。ぬかるんだ足元、しかも初めて入る森。自殺行為だな。おそらくオーシェたちは貴殿の正面からの不意打ちを食らい、動揺したのだろう。それで前衛が崩れ、撤退したが馬の蹄で掘り返された土が泥と化して足場を不安定にした。そこにゲュリオンの側面からの攻撃。よくオーシェは生きていたな」
「ええ、撤退の有様は聞いていませんが、見事な撤退だったと思います」
「オーシェは何か言っていたのかな?」
「・・・いえ、特に何も。顔面蒼白で呼吸が荒く話すこともままなりませんでしたので、クノゲンという男が、オーシェの代理を務めています」
「クノゲンか。あいつならば兵の扱いは上手い。なるほど、クノゲンが撤退の指揮を執ったのか。不幸中の幸いだったな」
一人でうんうんと頷きながら、寂しそうな顔で老将軍は遠くを見つめている。
「リノス殿、少々急ぎたい。馬を走らせても大丈夫かな?」
「ええ、問題ないですよ」
ラファイエンスはとんでもないスピードで馬を走らせ始めた。騎士団もその速度に問題なくついていく。俺もイリモもあわてて将軍についていく。
帝都からクルムファルの館まで徒歩で1日。馬に乗って移動すると半日の行程だが、ラファイエンスはスピードを落とすことなく、しかも休憩もなく馬を走らせ続け、わずか3時間で到着してしまった。
「将軍、あそこです!」
ようやくラファイエンスの速度が落ちる。ぶっ通しで走ってきたにもかかわらず、ほとんど息を切らせていない。意外にこのオジサンとその部下たちはやるようである。
ホテルに到着すると早速、ラファイエンスはオーシェたちが軟禁されている部屋に向かった。クエナに聞いたところ、三人共に昨日からスープを少々口にしたくらいで何も食べておらず、ほぼ一睡もしていない状態だという。
スイートルームは厳重に警護されていた。俺はピウスに将軍の到着を告げ、扉を開けさせた。中に入ると、昨日と同じ場所に三人が項垂れるように座っており、クノゲン一人が瞑目して静かに座っていた。そして、その周りをピウスの傭兵が取り囲んでいる。
ゆっくりと部屋を見まわした後、ラファイエンスはクノゲンを見て頷き、そして静かにオーシェの前の椅子に腰を下ろした。
「オーシェ」
ピクリと体が動き、ゆっくりとオーシェは顔をあげた。やつれ切ったひどい顔をしている。そして老将軍の姿を確認したオーシェの瞳は大きく開かれ、体をワナワナと震わせた。
「あ・・・う・・・う・・・」
「喋らんでいい。昨日の話はリノス殿から聞いた。全くバカなことをしたものだ。なぜ、お前がこの戦いに敗れたか、わかるか?」
オーシェは俯いている。
「クノゲン、お前はわかるか?」
「・・・現状を分析せず、いたずらに軍を進めたからでしょうか」
「まあ、間違っているとは言わんが、それも違うな」
「閣下・・・」
「オーシェ、お前はこの戦いに敗れるべくして敗れた。その原因は、自分の独断で軍勢を動かしたからだ。欲にくらんで私に嘘をつき、自分で勝手に軍を動かしたその時点で、お前の負けは確定していたのだ」
やさしく、諭すような、しかし、言葉の一言一言に重みがあり、オーシェは泣きそうな顔になっている。
「閣下・・・私が付いていながらこの失態・・・申し訳ございません」
「そうだなクノゲン。オーシェを止められなかったお前にも責任はある。しかし、だ。よく兵を逃がしてくれた。おそらくこの様子では撤退戦はお前が指揮を執ったのだろう。決して褒められた行為ではないが、まあ、このオーシェの様子ではそうせざるを得なかったのだろう。よくやってくれた。撤退戦は、褒めてやってもいい」
「閣下・・・」
クノゲンは声を殺して泣いている。オーシェは俯いたままだ。
「オーシェ、クノゲン、帝都に帰ろうか。兵たちも帝都に帰してやらねばならん。お前たちの今後は、お前たちの思うようにすればよい。グレモント宰相は死罪か追放と言っておったが、私はそうは思わん。お前たちの処分は私に一任してもらっている。今回は温情判決を出したい。リノス殿、納得いかぬかもしれぬが、承知してもらえないか」
ラファイエンスはすっと立ち上がり、後ろに居た俺の方向に向き直った。
「このとおりだ」
