第八百二話 久しぶりの森の中
深夜、俺は再びトルア村を訪れていた。ここから、ミンズ王国の王都に向かうためだ。
村はずれの山の中、しかも、真夜中ということで、周囲には魔物の気配が数多く感じられる。
「意外とこの周辺は、危険地域じゃないか」
そんなことを呟きながらイリモの背に跨る。突然現れた俺の気配に反応して、森の中がざわついているのがわかる。山頂付近にはAランククラスのドラゴンのような個体もいるようだ。こういうヤツらは知能が発達しているので、突然襲い掛かって来ることはないが、自分の縄張りが荒らされたと判断した場合は全力で阻止しにかかる。面倒なことにならない前に、ここを離れるのが一番だ。
山道まで出るとすぐに飛んでもらう。俺たちが上空に舞い上がると、鳥たちが鳴き声を上げて飛び上がってきた。どうやら、起こしてしまったようだ。
申し訳ないなと思いながら王都に向かう。ふと右側を見ると見事な満月だった。月を愛でながら空を飛ぶなど、何とも風流ではないか。そんなことを考えているとふと、脳裏にメインティア王の顔が浮かんだ。あのバカ殿ならば、この光景を何と評すだろうか。
まあ、どうせ下らないことしか言わないだろうなと思いつつ、眼下を見ると、カースシャロレーの気配を感じた。結構な数だ。幼い頃、エリルと共にルノアの森で狩りをしたことを思い出す。そう言えば最近、カースシャロレーの肉を食べていない。狩っていこうかとも考えたが、今はミッションを遂行することが先だ。ちょっと残念な気持ちを抑えながら先を急いだ。
二時間ほど飛んだだろうか。ミンズ王国の王都と思われる建物が見えた。窪地の中に、いくつもの光が犇めいていた。下降して見るとどうやらそれは篝火のようで、魔物除けというのもあるのだろう。王都を囲む形で篝火が焚かれていた。上空から見るとそれはきれいな円を描いているように見える。たぶんこれは、王都に住む者も、況やあのミンズ王自身も知らないだろう。山の高台に展望台でも作ってこの光景を見せれば、ちょっとした観光名所になるかもしれない。
そこまで考えて俺はフッと笑みを漏らす。展望台を作ったとて、森には多くの魔物が犇めいている。夜中に森を移動するなど魔物に食われに行くようなものだ。そんな危険を冒してまで見るような光景ではなかった。
取り敢えず魔物の気配が薄い場所を探して着陸する。王都の中に着陸してもよかったのだが、そこはシディーがやめておいた方がいいと言っていた。そのときはよくわからなかったが、こうして実際自分の目で見ていると、彼女の言っていることがよく理解できる。この都は、狭い土地に無理やり作ったのだろう。かなり建物同士が密集している。そんなところに、夜とはいえ、空から人が降ってきたとなると騒ぎになる可能性が高い。これはシディーの言う通り、王都の外から正攻法で入るのが正解と言える。
着陸した場所は、冒険者たちが休憩用に使うのかと思うほど、開けた草原だった。開けたと言っても、精々十畳くらいのスペースしかないのだが、俺たちが休憩するのには十分な広さだ。一応そこに転移結界を張っておく。まあ、あまり使うことはないだろうし、使うようなことがなければいいなと思いながら作業を進める。
結界を張って俺たちの気配を消して、イリモに餌をやる。俺も屋敷から持ってきた弁当を広げて腹ごしらえをする。ペーリスが腕によりをかけて作ってくれたサンドイッチだ。一口食べて美味い、と言った。
そのサンドイッチを頬張りながら深呼吸をする。魔物たちの気配が煩いが、森の中なので空気が澄んでいる。何だか、ここにいるだけで健康になれそうな気すらする。
先ほど上空から王都の様子を見てから、胸が再びざわつきだしていた。やはり、俺の体が、本能が反応しているのだろう。ということは、やはりリンデーズはこの都に帰りたかったのだろう。
