第七百九十六話 心にもないこと
ミンズ王たちがアガルタを離れて一週間が経った。
心配されたイデアの心の傷は癒え、彼は再びゲンさんの工房に遊びに行くようになった。彼が訪れた日は大変だったらしい。ゲンさんとおかみさんは泣き、弟子たちは大喜びして、そのままドンチャン騒ぎの宴会になったのだそうだ。
彼がゲンさんの工房に行くことをリコは咎めなかった。いつもと変わらぬ様子でイデアを送り出してくれた。きっと心の中では色々と思うところはあっただろうが、それを一切表に出さずに平静を保っていた彼女を俺は、強い女性だと思い、改めて尊敬の念を抱いた。
そして、俺はというと、ミンズ王国に向かうための準備を進めていた。
色々と調査をしているが、どうやらイリモの翼を使えば、四日あれば往復できるようだ。四日、といってもそれは、イリモが全力で飛行しての計算だ。それをすると彼女はかなり体力を消耗することになる。それを考えると、一週間は時間を取った方がよいだろうと判断した。
ということで俺は、一週間の休暇を取るべく仕事の調整を進めている。さすがに平時にそれだけの期間仕事をしないというのは、色々と問題が出てくる。特に、フェリスやルアラなどからは、表立ってはないが、確実に心の中で色々な負の感情が燻ぶっているはずなのだ。
俺の仕事ならばリコに代行させればいいと言う者もいるだろうが、それはリコに完全に拒否された。それをするのは最後の手段、例えば俺が意識不明の重体に陥るなどの場合であって、今、それをしてしまうと、今後も自分が国政を代行するのだと周囲の者に印象付けてしまうことになる。そうなれば、権力闘争の原因にもなりかねないと言って説得されてしまった。どうやら過去、ヒーデータ帝国において、そうした事件があったようだ。リコはそれを踏まえて、悪しき先例を作るべきではないと考えているようだった。
と、いうことで、今の俺は猛烈に仕事をしている。フェリス、ルアラ、そしてシャリオらといつになく会話して、仕事を進めていっている。今さら言うまでもないが、この三人は本当に優秀だ。
特にシャリオは、頭の回転がズバ抜けている。何事も一瞬で答えを導き出す。同じドラゴンとして、フェリスもかなり優秀なのだが、その彼女を完全に凌駕している。フェリス自身も、このままでは寝首を掻かれてしまうと感じたのか、家でリコと二人で何やら話をすることが多くなった。ちょっと心配になったが、リコはようやく勉強する気になったと言って喜んでいたので、これはこれでよかったのだと思うことにする。
そんな中、アガルタの都に一人の来客があった。俺は半ばうんざりした気持ちで、その客を迎えた。
「お久しぶりでございます」
「……何しに来た」
目の前に現れたのはヴィエイユだった。ポーセハイの転移能力を使ってやって来ていた。この娘はアフロディーテにいるポーセハイを完全に支配下に置いているんじゃないだろうかと思うほどに、彼らの能力を活用している。少し前にそのことが気になったので、チワンに気を付けるようにと言ってみたが、彼は笑って取り合わなかった。ローニにも言ってみたのだが、彼女も同じような反応で、全く心配ありませんと言い切ってしまった。
どうやらポーセハイには、俺たちにはわからない固い絆があるらしい。
そのヴィエイユが来たと聞いて俺は、リコにも同席を頼んだ。何だか、二人っきりでこの娘と会ってはいけない気がしたのだ。
謁見の間に入ると、ヴィエイユが待っていた。いわゆる教皇服というのだろうか。純白の服を纏っている。俺はこの小娘の性格を知っているので大丈夫だが、初めて見る男子は、心を奪われてしまう者が多いんじゃないかと思わせる程の美しさだ。というより、この娘は、自分を美しく見せる術を完全に心得ている。いつも研究しているのだろう。きっと、転生前の世界に行けば、アイドルとして、タレントとして、かなり売れるだろうな、男子にはモテるだろうが、女子にはメチャメチャ嫌われるだろう、などどと下らぬことを考える。
俺の質問に対してヴィエイユはさも呆れた、と言った表情を浮かべた。
「ご挨拶でございますね。それはもちろん、アガルタ王様にお会いたかったからですわ」
……オイオイ、隣にはリコがいるんだぞ。それは、リコに喧嘩を売っていることにならないか?
ふと隣に視線を向けるが、リコはそんなことは全く気にしていないとばかりに、笑みを浮かべている。むしろ、久しぶりに会えてうれしいと言わんばかりの表情だ。
俺は咳払いをしながら、ゆっくりと玉座に座る。
「で、用向きは何だ」
「アガルタ王様は、ミンズ王国に向かおうとされていますね?」
「うん?」
さすがに耳が早いなと心の中で呟く。ミンズ王の一件は一週間ほど前のことだ。それがすでにヴィエイユの耳に入っているということは、このアガルタの都にもクリミアーナの信徒が入り込んでいるのだろう。というより、この娘は、いついかなるときでも、俺の一挙手一投足に注目しているのだろう。
「……少し、痩せたか?」
話題を変えようと思わずそんな言葉を口走ってしまった。と同時に、心の中でしまったと呟く。これはまるで、図星を突かれたと言っているも一緒の行為だ。
「ええ。このところ少し痩せました。毎日三食しっかり食べているのですけれど、全く太る気配がありません。それどころか、少し痩せてしまうのです。もう少し食べる量を多くした方がよいのでしょうか」
「そうだな。どちらかというと、もう少しふっくらした方が、かわいいと思うぞ」
「オホホ。ありがとうございます」
心にもないことを、と思っている。それは俺も同じだ。間違いなく食事にメチャメチャ気を付けているだろう。太らないように、自分の美しさが衰えないように細心の注意を払っているはずだ。でなければ、こんな仕上がりにはならないだろう。
ふと隣のリコを見る。そう言えばリコは食事を制限しているわけでも、何か肌の手入れをしているわけでもないが、その肌は輝き、相変わらず体にはシミ一つない。体型も結婚してから全くと言っていいほど変わっていない。むしろ、美しさが増している印象がある。リコはリコで、俺の知らないところで色々と努力しているのだろうか。そんなことを考えていると、視線に気づいたリコが怪訝そうな顔で口を開いた。
「何か?」
「いや、キレイだなと思いまして。俺は、リコの方がいいな」
「まあ」
リコとヴィエイユが同じタイミングで口を開いた。リコは嬉しそうだが、ヴィエイユは、お前、私が目の前にいるのに、よくもそんなことを言いやがったなと言わんばかりの雰囲気だ。でも、実際に自然に美しいリコの方がいいのだから仕方がない。嘘だと思うなら、皆に聞いてみるといい。
「本日はアガルタ王様とお取引がしたいと思い、伺いました」
ヴィエイユの凛とした声が部屋に響き渡る。一瞬で空気を変えられてしまった。俺は思わず居住まいを正す。
「結論から先に申し上げます。私どもは、現在アガルタにお支払いしております賠償金を減額していただきたく、お願いに上がりました」
ほう、やはりかなり苦しいのだな。と心の中で呟く。クリミアーナはシャリオの計算によって、国を維持できるギリギリの金額を支払わされている。そうしないとあの花で国が埋め尽くされるからだ。その花を駆除してくれるネズミを毎月購入しているのだが、ヴィエイユはそれを賠償金と言ってのけた。
「私どもは、アガルタ王様がなぜ、奴隷として売られたのかその全てを知っております。その情報お伝えする代わりに、賠償金の額を減額いただきたいのです」
ヴィエイユの顔は自信に満ちていた。何だか、キライな顔だ……。