ヒーデータ帝国北方軍団長が頭を下げていた。
「部下の不始末、この私が、心から詫びさせてもらいたい」
「・・・わかりました。お顔をお上げください」
「感謝するリノス殿。今後、この償いは必ずさせてもらう。何かある時はこのラファイエンスに言ってくれ。できる限りのことはさせてもらう」
「こちらこそ。戦いとはいえ、北方軍の兵士に多大なる損害がでました。亡くなった兵士に哀悼の意を表します」
「ありがとう」
オーシェもクノゲンも泣いていた。ひたすらに号泣していた。ジョーノもグラゴレイルも、この様子を顔面蒼白にして眺めていた。
「さて、ジョーノ男爵および、グラゴレイル男爵。あなた方は帝国貴族であり、私の部下ではない。しかし、罪は罪だ。あなた方は帝都に護送の上、私が身柄を預かります。今朝、帝都を出発する際に陛下から直々のご命令がありましたのでね。あなた方は、陛下が直接お話をなさるそうです」
ジョーノとグラゴレイルは力が抜けたように、ガックリとうなだれた。
軟禁されていた4人は、将軍によって再び拘束された。相変わらずオーシェは一人では歩けず、クノゲンに支えられての移動になった。
彼らが拘束されている間に俺はカイリークとトホツに対して、捕虜を解放するよう命令書を作成し、ラファイエンスに手渡した。そして、再び馬上の人となった将軍は、
「それでは、早速帝都に戻ります。リノス殿、また宮城にて」
そう言い残して去っていった。俺はその姿を見送った後、ハーピーにその追跡を命じる。ラファイエンスに限って再び攻撃を仕掛けてくるとは思えないが、念のためハーピーと「マップ」で監視させてもらう。
しかし、その懸念は杞憂に終わり、ラファイエンスはカイリークとトホツに寄ると、町の人々に手厚く礼を言い、兵をまとめて引き上げていった。その間に放置されていた兵士の遺体もきれいに回収していった。
「見事だ。軍人たるものは、かくあるべきだな」
「ラファイエンス将軍は名将として名高い方です。実際、その手腕を間近に見ると、なるほど多くの人に慕われていることも納得できます」
「情で人を操る。俺たちも見習わなきゃな」
「そうですね」
俺は将軍たちが去った部屋でピスタらと共にそんな会話をしながら、二日間のこの戦いをねぎらった。
一週間後、ヒーデータ帝国皇帝、ヒーデータ・シュア・ヒートが座る玉座の前に、ラファイエンスが頭を垂れていた。
「で、二人の者は如何したのだ?」
「オーシェは退役しましてございます。一人で歩行もままならず、話すこともままならぬのでは、軍務はできません。退役後は直ちに、クエシェリナに送りましてございます」
「ふむ、クエシェリナか。南の暖かい地だの。あそこなら療養にはちょうど良いか」
「はい。おそらく治癒することは難しいでしょうが、静かな余生は過ごせるかと」
「で、もう一人は?」
「クノゲンも退役を申し出ました。しかしあの才能を逃すと帝国の脅威になりますので・・・」
「ジョーノやグラゴレイルのように幽閉したというのか?」
「まあ、そのようなものでして、さる信頼できる人物の下に送りましてございます」
「そうか。軍人は軍を追放してそれで済むが、貴族はそうもいかん。ジョーノ家とグラゴレイル家の後継ぎを決めるのは骨が折れるわ」
「お察し申します」
「それにしても、バーサーム名誉侯爵の手並みは見事だったの。余もそなたからの話を聞いて、久しぶりに心が躍ったぞ。近いうちに、名誉侯爵からも話を聞いてみるが、あれはあまり自分の自慢話をせぬからの」
「はい。あのお方とは絶対に敵対するべきではありません。そういう意味では、リコレット様を嫁がせられた陛下のご慧眼に感服いたします」
「いや、余はたまたまリコレットに合うと思ったから結婚を進めたまでじゃ」
「あのお方は、神に愛されております」
「ほう、神に、か」
「言うなればあのお方は、『軍神』でございます。ゆめゆめ敵対なされませぬよう」
「『軍神』か。それは頼もしいの。余とバーサーム名誉侯爵は義理とはいえ、兄弟じゃ。その心配は杞憂に終わろうぞ」
「ハハッ」
帝都にも、クルムファルにも秋が深まろうとしていた。