六歳の男の子が、ましてや、何不自由ない公爵家の御曹司が突然母親と引き剥がされて奴隷として売られたのだ。リンデーズの心境は察して余りある。相当不安だっただろうし、恐ろしくもあっただろう。何より、王都に、父と母の許に帰りたかっただろう。俺にはリンデーズの思いがよくわかる気がするのだ。
ふとそんなことを考えていると、夜が白み始めていた。俺は立ち上がって、王都に行く準備を始めた。
準備と言っても、リュックを背負うくらいのものだ。一応俺は、アガルタのダーケ商会の職員という身分を名乗ろうとしている。世界各地を渡り歩き、その土地土地の美味い物を仕入れてくるバイヤー、キキョウヤを名乗るつもりだ。その身分証明書も発行してもらっている。
「さて行くか」
イリモを促して森の中に歩を進める。おそらく、三十分も歩けば、王都に着くはずだ。結界に気配を消す効果を付与しているので、魔物に狙われる危険性は低い。まあ、ちょっとしたピクニックになる予定だったのだが、しばらく歩くと、カカズという魔物に出会ってしまった。
カカズは言わば巨大な蛇だ。とぐろを巻いて俺たちの進路をふさいでいる。たまたま周囲を見廻していたら俺たちを見つけたのか、それとも、ここで寝ていたら俺たちが現れたのかは定かではないが、気味の悪い鳴き声を上げながらこちらを睨んでいる。
毒蛇だけに、そこをどく、のではないかと洒落てみるが、どうも相手にはその気はないらしい。大きな口を開けて俺たちに襲い掛かってきた。
勝負は一瞬で着いた。俺が発動した、研ぎ澄まされた風の刃がカカズの顔を切り刻んでいた。
カカズは毒を持っているので、その身は食べることはできない。あるいは毒を抜けば、意外にその身は食べられるんじゃないかと思っていると、そこはカカズの巣だったのだろうか。あちこちからカカズが現れてきていた。
戦って勝てない相手ではないが、そのあまりの気色悪さに戦意を喪失してしまい、慌てて俺たちの姿を消す効果を結界に付与して、その場を切り抜けた。途中、何匹かは俺たちの存在に気付いて襲い掛かってきたが、問題なく討伐できた。
ようやく山道に出ることができたときにはすでに、周囲は明るくなっていた。まあ、時間的にも王都の門が開くであろう時間になっていて、ちょうどよかったのかもしれない。そんなことを思いながら歩を進めていると、王都の門が見えてきた。アガルタのそれと比べるとかなり小さい。大型のドラゴンならば易々と打ち破れそうな作りだ。
門は閉じられている。まだ開門の時間ではないのかと思っていると、すぐ横に通用門と書かれた入り口があるのが見えた。少し押してみると、難なく門は開いた。
中には二人の兵士が控えていた。彼らは俺に怪訝そうな表情を浮かべながら近づいてきた。
「何だ貴様は」
「えっ……いや、こちらに入りたいのですが……」
「今、門から入ってきたな? まさか、森を抜けてきたのか?」
「ええ、まあ、はい」
「夜通しこの森を通ってきたのか?」
「ええ、まあ、そうです」
兵士が驚きの表情を浮かべる。
「……冒険者か? 冒険者カードを出せ」
「いえ、冒険者ではありませんで……。私は商人です」
「商人!? 商人風情がこの森を夜、抜けてきたというのか?」
「はい」
「何者だ、貴様……」
俺は自分がダーケ商会のものであること、取り敢えず、アガルタには強力な魔物除けのお守りがあるなどと適当な嘘を並べておいたが、兵士はさらに疑いの目を向けてきた。
「どうやってミンズ王国に入った」
「どうやって?」
「国王様の命令により、我が国の港にはアガルタより参った者は必ず報告せよとのお達しがなされている。今のところ、アガルタの者が港に着いたという報告はなかったはずだが……」
……面倒くさいことになってきたな。




